母と叔母を熊本から京都に迎えて半年、みんなで賑やかなお正月を迎えた。95歳の母と91歳の叔母と75歳の私と49歳の娘と8歳の孫娘。歳の差90年近い女たちが勢ぞろい。
まあ、そやけど、年の瀬のせわしいこと、せわしいこと。それぞれの家のお掃除と片づけの合間に、娘と手分けして、おせち料理の買い物に、走る、走る。四条の「タベルト」でお刺身用のブリと、数の子、タイの子、エビ、ゴマメにお雑煮用の小大根、かしら芋などのお野菜に、蒲鉾にダシ巻卵、栗の甘煮などを、どっさりと買いこむ。三条寺町の三嶋亭本店に小一時間並んで、しぐれ煮用の牛肉とミンチを買い求めた。
さてそれからは、娘と二人で手分けしてご馳走の準備にとりかかる。
白味噌のお雑煮用の下ごしらえに、数の子は鰹節を削って下味をつけ、タイの子や海老も薄味で炊いておく。おなますは大根と金時人参と干し柿に熊本の母の家の庭から送ってもらった橙を絞って軽く注ぐ。ゴマメは半紙を敷いて煎ってカラリと仕上げ、お醤油とお砂糖、お酒で甘辛くからめる。亀岡産の黒豆はふっくらと皺にならないようコトコトと厚鍋で炊く。筑前煮も、じっくりと煮込む。牛肉と糸こんにゃくで、しぐれ煮をつくり、ミンチでミートローフも。甘栗を鳴門金時のさつまいもで包み、栗きんとんをつくるのは孫が手伝ってくれる。右手を骨折した叔母も少しずつ手が使えるようになり、昆布巻きと人参と、たたき牛蒡をつくってくれた。
大晦日、それぞれの、できあがった品々と蒲鉾やだし巻、ハムもあわせてお重に詰め、お正月用のお花やお飾りの鏡餅を供えて、5人分のおせち料理のできあがり、できあがり。ああ、くたびれた。夜は年越しそばをいただいて、今年は珍しく、紅白歌合戦を見た。
三が日は、よいお日和となった。元旦、私たちは京風の白味噌仕立てのお雑煮。母と叔母は澄ましのお雑煮で。水前寺もやしはないけれど、熊本風に仕立てて、お屠蘇とともに祝う。手づくりのおせち料理を、母たちも孫も、ほんとによく食べてくれて、うれしい。
母と叔母には自分たちの家でゆっくりとしてもらい、娘と孫は私の元夫のところへ年始の挨拶に向かう。私は一人でお留守番。そのあと娘と孫と私は、いつものように平安神宮から知恩院、八坂神社へお参りし、タバコ王・村井吉兵衛の迎賓館だった長楽館でお茶を一服。その後、清水寺まで歩いて初詣にいく。いいお天気のせいか、どこも、お参りの人たちでいっぱい。なぜか着物姿は中国の女性たちばかりというのも、おかしかったけれど。往復2万歩近くを歩いて帰った。
2日はデパートの初売りを、さっと覗いてバーゲンの子ども服を買う。夕方は私の男友だちの囲炉裏のある部屋で、ご馳走を囲んで、みんなでお祝い。
3日は大阪市立美術館「ルーブルの顔。」展に、大阪・天王寺までゆく。はるばるルーブルから運ばれてきたクレオパトラにマリー・アントワネット、アリストテレスやナポレオンの顔もあった。
美術館を出て新世界の通天閣を目指し、ごった返すジャンジャン横町を通って、ドヤ街近くの、閑散とした山王商店街をくぐり抜け、近道を選んで飛田新地を通り抜け、金塚小学校前からアベノハルカスへと向かった。
飛田新地は100年以上も前から続く日本最大の元遊廓。昭和初期は200軒を越す花街だったとか。戦災を逃れ、今も通りの両側に華やかな軒を並べる。黒岩重吾の小説『背徳のメス』『飛田ホテル』『飛田残月』『西成ホテル』に描かれる、そのままの姿を残している。
玄関に招き猫と「やり手ばばあ」がストーブの横に座って客を招く。30年ほど前、ここを通った時と、ちっとも変わらない。その頃はまだ、遊廓から逃げ出して石段を駆け登ってきた遊女を引き戻したという番小屋跡が残っていたが、今はコンクリート塀に変わっていた。当時、金塚小学校前は、あたり一面、空き地だったが、今は高層マンションが、所狭しと立ち並んでいる。
25年前かな、アルステルダム運河沿いの「飾り窓」地区を歩いたのは。ガラス窓に女がいて、運河の向こうに古い教会があった。一人で歩いていたら向こうから中国系の男がやってきて、通りすがりに「中国人かい?」と声をかけられたのを思い出す。
15年ほど前、ウィーン・プラハ・ドレスデンと旅した時、ドレスデン美術館にフェルメールの「やりてばばあ」(取り持ち女)の絵があった。今年2月、大阪市立美術館に「フェルメール展」がやってくる。もうチケットは、買った。アムステルダム国立美術館で見た「牛乳を注ぐ女」は東京展示のみ、かな。ドレスデン美術館の「やりてばばあ」の絵と、また再会できるのが、今から楽しみだ。
地上300メートルの空へ。アベノハルカスに初めていく。地上60階、300メートル上から、晴れた下界を眺めると、今、歩いてきた道が、地図のように、くっきりと見える。東西南北、大阪の街だけでなく、和歌山、奈良、京都、神戸方面までドローンに乗って飛んでいくような、はるか向こうまで眺められる。この下に大勢の人たちが生きて、それぞれの日常を暮らしているんだ。
4日と5日は、みんなで亀岡の湯の花温泉へゆく。あったかい温泉と畑でとれたての、おいしい野菜と地元産の食材をいただく。2年前、母たちときた時に比べると、やっぱり歳をいった分だけ、お風呂やお食事の世話がかかる。ゆっくりコーヒーを飲む暇もなかったけれど、久しぶりの温泉に、みんなで、ほっこりとくつろいだ。
お正月のシメは、近くの、御所の向かいにある金剛能楽堂で「初笑いおやこ狂言会」を楽しむ。「棒縛」「仏師」など狂言の演目に子どもたちも大笑い。これでお正月も、おしまい。
正月明けに北野天満宮近くのお寺へ、舅と姑が眠るお墓参りにいく。命日が近づくと夢に出てきてくれる二人だが、ふと、義父が、いつもいっていた言葉を思い出した。「遊びはな、休みがあらへんから、くたびれるんやで」。そうか、遊びには休憩がないのか。なるほど。
遊びの合間を縫って、年越しの仕事を仕上げるのに寸暇を惜しんでパソコンに向かう。ああ、また日常が始まった。
みんなで迎えるお正月も、いい。でもね、贅沢だとわかってはいるけど、ヴァージニア・ウルフの「私ひとりの部屋」じゃないけれど、ひとりきりのお正月も、ちょっと憧れるなあと思いつつ。