フォーラム・労働・社会政策・ジェンダー、2019年第一回めの例会は、「『選別しない社会へ』~社会保障とお金の話」と題し、おなじみ北明美さん(福井県立大学教授)をお招きしてのセミナーを開催いたしました。日本の社会保障制度とお金、生活の現状との関係などについては、貧困や格差社会の深刻さには同意するものの、自己責任論や社会保障を手厚くすることへの異論などさまざまなもっともらしい言説が溢れ、実際のところどう考えるべきなのかがなかなか難しい、と思っている方も多いのではないでしょうか。

本セミナーでは、日本の社会保障と貧困について言われていることの是非の検証、「所得制限なしに給付をおこなうと、バラマキになって効果が薄くなる」、「本当に貧困なひとにのみ限りある資源を集中すべきだ」という考え方は逆の結果をもたらすという再分配のパラドックスなどについてのお話と、会場とのディスカッションがありました。それらを通じ、たえず国民を分断し相互の不公平感をかきたてるような言説が流されていることの問題、といった点から、社会保障にどう向き合っていけばよいのかを考える重要なツールをいただけました。

現在の日本の状況において、社会保障を手厚くすることへのさまざまな異論が流布されています。さらにそれらは社会意識のレベルのみならず、政策決定の場でもまことしやかに語られています。しかし、日本の社会保障制度がどのような運用をされているのかの検証なしにそれらの説が信じられることへの懸念があります。

このような点に関し、北さんのお話では、日本の社会保障と貧困についての現状、「定説」への反論が、データを用い丁寧になされました。

日本の社会保障給付では、まず、子ども、家族向けの社会支出がいまだに低いままである。また、日本の社会保障に関し、「現金給付に偏っている」すなわち、現金のバラマキばかりなので、それをもっと必要な現物給付やサービスに変えていくべきだと言われるが、それは間違いである。子ども家族関係支出費の構成を見ると、以前は現物・サービス給付の方が多く、近年になってようやく現金給付がそれに拮抗するようになったのであって、現金給付に偏っているということはない。国際比較でも、現金も現物も両方充実している国はたくさんある。そもそも、二項対立にするべきでなくどちらも増やせばよいはずであるが、少しでも財政支出を減らしたい思惑がこのような言説を生んでいる。さらには、国際的にみれば児童手当の水準はいまだに低く、児童の貧困率は高い、という状況に日本はある。

高齢者向けの社会保障費が子ども・若者世代を苦しめ、ひいては少子化につながっている、という説も嘘である。高齢者への社会保障支出のせいで子どものための社会支出が少なくなり少子化を生んでいると信じられているが、実際は、高齢者向け支出が多く、かつ子ども向け支出も多い国が少子化を改善している。また、高齢者のための社会保障の負担が将来世代へのツケまわしになっているといわれるが、国際的にみて日本の高齢者の貧困率は高い。それを放置し改善しないことこそ次の世代へのツケとなる(実際、現在の非正規や就職困難の若者の層が次の時代に高齢者となる)。自分の老後の将来に希望を持てない社会という負の遺産こそ、残すべきではない。

社会保障が、現在の日本にとって負担だ、その拡大はマイナスの意味を持つ、という言説の多くは、実情を見れば、正しくない。にもかかわらず、それらを「真実」としたうえで社会保障が「改革」されてしまうことこそ、現在および将来の社会にとって大きなダメージを与えることである。こういったことが、あらためて認識されるお話であったと思います。続いて、北さんは、行政が「必要」な人と認める場合にのみ社会保障を行う「選別主義」が社会に及ぼすマイナスの影響と、対象となるすべての人に等しく行う「普遍主義」の意義について、述べられました。

こちらも、一般に信じられていそうなこととして、社会保障や現金給付は「真に必要な人」のみを対象とすべきだ、という言説があります。このような考え方やそれに基づく制度設計を「選別主義」と呼び、働けるのに働かない、ような「本来必要ない人」までもが、自分たちが働いて納めた税金を使っている、不公平だ、という感覚が「選別主義」の背景にはあります。しかし、むしろ、すべての人が同じように給付を受けられる「普遍主義」のほうが、社会保障は充実する、という「再分配のパラドックス」を考えることの重要性が、お話の中では述べられました。なお、「再分配のパラドックス」は今ではもう通用しなくなったといわれたこともあったのですが、最近ではまた再評価されているそうです。

お聴きした内容から自分の理解でまとめると、一部の貧困層にしか恩恵が無いとなると、それ以外の中高所得層は、納税したのにサービスや給付から排除されるという不満を持つ。結果、そういった層は社会保障ではなく民間のサービスを買って自力で備えるようになり、税や社会保険料を支払うことへの抵抗が高まることとなる。税、社会保険料の収入が減ると、生活保護や医療保険等が縮小され、貧困層を優遇したはずが、結果として貧困層に打撃を与えることとなる、ということがひとつ。

さらに、選別主義には、どこで線引きをするのかの困難がつきまとい、その結果、「対象となった層」に対する「ならなかった層」の不満による分断が生じる。対象となる人が、本当に給付やサービスを受けるにふさわしいか、努力の有無、態度、生活、国籍などさまざまな点からジャッジされ、価値判断されるという社会になる。そしてそれはすべての個人に関係する問題であること。

選別主義には問題が多く実際、選別主義の社会保障制度をとる国の貧困率は高いなどのデータもありますが、一方で、現状の日本ではまだまだ選別主義的な考え方が支持されています。この選別主義の正当化にはしばしば「不公平感」という言葉も使われます。

お話では、それでは公平とは何か、という問いかけがなされ、2000年以降のさまざまな政策の中で、いかに公平という用語がことあるごとに持ち出され、人々の制度への不満をかきたてることによって社会保障の切り捨てが行われてきたかについての詳しい解説がなされました。このような政策決定の場での「公平」は、まずは自力で、その次は家族や地域が助け合うべき、という自助共助の思想や、社会保障支出の削減と民間委託での効率化や市場化と密接に結びついたものであるともいえます。

北さんは最後に、こういった社会の中でさまざまに言われている言説に騙されず、現実を知り、発想の転換をすることが重要であり、また、財務省サイドにたいし、常に声を送る・声をあげることが大切であると述べられました。

セミナーを通じ、恥ずかしながらまことしやかに言われていた言説に自分自身囚われてしまい、社会保障の未来について暗い気持ちしか持てず、もやもやとしていたことがだんだんはっきりとし、向き合い考えていくための大きなヒントをいただけました(報告 荒木菜穂)。