呆れるほかないニュースが飛び込んできました。性暴力被害を告発した伊藤詩織さんに対し、当の相手方である山口敬之氏がなんと1億3千万円の損害賠償を求めて反訴したというのです(https://www.excite.co.jp/news/article/Weeklyjn_18197/ 他)。
 伊藤さんは山口氏を相手取って民事裁判をしており、審理が進んでいます。山口氏の反訴は、この動きをストップさせ、逆に再び伊藤さんを脅して口をふさごうとする意図があからさま。到底、許しがたいです。
 伊藤さんの訴訟を支援する動きはすでに始まっていました。伊藤さんはじめ声を上げた被害者を孤立させず、その勇気にこたえようとする人々が、Fight Together With Shiori (FTWS)を立ち上げ、その発足の集会が4月10日に予定されています。https://twitter.com/search?q=%23FightTogetherWithShiori&src=tyah 今回の山口氏の反訴は、支援をさらにパワーアップさせることでしょう。私自身、FTWSに連帯し、微力を尽くしたいと思っていますが、多くの方々にこの動きに連なっていってほしいと願います。

「性被害ビジネス」!?!
 私は以前WAN上に、山口氏やその擁護者たちが、いかに男性中心的で身勝手な思考に凝り固まっているか、いわゆる「強姦神話」に浸りきっているかを、「強姦神話」を暴く---山口敬之氏手記を批判するで書きました。言うまでもなく、彼への批判は他にも多々ありました。しかし氏は、反省どころか、今度はなんと伊藤さんが氏を「性被害ビジネスに利用した」と言っているのです。
 性被害ビジネスとはいったい何でしょうか。伊藤さんは、氏からの被害に苦しみ、さまざまな嫌がらせや圧力にも耐えねばならなかったというのに、しかもそのせいで日本で仕事が続けられず命の危険さえ感じてイギリスに居を移さざるを得なかったというのに、金儲けに利用したかのような言い分は、あきれるしかありません。今後、伊藤さんの本訴でも反訴でも、氏の主張のおかしさが暴かれ責任が追及されていくことを期待します。

 しかし驚くことに---残念ながら「驚き」とは言い切れないのですが---山口氏擁護は反訴についても続いています。「透析患者は殺せ」「女の8割はハエ」などという差別的暴言で知られる長谷川豊氏は自身のブログでこの訴訟の件を取り上げ、「99.9999%山口氏が勝つ」と断言しています(あえてURLは示しません)。
彼らはいったい、何を信じてこういうことを言っているのでしょうか?


民事と刑事は違う
 伊藤さんを攻撃する人々の論拠でよくあるのは、山口氏が検察の起訴を免れていることです。山口氏は、自らのフェイスブックにこのように書いています。

「『うら若き女性が被害を申し出たのだから真実かもしれない』と憶測を巡らせるのは個人の自由です。しかし女性の訴えはすでに、検察と検察審査会によって、2度にわたって退けられています。犯罪捜査のプロである検察官と、一般国民11人からなる検察審査会が、全ての証言と証拠を詳細に検証した末に退けた女性の訴えを、それでもなお正しいと主張するのであれば、根拠を示すのは当然の義務です」。
「もし、何の根拠も示さずに『あの人物は犯罪者である』と断定し公に流布するなら、その主張そのものが犯罪です」。

氏が何らかの政治的力によって起訴を免れたのではないかという推測もありますが、そのようなことを抜きにしても、性加害を罪に問うには日本ではきわめて高いハードルがあります。この数か月の間だけでも、じゅうぶんな抵抗がなかった、合意があると加害者が錯誤していた等々の非現実的な理由で無罪判決が出続けていますが、そこに至る以前の告訴のハードルも日本ではきわめて高いのです。
 しかし、犯罪として国家による裁きを受けることと、他者の行為が不法であるとして個人間で民事で争うことはレベルが全く違います。刑事では罪に問えなくとも民事で勝った、という例はよくあることで、山口氏の「犯罪とは認められなかったのだから真っ白」のような論法はごまかしと言わざるを得ません。代理人もついているのですし、民事と刑事の違いくらい承知しておられるはずですが、わざとそれを無視しているのでしょうか?
 氏は、「何の根拠も示さずに」と言っていますが、自ら送信したメールや雑誌等での手記や発言で、嘔吐を繰り返していた伊藤さんが自らセックスを望んだとか、コンドームもせずに行為に及んだなど、非合理な理屈付けで伊藤さんの意に反した性行為を行ったことを自ら証明しておられるのですが、、、。


男性の性的特権意識 male sexual entitlement
 こんな無茶な論法で攻撃してくる山口氏はじめ擁護派の発言からは---彼らがどれほどそのことに意識的かどうかはわかりませんが---女性が性被害に声を上げることをどうしても抑えつけたい、という思いが透けて見えます。そこで想起するのが、male sexual entitlement という概念です。「男性の性的特権意識」とでも訳せるでしょうか、男であれば女性に性的な接近や性行為をする権利がある、と無意識にも思い込んでいて、世の中は男性にセックスを支払う義務を負っているのだ、という考えや態度を指します。男が好きな時に好きなように性を享受するのは当然の権利だ!というわけです。

 そんなの馬鹿らしい、と思う人も多いでしょう。いくらなんでもそんな厚かましい考えの男はいないだろう、いればよほどの「異常」者だと。
 でも果たしてそうでしょうか。妻の体調や気分は無視して、セックスするのは夫としての権利だと思い込んでいる男性は珍しくないのでは?「非モテ」は性的権利が認められない「性的弱者」だと論じる人々もとくにネットではよく見ますが、彼らは、男性であるだけでセックスを享受できるはずと考えているのでしょうか?

 レイプ加害者や痴漢加害者にも、行為が発覚し捕まったとしても、相手も喜んでいた、セックスしてやった、触ったくらいで、と開き直りを繰り返すケースは少なくありません(牧野雅子『刑事司法とジェンダー』、斉藤章佳『男が痴漢になる理由』他)。盗撮や覗きに至っては、相手は気づいてもないのだからちょっとした楽しみをやって何が悪い、と、、、。これらにもやはり、男性の性的特権意識がうかがえます。

特権意識はどこにでもある
 そんな犯罪者と一緒にしてほしくない、と思う男性は多いでしょうが、でも、「普通」の人ならそうした考え方とは本当に無縁なのでしょうか? 痴漢被害について話をしているのに、すぐに「冤罪被害も多い」と反論しだす人の多さ。(Eテレ「痴漢の論文」に質問状を出しました!  をご参照ください)。
 前述長谷川豊氏も同じ記事で、自分は「痴漢冤罪被害事件を何度も特集した」と自慢げに書いておられます。

 また、#MeTooの動きの中で、「同意のないセックスはレイプ」という(当たり前の)ことがようやくあちこちで聞かれるようになりましたが、それに対するよくある反発が、「同意を取らなくてはセックスできないなんてムードが壊れる」というもの。でも、同意を取らないのに、なぜ相手が自分とのセックスを望んでいたと思い込めるのでしょうか?相手の真の同意など知ったことではない、自分がセックスしたいからするのだ、そういうことではないでしょうか?
 女性と性行為したり女性に性的な接近をすることに熱心でない若い男性たちを「草食系」と揶揄する物言いもよく聞きます。でも、その逆の草食系ではない「男らしい」男として称賛されていたのは、相手の意思を配慮も考慮もすることなく自分の性的欲望を押し付けていたにすぎないのではないでしょうか。そしてそれが「男として」当然のふるまい、と思っていたとすれば、それもまさに、男性の性的特権意識、male sexual entitlement。

 話は、リアルな人間関係には限りません。コンビニではあからさまな表紙の男性向けのエロ雑誌が誰の目にも触れるところに陳列される、広く人々を集める大規模公開イベントでおっぱい触りほうだいのパネルが展示される、、、例を挙げたらキリがないですが、男性の性的欲望はいつでもどこでも公開OKなのです。これらが通常の光景、「面白い」企画だと何の疑問も持たれないのですから、私たちの社会は、male sexual entitlementに満ち、男性に限らずそれを当然としている人々で溢れているといえるのではないでしょうか(こういうことを書くと、フェミニストが性的保守に転じているなどと見当はずれの批判をしだす人がいますが、それもまた、男性の性的特権意識に無自覚ゆえでしょう)。

 こうした中で、女性たちが挙げる性被害告発の声は、そうした男性特権にヒビを入れようとするとんでもなくけしからん振る舞いに思えるのではないでしょうか。そして、そんな暴挙を企てる女たちには、二度とそんな振る舞いができないように鉄槌を下しその声を叩き潰さねばならないと心に堅く誓っている、、、そんな想像は、私の「妄想」に過ぎないのでしょうか。

伊藤詩織さんを力強くサポートしよう!
 これまでにも、性被害を告発した女性は、しばしば手ひどい攻撃を受けてきました。数知れぬそれらの方々の悔しさに思いを馳せつつ、今回の伊藤さんへの攻撃を何としても阻止し力強いサポートをしていかねば、と強く思います。メディアで注目されているだけに、彼女への攻撃が是認容認されてしまえばその「効果」は抜群です。こんな目に遭うのなら、、、と二度と女性たちは声を上げられなくなるでしょう。伊藤さんへの反訴は、過去と将来を含めたすべての性暴力被害者への攻撃であり、日本の社会でmale sexual entitlement を固く保持し続けようとする姿勢の誇示に他なりません。女性も男性も一人ひとりが、自らに深くかかわることとして、伊藤詩織さんの裁判にご注目、ご支援ください。