WAN10周年記念シンポジウムのポスター。かっこいいです。ハイヒールを履き、パンツが見えても気にせずファイティングポーズな女性像。
フェミニスト・アーティストである金明和(キム・ミョンファ)さんによるデザインのこの 「ポスターの彼女」は、同じくフェミニズムの観点から違和感を示されることもある。女性が性的に消費される際に象徴的な下着のチラ見え、ハイヒール。ポスターデザインについての解説がなされたこちらの記事にも「こうした女性像こそ、フェミニズムが批判し拒否してきた女性表象」と示されている。しかし、この「彼女」は、ミニスカとハイヒールで、男性中心主義的社会に性的に欲望される視線を蹴り飛ばす。女性が、望む望まないに関わらず性的対象とされる事実に抗議し、反撃することは、「性的に見られぬよう努力する」ことではない。どのような姿であろうが、何を身に着けていようが、同意なく欲望され行動されることに、「彼女」は不快を示し、許さない。
「性的に見られぬようふるまう」ことは(性的欲望の視線を拒否する目的があったとしても)、ジェンダー構造が求める女性像でに沿うことでもある。それは、性的な女性を悪とし(でも欲望はする)、善き女性は性的であってはならないとする、性の二重基準に基づいた、一方で男性優位な、他方で女性が分断される構造である。「ポスターの彼女」は、そういった二重基準をも拒否する姿勢を示しているとも言える。性的なことも含め、私のふるまいは、私が決める。ジェンダー社会も、フェミニズムも、私の選択を奪えない。セックスワーク論や女性の性解放にもつながる、ある種古典的な女性の主体性をめぐるフェミニズムの議論の終わりは見えないが、わたしはわたし個人の経験から、ポスターの彼女の選んだ主体性を支持したい。フェミニストとして。
わたしが性的であるかどうかは、他の誰でもない、私自身が決めること。決められること。私の身体は私のもの。今は強く思う(思いたい)が、実際、わたしが女性としての身体を自分のものと感じるには、自分の性的な関心や欲望を違和感なく受け入れるには、長い葛藤があった(今も完全に葛藤が無くなったとは言えない)。自分の身体を奪われる感覚は、ひとつはジェンダー構造における男性優位な性の文化によって、ひとつは女性を性的弱者と位置づけるフェミニズム(その主張にはもちろんリスペクトすべき部分もたくさんあるが)によって、もたらされていた。と思う。しかし、とある経験から、その葛藤から自由になる可能性を感じることとなった。「ポスターの彼女」はそのようなワタクシゴトを思い出させてくれる。
フェミニズムというものを知ったころのわたしは、女性をモノ扱いする男性中心主義的なエロの文化に女性の無力さを、またそこでの価値基準において自分の容姿や性的価値が下の下であることに屈辱を感じ、性的なものへの拒否感のみを激しく持っていた。わたしの女性の身体は、この社会の本音の部分では女性が人間扱いされない現実を象徴するものであり、男性中心主義的社会に価値づけされ、汚らわしいものであるとさえ思っていた。
あるとき、とあるライブイベントのフライヤーを目にした。そのチラシには、セクシーなボンテージ衣装を身に着けた女性が、丸出しにした大きなバストを手に持ち、見せつけていた。当時のわたしはそのイラストに、女性のハダカ、性的なもの、というだけで、反射的に嫌悪感を持った。
しかし、チラシのデザイン自体は、ロックでとてもかっこいい。そう思う自分も一方にいる。衣装もかっこいいし、艶めかしいとうよりは、力強い元気な線で描かれている。よくよく見ると、女性の表情は、よくある男性に媚びるようなものではなく、とても挑戦的で自信に満ち溢れている。セクシーな自分の身体、かっこいいでしょ!隠したりしないわよ(って女言葉もアレだけど)!男受けするポーズなんてとらない、私が好きな私の格好をしてるだけ!そんな風に言ってるようにも見えた。
女が自分の身体や欲望を肯定することで生まれるパワー。たしかに、例えば女性の身体を女神的な崇拝をもってパワーと結びつけて示す表象は、ジェンダーに沿った幻想のようで気持ち悪い。しかし、女性たちが、自分の身体、エロの部分、欲望を、自分のものとして愛し、楽しむパワー。男たちに解釈されてきた女性像とは異なる女性像を示す。女性の身体、性的な部分をそういう風に受け止め、価値づけを跳ね返す力。そんな自由があるのか。と、目からうろこの、衝撃を受けた。そして、そのとき、自分自身の身体や性的な部分を、それは、他の誰でもない、自分自身のものである、のかもしれない、という認識を初めて持つことができた(ちなみにそのチラシは、女性バンドばかりが属している某有名レーベルのイベントのチラシだった。女性の創る文化が女性を性的に売り物にするなんて、という嫌悪感は本当に最初だけだった)
性的な攻撃や侮辱を受ける危険から、各自の女性が身を守ることも、それらが生じないようにする社会のしくみを作っていくことも、重要なことだし、フェミニズムだ。女性の身体や欲望を性的な攻撃を誘因するものとして封じ込めることは、女性を守ることがそれで本当に可能であるならばフェミニズム的な意義もあるだろう。現段階のこの社会の状況では、実際に、それで守られる女性が存在が存在する事実も否めない。しかしながら、問題の元凶はその女性の身体や欲望ではなく、誘因される男性中心主義的文化にあることである。そうである以上、攻撃の一時的な回避にしかならない。例えば、痴漢に遭いやすいのは、セクシーな服装である女性よりも、おとなしく抵抗しなさそうな外見の女性であるとも聞く。むしろ女性の身体や欲望やステレオタイプを隠すことよりも、それらが「あたりまえ」とされない社会を作り出すほうがフェミニズムなのだと思う。
また、冒頭でも述べたように、女性自身の自由な身体や表現を否定する意味では、「隠すこと」はフェミニズム的でない、とわたしは思う。自分がそうでいたい自分のままで生きること、性的なものを肯定する自分も、欲望する自分も否定する必要がない。それがフェミニズム。そんな気持ちのわたしは、ポスターの彼女に、すべての、自分の欲望や身体を愛するすべての女性たちに、励まされている。
しかし例えば、かつて目にしたフライヤーにも、今回のポスターにも、少しでも「男好きのする」要素を感じていたなら、元気をもらう部分があったとしても、複雑な気持ちや反発のほうが大きくなっていたと思う。どこからが「男好きのするイメージ」か、どのからが、男性支配的な欲望への抵抗か、は個人個人の解釈によるものも大きいと思う。また、抵抗のつもりのイメージやふるまいが、男性中心主義的社会に都合よく解釈されてしまうこともあるだろう(それはそのイメージやふるまいのせいではなく、都合よく解釈する側の問題であることは忘れてはならないが)。
そのイメージに屈辱を感じる人、勇気をもらう人、さまざまに居ていい。様々に口に出してよい。他人の思う、不快や問題提起を、封じ込めてはいけないし、好きだという人にたいすることも同様だ。以前の投稿でも書いたけど、自由に語り合えてこそイメージは存在の意味があると感じる。わたし自身は、フェミニストとして、今回のシンポに際し、怒りとフェミニズムを体現するためにここに居るポスターの彼女に、心からの敬意を表したい。(荒木菜穂)
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2019.05.01 Wed
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