「草もなく木もなく実りもなく吹きすさぶ雪嵐が荒涼として吹き過ぎる。はるか高い丘の辺りは雲にかくれた黒い日に焦げ、暗く輝く地平線をつけた大地のところどころに黒い漏斗形の穴がぽつりぽつりと開いている」という書き出しで始まる野間宏の『暗い絵』。

 これは、ピーテル・ブリューゲルの「死の勝利」を描いたものかと思われる。その絵はマドリードのプラド美術館で見た。そしてウィーン美術史美術館で見たブリューゲルの「バベルの塔」も、同じく圧倒される思いで眺めたことがある。

 野間宏は、「この書き出しの一行が、いかにしてもペンの先から出てこなかった」という。友人から借り受けた『ブリューゲルの画集』について書き留めていたメモの切れ端から、「次第に紙の上にその形と色と響きと匂いなどを備えて、その底の方に重なりあうようにして、動いている流れ、リズムを、現したのである」と書く(『暗い絵』著者から読者へ 1989年2月)。

 野間宏の小説は、人や情景を表現するのに、長い、粘着質の文体が何ページにもわたって続いてゆく。読み進むのがしんどい。でも、なぜか途中でやめられない。他の小説もみんな同じ。

 『暗い絵』は、1930年代後半の京都が舞台。特高警察の監視の目が光るなか、京大生・深見進介を主人公に、その仲間たちとの心象風景を描く。近づく革命を目指し、「仕方のない正しさ」に向かって突き進み、獄死していった3人の学生。彼らに共感しつつも、彼らと決別し、彼らとは異なる「自己保存と我執」に踏み止まる深見進介。殉教者にも背教者にもならず、「あるかなきか」の自らの道を選びとることで、深見進介はその後の戦後を生き延びてゆく。大切な「ブリューゲルの画集」は、1945年3月13日、大阪大空襲で焼失する。1945年4月~10月、『黄蜂』に連載、1947年10月、野間宏の初の単行本となった小説だ。

 別れて30年になる、もと夫は学生時代、大阪市立大学「杉本文学」に所属し、京都大学新聞社小説コンクールに応募。彼が書いた「歩行」の他3点が佳作となる。選者は野間宏と井上光晴。はるか昔、二人でいった喫茶店の片隅で、新聞に掲載された入選小説を読ませてもらったことがある。

 大阪市立大学は、当時、「関西ブント」が学生運動を主導していた。同級生に「連合赤軍」の森恒夫や、1年先輩に「よど号ハイジャック事件」の田宮高麿がいた。セクトにシンパシーを感じながらも距離をおく深見進介に自らを重ねて、彼は「歩行」を書いたのかもしれない。後に、妙義山中で逮捕され、獄中自殺をした森恒夫のことを「いい裏方であっても、リーダータイプではなかった」と言い、田宮高麿は「何をやっても、なぜかうまくいく男だった」とポツリと彼が語ったのを思い出す。

 その後、毎日新聞学芸部記者となった、もと夫は、東京・小石川の野間宏の家をたびたび訪ねた。畳が抜けるほどの本の山に囲まれ、酒と不規則な生活をする野間宏に、おつれあいの光子さん(富士正晴の妹)から、「八木さん、何とか言ってくださいよ」と何度も頼まれたという。

 それから数年後の1978年11月、日本安楽死協会(太田典礼理事長)が目論む「安楽死法制化」に反対して、もと夫が事務局となり、「安楽死法制化を阻止する会」を立ち上げる。発起人は武谷三男、那須宗一、野間宏、松田道雄、水上勉。1977年1月、京都の義母の看病のため、京都に戻って1年目の1978年12月、京大講堂で「安楽死法制化を阻止する会」総会シンポジウムを開いた。

 1987年5月、憲法記念日に朝日新聞阪神支局襲撃事件で小尻知博記者が凶弾に倒れた日の深夜、野間さんが心配されて京都の我が家へ、長い、長いお電話をいただいたこともあった。

 その頃、住んでいた家のすぐ近くにいらした松田道雄さんは、その後、交通事故と脳梗塞でマヒを得た、ゑい夫人を、娘さんの佐保さんとともに介護されていた。つい最近、読んだ本、宮田さよ子著『私は高齢介護請け負い人』(岩波書店、1999年3月)の中に、宮田さんが訪問看護師として、ゑい夫人を看取り、松田道雄氏ご本人も、ご自宅で最期をみられたことを知った。

 ご近所のよしみで、拙著『関係を生きる女(わたし)』(批評社、1988年)をお届けすると、思いがけず、松田道雄著『私は女性にしか期待しない』(岩波新書、1990年)の一章に、私の「おんな労働組合(関西)」の箇所を紹介され、達筆なお手紙を添えて送ってくださったことも懐かしい。

 「安楽死法制化を阻止する会」の発起人のみなさんは、もう、この世にはおられない。

 「安楽死」と「優生思想」は表裏一体の関係にある。3月16日、判決が下る相模原障害者殺傷事件の、「津久井やまゆり園」の人たちのことを思う。

 東大全共闘を闘った最首悟さんは、障害をもつ娘・星子さんと共に生きる。「相模原事件を考える」の新聞記事で、最首さんは「社会は、一番身近な「あなた」と「私」から始めることが大切です。その輪を少しずつ広げていく。直接一人ひとりと向き合ってつなげていくしかない人間関係を温めていく。弱肉強食では穏やかさは得られません。穏やかさとは希望だと思う」と述べていた(毎日新聞2019年12月17日付)。ほんとに、そのとおりだと思う。


 新型コロナウイルスのパンデミックを奇貨として、どさくさ紛れに安倍政権は「特措法改正案」を決定。3月13日、衆参両院本会議で可決。いよいよ安倍首相の「緊急事態宣言」発令が可能となり、いくつもの「私権制限」が、どんどん始まる。ああ、「暗い、冬の時代」が着々と進んでゆく。どうしてくれるんだ。人々が、阿呆な政権を選んだばっかりに。

 42歳で早世した桐山襲の全作品集が作品社から刊行されたことを、2019年8月19日付毎日新聞で知った。「パルチザン伝説」「風のクロニクル」などで知られる桐山襲は、「なかったこと」にされてきた1970年代の反乱を、80年代に「闘争」の文学として書き残した。「桐山の死から四半世紀以上がたつ。今の「暗い時代」に彼の「闘争」をどう引き継ぐべきか、『全作品』は読者に突きつけている」と鈴木英生・毎日新聞東京学芸部記者は書く。どっしりと重い、この本をじっくりと読んでみよう。

 あれこれと本を読む。ところが、なのだ。今年2月末、いい本揃えをしていた京都四条のジュンク堂が閉店してしまった。さらに京都寺町三条「三月書房」も、この6月で閉じるという。近くの松田道雄さん宅へ、先代店主の宍戸さんが、よく自転車で本を届けていたのを憶えている。町家風の本屋で、大好きな本の一冊、一冊を眺めるひとときが、なんとも楽しい時間だったのに。亡くなった宍戸さん夫妻のお顔を思い浮かべて、ほんとに残念だ。

 新型コロナウイルスで全国一斉休校となり、小学校3年の孫娘は、元気をもてあまして、毎日、近くの御所や賀茂川のほとりを走り回っている。この子たちのためにも、「暗い、冬の時代」を、もう少し生き延びていかなければ、と思う。

 「春は名のみの」とはいえ、自然は決して「時」を忘れない。きっと春はやってくるよ。