最近、戦時中はどうだったんだろうか、とよく考えます。コロナ禍の記憶は、どのように継承されていくのでしょうか。
少し旧聞に属しますが、朝日新聞北陸版「北陸六味」という連載コラムに書いた一文を。


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孫世代に打ち明ける戦争

 この夏もまた、敗戦の記憶をめぐる報道のあれこれが登場した。
 ここ数年の新しい動向は、これまで語られたことのない、トラウマ的な経験が対象になったことだ。旧満洲引揚時の性暴力被害、焼け跡闇市の浮浪児経験、長崎被爆後のキリスト教徒と被差別部落民の対立など。それだけではない。戦中派の孫世代にあたる若い研究者たちが、これまでタブー視されてきた研究主題にとりくんだ。皇軍がひさしく隠蔽してきた戦争神経症の兵士たち、口に出すこともはばかられた「パンパン」の研究。
 語り出したのは80代から90代を超えた高齢者たち。聞き取るのは30代、40代の若い研究者。経験者たちは口をそろえていう、「これまで家族にも話してこなかった」と。墓場まで持っていくしかない経験について、高齢者が重い口を開き始めたのは、今語っておかなければもう間に合わない、と思ったからだろう。筆舌に尽くしがたいと思われていた硫黄島の戦闘経験を、当時17歳の海軍通信兵だった秋草鶴次さんが各地で語ったのは、80歳を超してからだった。鴻上尚史さんが『不死身の特攻兵』(講談社現代新書、2017年)で紹介した佐々木友次さんがテレビで証言したのも70年後だった。

 今のうちに親の体験を聞いておかなければ、と思っても、子が親に向きあうのは難しいものだ。親は目の前の権力者として、子の前に立ちはだかる。そこには支配も反発もある。親から目を背けるのが子かもしれない。わたしにも覚えがある。その点、孫世代には距離がある。短大教員だった頃、学生に「おばあちゃんのライフヒストリー」を聞き書きに行ってらっしゃい、と課題を出したが、「お母さんのライフヒストリー」より、ずっとやりやすかったことだろう。
 歴史家の吉田裕さんは、『兵士たちの戦後史』(岩波書店、2011年)のあとがきで、こう書く。
「思春期、青年期の私は、なぜあれほどまでに無慈悲に、父親の世代の戦争体験に無関心、無関係を決め込んでいられたのだろうか。」
 その吉田さんの弟子が中村江里さんだ。吉田さんの示唆を受けて、国府台陸軍病院に秘匿された8千件あまりのカルテを分析して戦争とトラウマ 不可視化された日本兵の戦争神経症』(吉川弘文館、2017)を書いた。距離があるから、はじめて言える、聞ける、書ける...こともある。

 日本人は長生きになった。いま90歳を超えて生きる確率は、女性が二人に一人、男性が四人に一人以上。90歳近くになってようやく重い口を開くとしたら・・・。こんなことを言っているひとがいた。もし戦前みたいに日本人が40歳、50歳で死んでいたら?記憶がなまなましすぎて、語られないまま、あの世へ持っていかれたかもしれない。わたしたちは戦争体験者の直接の語りを聴くことのできる最後の時代に立ち会っているが、彼らが長生きしてくれるおかげで、語られてこなかった記憶を聴くことが可能になったともいえるのだ。そう思えば、短命で終わったわたしたちの先祖の死と共に、どのくらいの記憶があの世へ持ち去られたことだろう。
 長生きにも、こんな効用があるとは知らなかった。
(朝日新聞朝刊北陸版2019年9月16日付け「北陸六味」/朝日新聞社に無断で転載することを禁じる。承諾番号18-5999)

追記
そういえばこれを書いたあと、旧満州引揚者の性暴力被害当事者、佐藤ハルエさんを取材したNHKの若いディレクター、川恵美さんによる『告白 満蒙開拓団の女たち』(かもがわ出版、2020年)が出ましたし、佐藤さんには、岐阜新聞のこれも若い女性記者、大賀由貴子さんが長期にわたる取材をして、「封印された記憶 岐阜・満洲黒川開拓団の悲劇」という連載記事(2018年4月24日-11月19日)を書いています。佐藤さんをお訪ねしてご一緒したとき、大賀さんから「わたしたちの世代の課題は?」と聞かれて、こう答えました。「当事者から直接体験を聞いた最後の世代。これから先は、次のまた聞き世代に伝えていかなければならない。直接聞いた者の責任を果たす必要がある」と。こちら