
2人の著者の優れた取材から唐鳳(オードリー・タン)の魅力的な像が浮かび上がってくる。京都四条の東急ハンズ前、カライモブックスの古本市で見つけた、アイリス・チュウ/鄭仲嵐(共著)『オードリー・タン(Au)天才IT相の7つの顔』(文藝春秋、2020年)を一読し、すっかりオードリー・タンのファンになってしまった。
35歳にして台湾のIT相になったタン。「IQ180だが、学歴は中卒。ハッカーのDNAを持ち、いつでもプログラムが書ける達人。Appleで顧問としてSiriの開発に携わったこともあるタンは、自らトランスジェンダーであることを率直に表明する」とある。1981年、台湾生まれ。2016年10月、蔡英文政権で行政院に入閣。現在、無任所閣僚の政務委員(デジタル担当)を務めている。
2020年2月、新型コロナウイルス感染症の広まりに、IT担当相のタンは台湾のシビックハッカー(市民の政治参加に関心をもつプログラマー)が集まるコミュニティ「g0v(零時政府)」とタッグを組み、人々が全員、迅速にマスクを購入できるよう、アッという間に「薬局版マスクマップアプリ」をつくりあげた。
台湾のコロナ防疫対策が成功した3つの柱(3F)とは? ①水際検疫の早期実施(Fast)。②防疫物資の公平な分配(Fair)。③人々とのユーモア溢れるコミュニケーション(Fun)。ユーモアのあるコミュニケーションは、フェイク情報防止にもなるという。1980年代、フリーソフトウェア運動を起こしたリチャード・ストールマンのいう、ハッカーが追求する世界観、即ち「権威やビジネスの枠組みを放棄し、誰もが自由に無料でアクセスできる“人権”を持つことで、世界を改善し、進歩を促す」という思想が、そこに流れているのではないか。
多忙な日々、タンは時間の使い方がうまい。時間管理の秘訣は「ポモドーロ・テクニック」にある。25分間仕事に専念し、5分間休憩を繰り返す方法だ。休憩の5分間でネットユーザーからの多数の質問に答える。この方法を発明したイタリアのフランチェスコ・シリロは、トマト(イタリア語でポモドーロ)の形をしたタイマーで25分間の仕事時間のリズムを設定したとか。わあ、面白い。私もぜひ真似してみよう。
そしてタンは、よく眠る。毎日8時間の睡眠をとり、短期記憶を長期記憶に止めるのだという。眠る時間だけは私だって負けないけど、ゼーンゼン違うなあ。
タンの父は唐光華、母は李雅卿。ともに新聞記者だった。小学1年生で連立方程式を解くほどの天才だったタンは学校になじめず、小学3年生で哲学科の大学院生・陳鴻銘と出会い、対話の楽しさを学ぶ。①批判的思考(critical thinking)、なぜ自分がこう考えるのか、なぜ他人がそう考えるか、その理由を考える。②ケア的思考(care thinking)、討論の際、他人がどう考えるかに配慮する。③創造的思考(creative thinking)、もっと独創的な考えができるかどうかに踏み込み、自分らしいものを生み出す。
まあ、すごい。小学生も大人も、こんな考え方を学べたら、どんなにいいかと思う。
やがてドイツに留学した父のもとで1年間、ドイツで自由な教育を受ける。海外への進学を考えていた両親に、タンは「台湾に戻って教育を変えたい」と言う。そして小さい頃から親しんだデジタル世界のハンドルネームをAutrijus(みんなの子ども)と名付ける。両親の理解と周りの人たちに守られて、タンは幸せに育ったんだ。
14歳で中学を中退。1人、詩を読み、プログラムをつくり、考える時間を生きる。2005年2月~2006年11月、プログラム言語Perl6(現Raku)のプロモーションのため、世界20カ国を訪れ、旅の途中で24歳の時、自らトランスジェンダーであることを選んだ。
Facebookの性別欄は、2014年から「男性」と「女性」以外にLGBTの56種類の性認識が項目に加わり、多様な選択が可能になったという。もともと台湾では夫婦別姓だが、2008年、登記婚(両人の登記)へと法律が改正され、婚姻制度の、2人の個人を結ぶ「婚」は残し、2つの家族を結ぶ「姻」を外して、「結婚不結姻(婚を結び、姻を結ばない)」とし、結婚はシンプルに2人の間のものとなっていた。
2017年5月、台湾司法院(法務省)は「民法が同性同士の婚姻の自由と平等の権利を保障していないのは違憲に当たる」とし、法律の改正や制定を2年以内に行うよう立法院に求めた。そして2019年5月17日、同性婚特別法が成立。アジアで初めての同性婚の法制化だ。その日、立法院(国会)の外では平等の権利を支持する4万人の人たちが歓声を上げたという。
「人々を性別からではなく、その人個人の特質から認識する。そのような時代が、真に到来しようとしているのかもしれない」と本書は予見する。
すごいなあ、台湾はどんどん進んでゆく。翻って日本はどこまで遅れているのか。
2014年、政府は「海峡両岸サービス貿易協定」を強行可決。中国大陸資本に台湾の中小企業が淘汰されることを危惧し、学生たちは運動を立ち上げる。「ひまわり学生運動」の始まりだ。ネットとSNSを使い、「透明性(Transparency)への挑戦」と「情報格差を解消せよ」をスローガンに「すべてを明るみに出す」ことで「情報の中立性」を実現、デジタル方式でみんなが政治に参画するようになる。タンも運動に大きく貢献し、やがて政府と学生との対話を経て闘いは穏やかに終了した。
「ひまわり学生運動」を契機に、若者たちは、2015年、「道路ではなく、インターネットを」と、政府に議案を提出できる「JOIN」(参加型デジタルプラットフォーム)を設置する。台湾に居住する人々が2日間で5000人の賛同を集めれば、政策に反映できるというルールだ。2019年7月のプラスチック・ストロー禁止法案も参政権をもたない一女子高生による書き込みがきっかけだった。今、台湾のお店ではタピオカティを「プラ製ストロー」では飲めない。
ミャンマーや香港で闘われる若者たちの改革運動も、その流れを組む。デジタル・ネットワークの広がりは日本からの参加も可能だ。ぜひ彼らに呼応しなければ。
タンは言う。デジタル化の進展には「高い共感力」が必要。「共にその場」にいる「同質性」も大事。そしてタンにとって「ブロードバンドは人権」であり、ネットワークは彼女の魂が宿る場所だという。
本書の特別付録に「台湾、新型コロナウイルスとの戦い」が載っている。コロナ禍への対策で「最も有効なワクチンは透明性のあるコミュニケーションだ」と書かれている。2003年の悲惨なSARSとの戦いを教訓に、台湾防疫指揮センターは台湾社会の動向を刻々と読み込み、水際作戦を徹底した。しかもその「防疫共同体」の対象は台湾人だけでなく、71万人の外国人労働者も共に守っていたのだ。さすがだなあ。
東アジア、東南アジアのデジタル化のスピードは速い。それに比べてアナログのよさを極め尽くした日本は一歩遅れをとっている。
日本でのアナログを極めたものとして、トヨタの「カンバン方式」が知られる。在庫処理と部品供給のジャスト・イン・タイム(JIT)生産システムだ。各工程に必要な物を、必要な時に、必要な量だけ下請けから供給させ、在庫管理を行う。難しい理論もコンピュータも使わず、アナログで、人の手によって。だがそれはトヨタの効率向上のため、常に在庫を抱えなければならない下請け業者の犠牲の上に成り立つものではなかったか。
しかし今後はデジタル化だけでなく、アナログのよさも併用していくことが必要となるだろう。私も、1980年代はじめ、ワープロからパソコンへと何台も機種を変更し、何度、バージョンアップしてきたことか。それも富士通の親指シフトという、入力が速い、極少数派のキーボードを使って。だけど、とうとうWindowsのバージョンアップのスピードに負けて、富士通は親指シフトの生産を撤退した。やむなく、Windows7とWindows10を2台、ボタンの切り換えで併用し、細々とデジタル化につながって仕事をしている私。
今はまだ過渡期だ。デジタル化のさらなる進展は、10年後、20年後、誰もが自由に身近にアクセスできる、平等で透明性のある、共感性を生む世界を切り拓いていくことだろう。それを担うのは若い君たちだ。前世代から次世代へ、期待と応援を込めて、「あとはよろしくね」と言おう。
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