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  • 石内都の「横須賀ストーリー」 境界の傷跡

    2019/07/13

    • カルチャー

    著者名:但馬みほ

    著者プロフィール:但馬みほ(たじまみほ) 1965年神奈川県横須賀市生まれ。10歳から11歳にかけてブラジルに住み、長じてからは15年間アメリカ・カリフォルニア州に居住する。様々な職業に従事した後、2006年、41歳でカリフォルニア大学バークレー校に入学。2009年、同校卒業(East Asian Languages and CulturesとAsian Studiesを複数専攻)、Highest Honorsを授与される。離婚して日本に帰国するが、日本近現代文学、比較文学、ジェンダー批評に主軸を置いた学際的研究を続けるために、2012年城西国際大学大学院に進学、2018年3月博士号取得(指導教授:小林富久子教授)。比較文化博士。現在は語学教育のNPOに勤務しながらインディペンデント・リサーチャーとして研究活動を続けている。

    石内都の「横須賀ストーリー」 境界の傷跡

    論文概要:

    石内都の「横須賀ストーリー」
    境界の傷跡

    本稿は写真家石内都の初期作品を分析する。日本の内部にありながらアメリカとの<国境>を有する特殊なトポスである神奈川県横須賀市を舞台とした石内都のデビュー写真集『絶唱、横須賀ストーリー』と『YOKOSUKA AGAIN 1980-1990』、『CLUB & COURTS YOKOSUKA YOKOHAMA』を分析対象の中心に据えて、軍事基地の存在が横須賀に強いる過剰な身体性と、その反動としての石内作品における身体性操作のありかたを解き明かす。客体をつねに必要とする写真という視覚芸術において、石内が対象の<身体>をどのように表現しているかを検証する本稿では、石内の初期作品に顕著な性的身体の欠如から、その後一気に身体を前景化した作品へと転向する契機に、横須賀における<アメリカ>の存在があることを論証する。
    写真行為を通じて「横須賀」と「母」から受けた「傷」と向き合い、選択の余地なく付与された自分のなかの「女性性」と深く切り結ぼうとする石内の側面に光を当てることで、本稿は「横須賀」と「母」を結ぶ一本の線上にアメリカが存在することを指摘し、両者から受けた「傷」を写真行為で定着させることによって、石内がいかに傷を克服し、自ら<女性>として生まれ変わっていくかというプロセスを、日本の敗戦と関連づけて考察する。

    Borderland Full of Scars:
    Ishiuchi Miyako’s Yokosuka Story

    This paper analyzes the early works of Ishiuchi Miyako (1947-), an internationally renowned Japanese photographer, in which she focuses on her hometown, Yokosuka that is one of the most strategically important locations for the United States Naval Forces operating in the Pacific. Yokosuka is unique in such a way that it contains a nationa

    コメンテーター:池川 玲子(いけがわ れいこ)

    コメントを頼まれてひるんだ。なぜならコメンタリーボードに、他ならぬ伊藤比呂美さんがいらっしゃるから。『岩波女性学事典』のモノクロ表紙、あのニュアンスあふれる手と背中は、どちらも石内都撮影になる伊藤比呂美の身体パーツである。ここは是非、伊藤さんのコメントが読みたいところ…と思いつつも、編集部に差し戻ししなかったのは、いくつかのワタクシゴトのゆえである。

     2005年の春、東京都写真美術館の笠原美智子さんに、研究報告を聞いてもらえる機会があった。テーマは「満洲映画協会女性監督」で、その時、笠原さんから、石内都さんのお母さんが「満洲」で運転手をしていたという話が出た。「前向きの女だからこそ『満洲』にいってしまう」という感想を交わしたように記憶している。笠原さんが、石内作品<Mother’s>をひっさげて、ヴェネチア・ビエンナーレに殴り込みをかけたのは、それから間もなくのこと。以来、二人の「石内都」のことが気にかかっている。周知のように、「石内都」とは、その母の、結婚前の名前である。

     さて、但馬論文の狙いは、『絶唱、横須賀ストーリー』(1979年)と『YOKOSUKA AGAIN 1980-1990』(1998年)、『CLUB & COURTS YOKOSUKA YOKOHAMA』(2007年)の三冊を足場にして、石内作品の、特に身体表象の展開をジェンダー分析すること。その鍵として設定されているのが、母娘の関係である。簡単そうにみえて、この試み、相当な蛮勇である。石内の少女時代、母は横須賀の米軍基地で働きながら一家を支えた。その母との葛藤が、ヴェネチアで一気に世界的評価を獲得したこの作家の創作の源泉であることは、すでに多くの識者が指摘している。にもかかわらず、それを納得のいく論理で証明し得た文章はない。そもそも出発点において母親の名前を選んだ明確な理由を、石内自身が語っていない。しかも石内が提示してきたのは、自己主張のない、寡黙な、およそ「前向きの女」とはほど遠い母親像なのだ。
    困難な証明に向けて、但馬は、トリン・T・ミンハの「境界的出来事」という概念を援用しながら奮迅する。濃密な死の空気、通過儀礼の場としてのドブ板通り、外洋に開けた海岸に見出せるわずかな希望等々、横須賀出身者ならではの感覚と経験を活かした読みの詳細については、本文をご一読いただきたい。特に、「『横須賀』と『母』を結ぶ一本の線上にアメリカの存在を見出」し、さらにその補助線上に、帝国海軍と自衛隊を置いて読み解こうとする但馬の構えにはうなずける部分が多かった。

    ひとつだけ補足めいたことを。二番目の写真集から採録されている「Yokosuka Agein#35」は、ドブ板通りの古びた建物を写した一枚だが、実は、最初の『絶唱、横須賀ストーリー』にも、アングル違いの同じ光景が収められている(注1) 。壁のペンキ文字はスナックの宣伝で、「歓迎 海上自衛隊」と“WELCOME U.S.NAVY”とある(注2) 。「カタキを取るような気持ちで」横須賀に乗り込んだ石内のカメラは、歴代の軍隊に身体を沿わせながらようやく生き延びてきた軍都の姿に――本論の言葉を借りるならば「厚化粧の女」ぶりに――最初からピントを合わせていたのだ(注3) 。


    (注)

    1)その他、複数の展覧会や『アサヒグラフ』(1990年8月号)にも、それぞれ別の方向から撮影したものが出されている。

    2) 今も横須賀のあちこちで同様の文言を見かける。これもワタクシゴトだが、昨年、ネットカフェの前で、「自衛隊歓迎」の幟旗と「USO(全世界で展開する米軍サポート組織。United Service Organizations)」マークの両方に遭遇した時には、さすがに既視感にくらくらした。どちらの訴求対象にも女性隊員が含まれていることが、石内の撮影した時代の横須賀との根本的な違いと言えば言えよう。

    3) あまり知られていないが、石内は、「米軍キャンプ周辺」を「母の運転する車で走りながらも撮った」(『桐生タイムス』2015年11月12日第一面)という。母娘の共同作業で、撮影が行われたという事実は、もっと重視されるべきだろう。



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