本場イタリアのフレッシュ・チーズを味わえると評判になっているのが、群馬県利根郡川場村の道の駅「田園プラザ川場」にあるKAWABA CHEESEだ。製造責任者は片岡恵子さん。
フランス、イタリアでチーズを学び、その経験を生かし、チーズ工房の立ち上げに参加。2019年、自らチーズ製造の陣頭指揮に立つ。イタリアとも行き来し、現地の機材もノウハウも新たに導入し、これまで国内では数少なかったフレッシュ・チーズを手掛け、人気を博している。
地元の酪農農家との連携で、新鮮なミルクからチーズが生まれる。
道の駅の「田園プラザ川場」で生まれるフレッシュ・チーズ
「片岡恵子さんが、今は、川場村で最高のフレッシュ・チーズを作っていらっしゃる。ぜひ行かれることをお勧めします」と連絡をくださったのは、この連載24(https://wan.or.jp/article/show/10599#gsc.tab=0)に登場する岡崎啓子さん。イタリア・エミリアロマニャ州在住で、2023年夏一時帰国し、片岡さんのチーズ工房を夫婦で訪ねたという。岡崎さんはJINOWA consortium という食や文化の交流事業を手掛けるプロジェクトに参加されている。夫はワイン醸造家だ。
岡崎さんは、イタリア・トリノに本店のある食材販売とイートインを持つ総合フードマーケット「イータリー」でかつて輸出入の担当者だったことがある。2008年、「イータリー」が日本に初めて出店する際、そのチーズ販売を手掛けていたのが、片岡恵子さん(当時は寺山恵子さん)だった。お二人の共通のイタリアの知人、ジョリートさんが片岡さんをイータリーに誘ったという。同じころ一度、私も片岡さんにお目にかかっている。それから10年、さまざまな仕事を経て、川場村のチーズ製造を行うこととなったという。
岡崎啓子さんからいただいたイタリアからのメッセージには次のようにある。
「私たちは2008年からEatalyで、初の海外店舗オープンのために苦楽を共にしてきた敬愛する仲間同士です。実は私とジョリートさんとの初対面は2001年、新宿伊勢丹でのイタリア展でした。ただそこへ買い物に行っていた私が、セミナーにあと1席残っているのでいかがですかと勧められ、講師をしていたのがジョリートさんでした。その後2004年に私は食科学大学へ入学することになり、ジョリートさんを訪問。さらに2008年、Eatalyのプロジェクトで一緒に仕事をすることになった時は、ご縁にしみじみ感動しました。今でもピエモンテに行く際は、必ず会いに行く大切な友です」
ジョリートさんと片岡さんのご縁は後述する。
(註:食科学大学=The University of Gastronomic Sciences。ピエモンテ州ブラ市のポッレンツォに、国際スローフード協会とピエモンテ州、エミリア・ロマーニャ州の協力により設立された、国が法的に認可する私立大学)
食を楽しみに年間200万人が訪れる
群馬県の山間地にある川場村は、人口3,314人。 ここに1998年に開業したのが道の駅の「田園プラザ川場」だ。大きさは東京ドーム1・5個分。農産物を販売するファーマーズマーケットから、蕎麦店、地ビール工房、甘味処を始め、子供の遊び場まであり、来場者は年間200万人。景色もよく美味しい食とくつろぎの場があることで、平日も満員の人気となっている。
チーズ工房は、古い建物を改装したもの。2019年4月にオープンした。すぐ近くに酪農農家があり、そこから届く生乳が原料だ。片岡さんに案内された工房内では、半円球の大きなダブルボトム型チーズバットと呼ばれる釜で、その生乳からチーズが造られていた。チーズの種類は、フレッシュ・チーズ「モッツァレッラ」「リコッタ」「ブッラータ」「ストラッキーノ」など。
園内にはチーズ専門のキッチンカーもあり、その前の、テーブルでチーズをいただくこととなった。どれも新鮮なミルクの味わいを存分に生かしたもの。ミルクそのままがチーズに凝縮されたようだ。園内にはパスタ専門の店「あかくら」や「ピザハウス」などもあり、チーズを味わうことができる。
片岡恵子さんは、群馬県の川場村で、チーズを創るようになった理由を、次のように話す。
「「面白い道の駅らしいよ。行ってみよう」と夫にさそわれ、そこで田園プラザ川場の永井彰一社長と出会いました。そこから始まった。イタリアからジョリートを呼んで、ひきあわせて、話がとんとん拍子に進んだ。それから私はイタリアに行ったり来たり行ったり来たり、一年間に五回ほどもいきました。イタリア製の資材や機械を輸入したり、フレッシュ・チーズを学びにいったりしました」
プーリア州にある工房で学んだというブッラータ フレッシュ・チーズ は、薄いチーズの袋に包まれた中に、モッツラレの細い生地が入っていて、上が結んである。なんだか可愛らしい。これをピザの真ん中に置いて、ナイフを入れると、まるでミルクそのままのようなチーズがあふれ出す。チーズなのだけどミルクの濃縮された味わい。
ストラッキーノ チーズの形状は、お豆腐のよう。触感は柔らかく、ハチミツとの相性がとてもいい。チーズのほどよい酸味がうま味を引き立たせる。
リコッタ はプリンのような形状で、チーズ製造のときにでるホエイ(乳清)を再加熱し凝固させるチーズとのこと。
どれもが新鮮で、ミルクそのままがチーズになったような、白色の色合いが、とても爽やかだ。
「もともと日本でもポピュラーで、フレッシュチーズの基本とも言うべきモッツァレッラ、リコッタは作るつもりでした。
その他に、『イータリー』時代に扱ったストラッキーノというチーズがあるんです。日本人が好きな柔らかい食感のチーズ。でも 輸入はすごい難しかった。気温の変化に影響されやすく長距離移動には向かないんです。だから、日本で作ったらぜったい面白いなあと思って、社長(永井 彰一さん)に提案しました。社長も似たようなチーズをもうすでに知っていて、「それいこう」ということになりました。ほかにブッラータも面白いので、その4種類から始めました。」
地元の酪農家との連携してのチーズづくりが始まる
「 農水省に農業と商業をつなげる農商工連携事業を使いました(注1)。 酪農家さんのミルクを使い農業と商業を繋げる事業で、ミルクを提供してくれる近くの川田牧場さんも、参加でき貢献できる喜びもある。」
「ミルクは季節によって収量が違います。生産量が多い季節は毎日チーズを製造します。月曜日は出荷の日なので作りません。社員が二名、パート五名、私を入れて全部で8名です。売上は予想を大きく上回りました。」
*注1:「農商工連携の促進に向けた施策等」(農林水産省:農業の付加価値を高める事業)
https://www.maff.go.jp/j/shokusan/sanki/nosyoko/attach/pdf/index-39.pdf
今では、東京・銀座にある「イータリー」でも販売され、店内のレストランの料理にも使われている。イタリアからの輸入チーズしかなかった「イータリー」で、日本産チーズが販売される初めてのケースとなった。
「チーズを作って、プレゼンに何度も東京へ行きました。なぜかというと この田園プラザの社長・永井彰一は、チーズを作る前に売り先を考えなきゃいけない、という考え方です」
作るだけじゃなくて 作ったものをどこに販売するのか。それをまず探す。
「それで、商社を探して契約を交わし、そこに卸ろしていこうと考えました。あとは園内で売る。園内のお客さんと大きな商社、B to C(Business to Consumer=消費者への直接販売)、B to b(Business to Business=企業間取引)の考え方です」
「コロナの頃は、最初はここも店を閉めていました。 お客さんももちろん来ない。でも、家で食べる人が増えたので、チーズはスーパーで売れた。園内のお客様は大きく減りましたが、結果的には、コロナのときもチーズの製造は、大きくは減少しなかった。それは商社を通し、販売したからです。またウェブサイトでの販売も開始しました。こうした結果、コロナによる落ち込みというのはなかった。コロナの後は、お客さんが以前より増えた。毎日が過去最高。リピーターがすごく多い。ここを、中継地ではなく目的地で来てくれているお客さんが多い。遠方からもしょっちゅう来てくれています」
独立行政法人農畜産業振興機構の資料「国産ナチュラル・チーズの現状と都府県チーズ工房などの動向」https://www.alic.go.jp/joho-c/joho05_002074.htmlによれば、2020年度、国内のチーズ総消費量は6年連続で過去最高を記録。国産ナチュラル・チーズ消費量も右肩上がり。チーズ工房数は、全国で330を超え、国際コンテストで高い評価を得る工房も存在するようになった。国内工房の約4割は北海道だが、都府県にも工房が生まれており、輸出も増加傾向という。
「うちの社長が考えることは、ここで製造するものを増やしたいと。今作ってるものはクラフトビール、飲むヨーグルト、それとここのチーズ。それがすごく大きい。ここで作って販売すれば利幅が大きいし、ほかにはない、ここだけのものという付加価値もつく。だからコロナのときは製造部門がすごく助けになりました。ネットでも販売し、卸しもやりました。」
永井彰一代表取締役社長は、2007年、群馬県川場村から、経営が赤字となっていた道の駅「川場田園プラザ」の立て直しを依頼され、以来経営改革を手がけて全国でもトップクラスの集客をする道の駅にしたことで知られている。もとは、実家の川場村の酒造会社「永井酒造株式会社」を経営していたが、ここは弟に経営を任せ、「川場田園プラザ」に専念。アメリカの法人R&S Kawaba Management LLC CEOを兼任し、現在、川場村観光協会会長でもある。
「永井社長は、例えばレストランで出している食べ物でも、社長が材料を選んでメニューを作り、自分で食べて、これがお客様に受け入れられるかということを全部自分で決めたんだと思うんです。今の社長の力はすごく大きい。」
「今、チーズは6種類になっていて、トミーノ フレスコというチーズが最近加わった。社長がイタリアから買ってきて『これと同じに作って』といわれ、食べてみてこんな感じだなと思って作りました。お豆腐みたいなチーズです。最近出したのが、ボッコンチーニ。モッツレラの小さいやつですね。一口タイプという意味。今、開発してるバターも、 チーズスタンドで出してます。次に作りたいのはブルーチーズです」
パリで目覚めたチーズの魅力
片岡恵子さんは、これまでフランス、イタリア、北海道、栃木県那須塩原などで暮らしてきた。現在、群馬県前橋市に居住しそこから川場村に通っている。
1956年、北海道岩見沢市生まれ。札幌から内陸に40キロぐらい行ったところで日本でも豪雪地帯で有名なところだ。 岩見沢玉ねぎ、米、白菜、大豆などの生産地としても知られる。父親はサラリーマンだった。
28歳の時に、家族の仕事の関係でパリに引っ越した。チーズに目覚めたのは、フランスでの暮らしだったという。どんな出会いだったかおたずねすると、片岡さんは、「とても一言では語れない」と言う。
1985年、御巣鷹山の日航機墜落事故があった1週間後、飛行機に乗ってパリに向かった。28歳の時に出産、パリでは主婦として暮らした。
「 フランスって言えば、市場、食卓、スーパー、どこ行ってもチーズなんです。あの時代、日本ではまだチーズを工房で作るというのはなくて、それから間もなくかな、酪農家のお母さんたちが自分たちのミルクに付加価値をつけようと、あちこちで研究会みたいなチーズ作りを始めていました。特に北海道の酪農家さんのお母さん方、女性の力はすごかった。お父さんは牛の世話。そのかたわらでお母さんたちが集まってチーズを試行錯誤で作り始めた頃です。自分たちの人生の楽しみの一つとして始まった。」
四年間をパリで暮らして、一回帰国。娘が四歳の時だった。帰国後、恵子さんは、北海道で働いた。
「北海道では勤務していた会社では酪農家さんに会う機会が多かった。 行き来するうちにチーズを作りたいと思い始めました」
娘が中学1年生の時に、再び家族でパリに引っ越した。
「前にフランスに行ったとき、美味しいチーズを食べた。どうしてこのチーズができるんだろうっていう疑問をもった。美味しいワイン飲んだら、このワインってどんな品種だろう、どんな畑で、どんな人が作ってるんだろう、興味がある人はそこまで遡ると思うんですよ。それと同じ。このチーズはどこの国で、どんな牛で、どんな環境で、何を食べて、どんな人が作ってるんだろう。どんな歴史があるんだろうと、そこまでいくんですよ。フランスはパリを一歩出ると農村地帯で、牛だらけ。フランスのイメージは酪農です。パリだけが特別なんです」
独立行政法人農畜産業振興機構「フランスとオランダにおける酪農の最近の動向について」https://www.alic.go.jp/joho-c/joho05_002770.htmlを見ると、フランスの農用地は国土面積の52%、森林は31%。日本は農用地12%、森林68%となっている。乳牛を飼う酪農家は4万戸。1戸あたり87頭飼育。飼料用農地面積は76ha。1頭あたり0.9haとある。日本の酪農家数は1万2600戸、1戸あたり107頭飼育だ。
「それは2回目のパリ赴任では娘も中学生になり一人で学校にもいける。だから、1週間くらいの単位で私ひとりで車で田舎へ行くんです。サヴォワの農家を見て帰ってくる。そしてまた行く。1週間分の家族のご飯は全部作って、冷蔵庫にメニューを書いていきました。」
「チーズ農家を訪ねるときは突然訪ねていきます。電話では顔が見えなくて警戒するじゃないですか。アジアチックな、なまりのある発音から不審に思われる。私は必ず直接行ってドアをノックする。それが 私のやり方でした。なんの伝手も紹介も無いから電話してもダメ。断られる。だから直接ドアをノックして、『チーズを勉強したい、知りたいからちょっと教えて。1週間でもいいから研修させてほしい』と言って」
サヴォワは、フランスの南東部。アルプス山脈を擁する山間地だ。スイスと接している。
山のチーズを訪ねて直接訪問
「私にとって魅力的だったのは山でのチーズ作りでした。山だから電気も水もない。 6月くらいになると山に新しい草が生えてきます。美味しい草を食べさせて美味しいチーズをつくるために、牛をそこまで連れていく。60頭から100頭を山にあげる。トランジュマンス(放牧)っていう、高山放牧です。山に牛を上げるのはお祭りになっていました。私は牛を連れてくところを体験したかったので、放牧は6月ぐらいから始まるけど、4月に行きました。
農家さんに会って『研修したい。一緒に行って、山の中でチーズを作るのを学びたい』と言ったら、突然のアジア人にあっけにとられて、『あっ…、あっ…』ていう感じだった。向こうは半信半疑だったと思うんです。トランジュマンスは、6月の第一日曜日と決まってる。私はいったん帰ってその1週間前くらいに電話をかけた。『約束したでしょ。行きますよ』と言ったら『分かりました』って。それでとうとう行くことになりました」
牛の群れは山にあげるまで県道を通らなければならないが、日中は県道を歩くわけにはいかない。また、牛をなん十頭も連れて歩くと、牛はあっちこっちにいったりする。それを追わなければならない。
「男性が20人ぐらいいないとだめなのね。近所の力を借りて、みんながくる。夜中の12時出発 。歩いて、歩いて、着いたのは朝8時。ずっと牛と一緒に歩いて、標高1670mぐらいの牛小屋に着きました。牛も疲れて休んだ。人間も疲れた。でもお祭りだから、牧場のおかみさんたちが、車でごはんを持ってきてくれる。山まで牛を上げたら、お疲れ様ってワイン飲んでご飯食べてすぐ搾乳にかかる。でもその時は、私と牛飼いのお兄ちゃんとチーズの職人の3人。男の人2人と私一人だけ。あとみんな帰っちゃう。
ヨーロッパの山の中にはあちこち小屋がある。それはチーズ小屋なんです。イタリアにもある。昔の建物がそのまま残ってるところもあるし、今使われているものもある。 そこでお乳を搾って夏の間のチーズ作りが始まります。
なぜそれがいいかと言うと、すごく付加価値がつく。標高1500m 2000mの草というのは何千種類というハーブで、赤や黄色や紫やら、それを食べた牛のミルクから作るチーズは熟成した後に色が違う。黄色いんです」
「山のチーズは付加価値があって高く売れるし、「アルペッジオ」と謳うことができる。DOP(原産地名称保護制度)がつく。 チーズ造りに関してフランスには規定があって、これを知らなきゃいけない。牛も品種がある。年間何リットルまでしか搾乳しちゃいけないとか、牛の健康のためにルールがあって、その中で作られたチーズだから価値があるし、味わいも違う」
パリの自宅を開放してチーズ教室を開く
恵子さんはパリに住む日本に人たちに声をかけて、自宅でチーズ教室を始めた。
「フランスはいろんなチーズの種類がある。試食用に細かく切って小さくして、きてくれた生徒さんたちに、チーズの味、食べ方、 買い方、保存の仕方、それを使った料理とかデザートとか全部一通り作って、と、そんな教室を何年もかけて100回以上やりました。パリに住む日本人の方たちは、私もそうだったけど、チーズの買い方が分からない。スーパーならチーズの固まりをポンとかごに入れてレジに渡せばいいだけ。だけどチーズ屋さんに行って、どうお話をして買うか。チーズ屋さんのチーズはそこで切ってくれる。スーパーのものとは違う。だからその良さを教えました。ブルーチーズを食べられない人は、じゃあ最初はこのブルーチーズから食べてみてって、そういうところから始まって 、チーズ普及みたいなことをしていました」
フランスのチーズの種類は、1200から1500種類はあるといわれる。食卓には、必ずといっていいほどチーズが登場する。牛の種類も、茶系のモンベリアルド、カマンベールチーズを作るノルモンド、白い顔と茶色の体で標高地で飼育されるアボンダンス、体が小型のタリーヌ、スイス原産で日本でも少しながら飼育されているブラウンスイスなどなど。牛の違い、環境や牧草、チーズのつくり方などで、さまざまな種類が生まれるというわけだ。
「わたしがパリでチーズ教室を始めたのは、こんなにおいしいチーズがそれぞれの歴史を持っているという魅力をつたえ、共有したかったから。はったりから始まった(笑)。最初、六人ぐらいだった教室は多いときは50人くらいになった。自宅や会場を借りました。自己流で始めました。食べ方や料理の仕方も、もともと料理が好きだから自分のアイディアです。チーズ業界が出している冊子がある。チーズの専門の本もある。それを観て、読んで、ヒントをもらいました」
「2回目は違うヤギ農家に行きました。そこが一番長かった。なんでそこに行ったかっていうと、道下弘紀さんの『ヨーロッパ・田園と農場の旅―グリーンツーリズムへの招待』(東京書籍 1998年)という本がきっかけです。その本を買ったことで今の私があるのかもしれない。人との出会いとかすごいですね。
本を読んで道下さんに直接電話しました。シャンブルドット(フランスのゲストハウス)とか教えてもらえますかって聞いたら、家に帰ったら長いFAXがきていた。『本を読んでもらってありがとうございます。ご紹介します』って。農家をやっていて料理も出してくれて泊まれるシャンブルドットを探した。山登り好きなんです。高校時代山岳部だった」
出向いたのはサヴォワの農家。スイスとイタリアの国境、アルプス山脈の麓に位置している。
「本に、ある農家が出てきます。住所は書いてない。本を出してすぐに道下さんは亡くなったので農家さんは写真でしか見れない。車で探しました。フランスの東部のアヌシーやスイスのジュネーブまで、車で一時間ぐらいのところから北イタリアのブラまで3時間ぐらい。山の中です。フランスとイタリアの国境のモンブランまで1時間くらい。 そこの農家に行った。最初はチーズを買うだけ。チーズを買って日本にもって帰った。そして、ここで勤めたい。研修したいと思った。本当に心が動いた。通って、4回目。『ここのチーズ好きだ。ここでチーズを習いたい』と言ったら『いいよ』って言ってくれた。ブラのチーズ祭りが終わって1週間くらいあとに、すぐに行った。9月26日からだったかな」
ブラのチーズ祭りとは、町とNPOスローフード・インターナショナルが開催する、2年ごとに行われる町をあげてのチーズの祭典。厳選されたチーズ農家が登場し、さまざまなチーズを味わう「味覚の講座」も開催される。ブラの町にはスローフードのオフィスがある。
「その頃、ニューヨークのテロ(2001年9月11日)がありました。あの時に日本人の多くは帰国したが私は一人でパリに残りました。そこからイタリアにも行った。アグリツーリズム(イタリアの農村民泊)の部屋を借りていましたが、その後、ヤギのチーズを作っていたサヴォワに居住を移しました」
イタリアでは、アグリツーリズムという、農家で宿泊や食事ができるところが、2万5000軒以上があり、日常的に、食事にいったり、農家で体験したり、宿泊ができたりする。イタリア全土のサイトがあり、施設の紹介や、料理や、環境など、簡単に観ることができるようになっている。
「一回ぐらいスローフードの街に行ってみようと思いパリから車で、向かった。そこには老舗のチーズ屋さんがあって、訪ねたのがgiolito formaggiだった。店主のジョリートと初めて会った。チーズを10万円くらい買った。びっくりされて『今晩、一緒に飯食わないか』と。イタリア人は、すぐ飯食おうというの(笑)。『うちのフィアンセもバカンスから帰ってくるから』と。その晩一緒にご飯食べて友達になった。2001年。そこからとずっとジョリートとは友達なんです。ジョリートが日本に来たり、私が、向こう行ったり、彼が、うちに来たり。今に至っているんです」
ジョリートさんは、スローフードの創設から、関わってきた方。店舗には、イタリアの厳選したチーズが、ずらりと並んでいる。試食をして、味わって、ワインとの相性なども教えてくれる。
「それでまた私はサヴォワのヤギのチーズ作りに戻った。ヤギのチーズづくりの研修でお願いしますって言ったものの、やっぱり辛かった。想像と違って朝早い。朝5時には起きなきゃいけない。 最初は見てるだけ。手をださない。でもだんだん魅力を感じてきて、1週間が一か月となって、結局そこの家に3年いた。サヴォワのヤギのチーズ作りは給料はないが得ることが多くあった。チーズを丁寧に作るというところに惹かれた。その人柄がチーズの味に出た。そう言ったところを学びたかった」
サヴォワのヤギ農家にいたときに、恵子さんは50歳になった。50本のバラをもらった。恵子さんがヤギ農家を辞めた後、ヤギ農家のチーズ創りも終わったという。
イタリアの食の会社「イータリー」でチーズを担当
その頃、「イータリー」が日本に出店するという話しが出た。トリノに次いで二件目がなんと日本だった。 場所は渋谷の近く、代官山だった。ジョリートさんから誘いがあり、代官山で5年間働くことになった。イータリーが代官山にあったのは、2008年~2014年。「そこで学んだことは多くありました」と、恵子さん。
イータリー(Eataly)はEatとItalyを組み合わせた造語。トリノの本店は、リキュール製造メーカーの工場跡地に建てられた。オープンしたのは、2007年1月26日。イータリーのサイトによると、「創業者はアルバ出身で、元々は家電製品チェーンを経営していたが、売却してEATALYを始めた。土地の所有者であるトリノ市が工場跡地利用の企画を公募。EATALYの企画が指名を獲得。経営者はピエモンテ州アルバの実業家、オスカール・ファリネッティ」とある。開設にあたりスローフードのアドバイスを受け、イタリアの厳選された食、食事ができる場、ワークショップができる教育の場、食関連の書籍の販売などもしている。トリノのイータリーのことは、日本でも雑誌で特集が組まれた。
「はじめはイタリアの食材のことはあまり知らなかった。例えばオリーブオイルのその種類の多さ。北はないけども、北西部のリグーリア州のあたりからずっと南までオリーブオイルが全部ある。ワインはもちろん全部ある。例えば、パルマのハム。エミリア=ロマニャ州の食材です。いろんな生ハムや、サラミも、バルサミコ酢もある。パスタ。あんな種類があると思わないし。家庭で全部手作り、昔のお母さんは手づくりしている。ピエモンテはタヤリーン。地方地方の食が濃い。あとは土地のものしか食べない。 ミラノとかトリノとか都会の若い人は、いろんなレストランがある。中華とか日本食とかもあったりするけど、一歩田舎に行くと、それがない。自分の畑で採れたものしか食べない。それが好き。一番おいしいと思っている。すごいなと思って」
「私がいたアグリツーリズムは、トマトが一番おいしい夏に収穫して、それを全部冬の保存食にする。旦那さんと2人で。私も手伝った。アプリコットとか、ほかの果物も全部。アグリツーリズムのお客さんに出すためのジャムを作る。それも全部手作り。例えばトマトのソースで作ったパスタのおいしいこと。『えっ。これ何の味』。『さっき取ったトマトとオリーブオイルだけだよ。ニンニクと』食材のおいしさがそのまま出てる。素晴らしい。イタリアの地方はフランスと比べると違うなあと。日本と比べるともっと違うなと思う。マクドナルドがローマのスペイン広場にできるっていう話しがでた時に、いかにイタリア人が反発したか。あれは本当よく分かります。当然です」
道の駅川場田園プラザ(群馬県利根郡川場村大字萩室385)
https://denenplaza.co.jp/
KAWABA CHEESE
https://denenplaza.co.jp/shopping/kawaba_cheese/
追記:
川場村「田園プラザ川場」は、東京駅から上越新幹線で「上毛高原」駅まで約1時間。そこから車で30分。今回は、ウーメンズアクションネットワーク理事長・上野千鶴子さんも「行きたい」というので駅で待ち合わせ、片岡恵子さんに迎えていただいた。現地では、編集担当のHさんと合流。こうして、片岡さんのチーズ工房見学と、チーズ製品をいただきながらのロングインタビューとなった。