
ひとり出版社・人々舎の樋口と申します。この本が絶版だなんてどういうことかと思い、新装で復刻しました。底本にした(ちくまプリマーブックス版)『生きることのはじまり』は、刊行1冊目の本『愛と差別と友情とLGBTQ+』の制作中に出会いました。『さびしさの授業』(伏見憲明/よりみちパンセ/2004年/絶版)で紹介されていたのです。
今回、人々舎から刊行する新装復刻版の帯オモテには、「これはわたしたちみんなの物語なのだ。」という高橋源一郎さんの言葉を載せました。(もともと著者と親交のあった)高橋さんに書いていただいた寄稿内に出てくるこの言葉以上に、本書を紹介する的確な表現はないだろうと思ったからです。自分が初めて読んだ時の感想が、まさに「これはわたしの物語なのではないか」なのでした。
本書は、在日二世で、首から下が全身麻痺の重度障碍者、障碍者だけのパフォーマンス集団「態変」(たいへん)を主宰する著者・金滿里(キム・マンリ)さんが綴る半生の軌跡です。金さんは、ポリオ(小児マヒ)発病後の入院生活、障碍児施設生活、障碍者独立開放運動、そして「態変」の旗揚げと、想像を絶するどんな極限状況に置かれても、自分に正直であろうする姿勢をつらぬきます。
以下は、1960年代〜70年代の障碍者施設での生活で、施設不備のため亡くなっていった友人を想い述懐する場面です。ちょっと長いですが引用します。
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私はそういう環境の中で、自分も含めて人間の心理というものを考えるようになった。それは、善も悪も別々に存在するのではなく、一人の人間の中に同時にあるのだ、ということだった。良い人と悪い人がいるのではなく、一人の中に両方が存在する。たまたまそのときにどちらかが出るだけで、絶対的に善い人なんていない。特に極限状態では、悪の部分が出るほうが自然であり、本音なのだ。
だからこそ、ふだんからこの本音を見つめていかないと、人間として弱くなる、と思った。自分の中にも弱さや悪の部分がある。それに目をつぶって見ないふりをしていると、かえって知らず知らずのうちにその部分に引きずられてしまうのだ。逆にそのぎりぎりの本音を見つめていくことで、何か問題に直面したとき、本当の極限状況に置かれたとき、自分の中の弱さに引きずられずに、本当の意味での自分の「選択」をすることができる。そうでなければ、自分でそれと意識できないままに「自分がどうしたいか」ということより、その場の強い力に流されることを優先し、結果的には自分の不本意に終わってしまう。それでは後悔するだけだし、後に悶々とした嫌な気分が残るだけだ。私は自分の気持ちに正直になろう、と思った。(「第 二 章 障碍児施設へ」より)
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ここには、誰もが向かっていく「死」に対して、誰もが持っている「弱さ」に対して、どのように向き合ってきたが書かれています。漠然とした不安、言葉にできない不安を前にした時、自分の声を聴くことをあきらめず、何を感じ、どう考えているのかを明確にすることは、そのまま世界と向き合う姿勢につながるのではないでしょうか。それこそがきっと、自分の人生をどこか遠くへと運んでいくのだと思うのです(金さんの人生も、どこまでも遠くへと運ばれていきます)。わたしはこの姿勢に(激しく、それは激しく)魂を揺さぶられ、なんとか(何度も)言葉にしようとしたけどできませんでした。それを言葉にしたのが高橋源一郎さんの寄稿であり、「これはわたしたちみんなの物語なのだ。」なのでした(ぜひお読みください)。
この言葉を入り口に、判型、デザインを一新し、寄稿2本、著者あとがきを加えて、あたらしい『生きることのはじまり』をつくりました。みなさんの物語で(も)あることを願って。
◆書誌データ
書名 :生きることのはじまり
著者 :金滿里
頁数 :464頁
刊行日:2024/6/12
出版社:人々舎
定価 :1980円(税込)
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