
ゴードン美枝 プ
ロフィール
ボストンにある自閉症児の療育学校でファンドレーザーとして勤務。大学生のころ、米国留学。シモンズ大学大学院でソーシャルワーク専攻。
卒業後、デユーク大学病院小児精神科の入院病棟で家族治療に携わる。その後、80年代の終わり日本企業がアメリカで勢力を増した時、わたしも時代の波に乗って、ビジネスの世界にキャリア転向。
まずは、ビジネススクールで勉強のやり直しをしてMBA(ビジネス修士号)を取得。すでに30才後半でしたが、女というジェンダーギャップはあまり問題なく、日米間で就職にも恵まれました。1990年初めからボストンと東京の往復の生活を送り、外資系のハイテック産業で大分働きました。しかし激務に耐え兼ねて、仕事とファミリーのバランスが大切だと決心。福祉と教育の分野に戻りました。
今年の5月、ハーバード大学の卒業式で私は初めてサラ・カンさんと出会いました。
彼女は私の夫の大学の教え子で、アジアの歴史を勉強し、特に戦争と女性、戦後アメリカのアジア従軍慰安婦施設*について博士論文を完了し、ハーバード大学で博士号を授与されたところでした。エリート大学の超難関を突破し、大学で教鞭をとる資格を得たサラは、子供のころには想像も出来なかった、大きな夢を手にしたのです。
卒業後、さらに倍率がなんと100倍とも言われるプリンストン大学のSociety of Fellows Programにも合格し、高校生の時から一番得意だった歴史学の道を進み始めました。しかし、サラと話しているうちに、ここまでの道のりが人一倍に大変であったことがわかりました。サラの人生のどこで何が起きたのか、そして、何がきっかけで道が開かれたのか、ぜひ、皆さんにもサラのことを知っていただきたいと思います。
◆移民家庭の厳しい現実
サラのご両親は1990年に韓国からアメリカに渡ってきた移民者です。英語もしゃべれない、教育も低い移民が得られる仕事は一般に体力が問われる低賃金のサービス業でした。父はレストランなどのきつい仕事を渡り歩き、母はネールサロンで稼ぎながら、サラと妹を育てました。しかし、2001年ニューヨークを襲った9・11で両親は仕事を失い、大都会よりも物価の低いジョージア州に引っ越し、そこでサラは高校を卒業するまで過ごしました。
その間の家族の暮らしは不安定で楽ではなかったところに2007年には世界金融危機が襲い、低所得層のサラの両親は再び失業し、困窮状況に追い詰められました。
それが両親の不仲の原因となり、二人は別居に至ります。
その後、母はシングルマザーとして、ネールサロンで殆ど毎晩夜9時ごろまで働き、2人の子どもを育てました。長女であるサラは、毎日妹の世話と家事をこなし母親を助けました。
学校には無償の朝食と昼食 サービスがあったから、それが頼りだったとサラは当時を振り返っています。

ゴードン教授、父親、祖母から祝福を受けるサラ

卒業式ハーバード大学Annenberg Dining Hallの様子
◆ネールサロンとアジア系移民女性の働き方
ちょっと話は逸れますが、サラの母親が働いているようなネールサロンは、アメリカ中いろんなところで見受けられ、大半は、アジア系移民の女性の仕事です。
ベトナム人の店や韓国人、カンボジア人などの店があり、お客とのやり取りは英語ができる人が担当し、仲間内では彼女たちは母国語でしゃべっています。
私もたまに近所にあるベトナム人の女性が働いているサロンに行きますが、とてもきめ細かいサービスを施してくれるので人気があり、いつも混んでいます。
わたしの周りの白人女性客たちは、スタッフには全く関心ないのか、携帯電話を見たり、テレビを見ながら手足を突き出してマッサージを受けています。その様子には、なんとなく上下関係を感じさせるものがあります。
もちろん、一方は客であるから、いばるのは当然かもしれません。しかし、わたしはその光景を見ると、屈辱感のような少し複雑な思いを抱きます。それは、私もアジア人の女性だからでしょうか?
アジアから移民した彼女たちが、低賃金で長時間働き、洗剤で手が荒れ、1日の終わりに家に着いてからも子供の世話をせねばならないという厳しい生活に追われていることに、白人客は関心を持っていないように私には見えます。
◆高校の歴史の先生との”出会い”が大学に行ける転機に
高校生の時、サラはSubwayというファーストフード店でアルバイトをして家計を助けていました。
「妹の世話や、夕飯作り、家事に追われる毎日で自分の時間も勉強する時間もほとんありませんでした」、と当時のことを小声で話してくれました。
アメリカの高校生が通常楽しむスポーツや課外活動も彼女には遠い夢の生活だったのでしょう。自分が大学に行けるなんて考えてもいなかったそうです。そんな中にあっても、彼女は歴史の勉強が大好きで成績も優秀でした。そして、高校2年生の時に歴史の先生が彼女の優秀さを認め、低所得層の高校生に大学4年間のスカラシップを出すQuestBridgeという財団に推薦してくれました。サラは、この教師との出会いがなかったら、今の自分はなかったかもしれないと言います。
◆QuestBridgeの継続的な支援
QuestBridgeから大学4年間のスカラシップを授与された時からサラの人生のターニングポイントは始まりました。
家族の中で初めて大学教育を受けることが出来たのも、この返済不要のスカラシップのおかげです。

ミラー教授、サラの夫のジョン・カンバヤシ、サラ、ゴードン教授
アメリカ社会で大学教育を受けることは、特に移民家庭の子どもたちにとってミドルクラスに這い上がれるチャンスなのです。QuestBridgeは、そういう低所得層の家庭から優秀で高い志と意欲持っている高校生を探し出し、アメリカのトップ大学に送り出すというミッションを掲げています。
この財団は、1994年に当時スタンフォード大学で学んでいた2人の学生が、恵まれない子供たちのために5週間の無償サマーキャンプを開催したことから始まりました。このキャンプは、勉強だけではなくて
彼らにいろんな学びの機会を与えることに成功し、そのプログラムが年々拡大して、“National College MatchingProgram”に発展していったのです。

ハーバード大学のキャンパス
アメリカには、学業が優秀なのに貧しくて大学に行けない高校生がいる一方、アメリカのエリート大学には優秀で可能性のある高校生を全米で見つけ出し、スカラシップを与えたいという願望があります。アメリカの大学は学生の多様性が教育に大切であることを知っているのです。学生と大学の間に橋をかけるようなマッチング作業をしているのがQuestBridgeです。
◆QuestBridge”は “大きな夢を抱け”をモットーにしている
QuestBridgeの公式サイトによると、過去30年間で10万人以上の高校生を50校以上の大学に送り出し、スカラシップの総額は5000億円にも及んでいます。スカラシップ資金は大学側が提供し、QuestBridgeの活動は大学受験する高校生に向けて多岐にわたるサポートを行うことです。高校2年生を対象に早々と準備指導を開始し、エッセイの書き方やアメリカの大学が何を受験生に期待しているのかなどを教え、同時に生活面でのオリエンテーションも行っています。
親が大学教育を受けたことのない移民家庭の子どもに対して、経済的な援助だけでなく、きめ細かい指導をすることは、QuestBridge財団が他の多くの奨学財団と異なるところです。卒業後も、QuestBridgeとの絆が続き、同窓生の先輩―後輩の関係が将来のキャリアにまで続くと言われています。
(QuestBridg:http://www.questbridge.org )
◆支援と挑戦、そして学者としての新たな旅立ち
2007年、サラは第一志望のWilliams College(QuestBridgeの提携大学)という東部にある有名私立大学から招かれて入学しました。そこで自分が最も得意な歴史学を専攻して、
東アジアの歴史を学び始めました。
この大学はサラのような低所得層出身の新入学生10名を対象に、入学する前の1週間、特別にオリエンテーションを提供し、大学生活への準備を手厚くサポートしてくれたそうです。それは、裕福な家庭の学生たちに引けをとらないようにという大学側の配慮だったそうです。
このように見ると、アメリカ社会にはQestBridgeのような非営利団体が、積極的に低所得層の子供たちを支援して大学に送り、彼らの大きな夢を応援している。将来を担う人的資源に投資しているのです。最近起きた大統領選挙後では、排斥主義と利己主義が謳歌しそうな雰囲気ですが、その一方で、アメリカ社会には誰にでも平等な機会を与えようとする理想主義が根付いていることを、サラの例は示しています。
このような経緯を経て、サラは今秋から学者としてプリンストン大学でアジアの歴史を教え始めました。
*以下は彼女の博士論文*です:“Operation Relax (リラックス作戦) :Empires of Sex in Japan, South Korea, and the Asia-Pacific, 1945 – 1995”
◆WANとのつながりと感謝
また、サラとWANとのつながりについても触れておきたいと思います。サラは上野千鶴子さんの書物を通してWANのことを知り、日本に留学していた時にWANに掲載されている朝鮮人慰安婦問題に関するNewsletter を参考文献に利用させていただいたそうです。彼女は、それに対して大変感謝しています、とみなさまにお伝えしたいそうです。
🔸サラ・カンの出版物 (日本語):
“福岡女たちの戦後 ーFukuoka Women’s History”、特集 :朝鮮戦争の対岸で。グローバル R&Rの期限を辿って“ No. 6 2024
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