NHKの朝ドラ『虎に翼』が終わった。このわたしにしてからが毎朝早起きして見逃すまいと視聴していたのだから、視聴率が高かったのもわかる。終わって安心して寝過ごすことができるようになって、ほっとしている。「はて?」と「スン」をキーワードとする女性差別への直球の違和感は、「エンタメに政治を持ちこむな」というオジサンの介入まで招いて、話題を呼んだ。
戦前、女は結婚すれば姓を失い、財産権や相続権、契約権まで失う法的無能力者になった。交渉ごとに際して「主人が帰ってまいりましたらお返事申し上げます」と妻が言うのは、ただの婉曲なお断りの口実ではなく、契約には文字通り「主人」の意思決定が不可欠だったのだ。女性が男性と同じ参政権を得るようになったのは、敗戦後の1946年、79年前のことすぎない。
脚本を書いた吉田絵里香さんは30代。政治に関心を持つ人々を「意識高い系」と揶揄する風潮に対して、「政治参加をカッコわるいと言う方がカッコわるい」と明言する。彼女たちの上の世代には、長く政治的シニシズム(冷笑主義)が拡がっていた。正しいことをまっすぐに口にする人々に対して、「政治的に正しい(ポリティカリー・コレクト)」と忌避したり、「純粋まっすぐ正義君」と揶揄したりした。マスコミを「マスゴミ」と批判し、うがった発言をしたり、世間の裏をかくようなふるまいに喝采が集まった。
影響を与えたのは小林よしのりさんのマンガである。今後、戦後思想史が書かれることがあるとすれば、小林さんははずせないだろう。マンガが思想に大きな影響を与える時代になったのである。
だが、その小林よしのりさんも過去の人になった。今の20代、30代は、小林さんを知らないか、読んでいない。そしてイヤなことはイヤ、悪いことは悪い、と直球で口にするようになった。
社会学者、富永京子さんの『「ビックリハウス」にみる政治関心の戦後史』(晶文社、2024年)は、なぜ団塊世代以後の今の60代から40代が「政治的無関心」に陥ったかを、1974年から84年にかけて刊行された雑誌「ビックリハウス」の膨大な言説分析を通じて明らかにした労作である。タイトルは「政治的関心の戦後史」というより、「政治的無関心の戦後史」という方が正確だろう。
学生運動を目の当たりにした後続の世代が、先行の価値観や因襲から距離を置くために。あらゆることをおもしろおかしく戯画化したことで、「政治参加と社会運動への忌避、揶揄、冷笑」につながったことが論じられている。もちろんその原因をつくったのは、先行の世代の夜郎自大な革命志向と、それにともなう運動の自滅だった。
わたしは団塊世代、学生運動の世代にあたる。その子どもたちである団塊ジュニア世代も、50代になりつつある。彼らは親の世代のやってきたことには批判的だったが、その団塊ジュニア世代が、新しく登場した若い世代のあまりに素直な感情の吐露をまぶしい思いで見つめている。痛いことは痛いといい、傷ついたら傷ついたと率直に言い、「生きづらさ」でつながる。弱さを認めるのは弱さではない。その後続世代を見ながら、自分たちが弱さを認められなかったことを、あれはどうしてだったのか、と反省を始めているように見える。
(京都新聞2024年11月17日付け1面コラム「天眼」から版元の許可を得て転載)
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