エッセイ

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トリン・ミンハ 「竹村和子を偲んで」

2012.10.02 Tue

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なんと言ったらよいのか、ふさわしい言葉をうまく選べません。

 親愛なる友、和子が何とも突然に先立ってしまったと知って、何日もの間、言葉がありませんでした。

 FazendoGeneroの国際学会(2010年8月)で私たちが会ったのはほんの一年ちょっと前のことでした。参加した私たちは、ラテンアメリカそして世界中からの何千もの研究者とともに、ジェンダー研究の活気に満ちたパワーと貢献を目の当たりにしたのでした。

和子がブラジルで、日本で、アメリカで、そしてとくに客員功労フェミニスト研究員としてカリフォルニア大学バークリー校の私たちの学科に在籍していた一年間(2009年)に、参加した全てのイベントで見せてくれた機知や茶目っ気、広い心をいつも思い出しています。

 近頃、春の花がふたたびバークリーの街角や路地のいたるところを明るく華やがせるようになり、和子が私の前に生き生きと現れてくるのです。

胸をさすように思い起こされるのは、妹 Quynh を失って私が悲しみのただなかにあった時のことでした。妹が穏やかに息をひきとったのは2009年3月、まさに春の盛りの時期でした。

私たち家族の受けた途方もない悲しみを伝えると、和子はとても美しいメッセージをくれました。

これを皆さんにお話ししたいと思います。これこそが輝きに満ちた和子について雄弁に語ってくれるからです。和子の研究者としての寛大さ、翻訳者、フェミニストとしての勇気から私は本当に多くの事を得てきました。

 メッセージに綴られていた思いやりに満ちた慰めの言葉。

そこから私は「たとえ病状の深刻さを知らされていたとしても、最愛の人の死はいつも突然訪れるものなのだ」と気づかされたものです。

この言葉に続いて、和子は一篇の詩を私に贈ってくれました。

元々は、母親の他界を悲しむ友人に宛てて Mary Elizabeth Frye という主婦が1932年に書いた詩です。

この詩は日本語に翻訳され、『千の風になって』というタイトルがつけられて歌となり、大変な人気となりました。日本人テノール歌手秋川雅史が歌っています。この歌です。輝くような和子のイメージが拡がってきます。

~(ここに『千の風になって』の詞が引用されています)~

そう、和子はいなくなったのではありません。なお、生き生きと私たちとともにあるのです。

(日本語訳:井川ちとせ・田村恵理)

*「竹村和子を偲んで」は、2012年3月11日東京・千代田区如水会館で行われた「竹村和子さん追悼の会」に寄せられました。ご本人と翻訳者の承諾を得て転載させていただきます。

カテゴリー:竹村和子さんへの想い / シリーズ

タグ:フェミニズム / 竹村和子 / ジェンダー研究 / 追悼

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