
※作品の内容に対する記述があります。
あらすじ
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NYでストリップダンサーをしながら暮らす“アニー”ことアノーラは、職場のクラブでロシア人の御曹司、イヴァンと出会う。彼がロシアに帰るまでの7日間、1万5千ドルで“契約彼女”になったアニー。パーティーにショッピング、贅沢三昧の日々を過ごした二人は休暇の締めくくりにラスベガスの教会で衝動的に結婚!幸せ絶頂の二人だったが、息子が娼婦と結婚したと噂を聞いたロシアの両親は猛反対。結婚を阻止すべく、屈強な男たちを息子の邸宅へと送り込む。ほどなくして、イヴァンの両親がロシアから到着。空から舞い降りてきた厳しい現実を前に、アニーの物語の第二章が幕を開ける─。
映画『ANORA アノーラ』公式サイトより
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映画は最初、アニーが勤務するニューヨークのストリップ・クラブを映すシーンから始まる。
音楽が地響きのように鳴り、酒が飛び交い、裸の女の子たちが客に跨り笑顔でダンスする。客の欲望を過剰に叶えて、華美な幻想を提供してみせる嘘の箱。
そこで働くアニーは、ひょんなことから、客として来ていたロシア人の若くちゃらんぽらんな御曹司・イヴァンに“見初められ”、期間限定の契約彼女となる。
突如として超富裕層の世界への扉が開いたアニーは、イヴァンとその仲間たちとともに、酒にドラッグにパーティーにゲームにと遊び尽くす。
ラスベガスで豪遊の限りを尽くした末に、イヴァンはアニーに結婚を申し込み、幸せ絶頂の2人は晴れて夫婦となる。
誰がどう見たっていつか終わる祭りだとわかるような、ゴテゴテに装飾された張りぼての夢のようなシーンの連続。アニーはどこまで予感していただろうか。夢には当然終わりが来る。
イヴァンの「電撃婚」を知り激怒したロシアの両親が、結婚を無効化するために、2人が住んでいるアメリカの豪邸に手下の男たちを差し向ける中盤から、この映画はいきなり様相を変える。
イヴァンの見張り役として雇われていたトロス、その腹心のガルニク、そしてロシア人の用心棒イゴールが無理やり家に侵入し、結婚を取り消すよう2人を脅しにかかる。
最初こそ反抗的なイヴァンだったが、両親が急遽アメリカに向かってきていると知ると怖気付き、男たちのなかにアニーを置いてあっという間に逃げてしまうのだった。
1人で必死に抵抗するアニーと、イヴァンを逃し慌てふためく3人の男たち。ロシアの両親が到着する明日の正午までに、なんとしてもイヴァンを見つけなければならない。4人は一晩限りの奇妙なチームとなり、物語はコメディチックな追跡劇へと切り替わっていく──。
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しかし、アニーの置かれていた状況は本当に「コメディチック」であっただろうか。
イヴァンに裏切られ、自分より倍大きい体格の男たちのなか家に取り残された彼女の恐怖はどれ程のものだったか。
パニックに陥ったアニーは必死で抵抗する。男の鼻を折り、蹴り飛ばし、物を投げ、噛みつき、叫んで、力の限り暴れまわる。
猛獣のようで手に負えない女を前に、予想外にあたふたしてしまう大男たちの図はたしかにどこか滑稽に見える。「ドタバタコメディシーン」として、観客席のそこかしこで笑いが起こる。
そうして、彼女の本当の恐怖は軽視される。
電話のコードで手を縛られ身動きの取れなくされたアニーは、金切り声で「レイプ!!!!!!」と叫び、また男たちを慌てふためかせる。そしてついには口もスカーフで塞がれてしまう。その様子に、また観客席から笑いが起こる。
彼女の声は誰にも届かない。
そう、この映画で、彼女の声を本当に聞こうとする人は結局のところ1人もいなかった。
用心棒イゴールは、イヴァン探しに同行しながら、常にアニーを気にかけ寄り沿おうとし、寡黙な彼なりの不器用で優しいまなざしを向けていた。
アニーが婚姻取り消しの書類にサインするときも、「イヴァンは彼女に謝るべきだ」と、唯一彼女の側に立っていたのはイゴールだった。
物語終盤、婚姻を取り消したアニーはイゴールの付き添いのもとニューヨークの豪邸に戻り、2人で最後の夜を過ごすことになる。
アニーの傷に寄り添っているかのように見えたイゴールはしかし、いざ自分の暴力行為を咎められても、決して謝りはしなかった。
「あれは暴力とはいわない」「君(アニー)がクレイジーだった」と言って、頑として非を認めない。
あれは暴力だったと主張され、「あの時2人きりだったら私をレイプしていたはず」と言われたイゴールの表情がほんの少し歪む。場面の緊張感が一気に高まる。
次の瞬間豹変するかもしれない、怒ってアニーを殴るかもしれない。なにしろイゴールは、電話のコード一本で簡単にアニーの身体の自由を奪ってしまえるのだから。
アニーはさらに、イゴールに「レイプ魔の目だ」と言う。
イゴールの、思いやりと気遣いに満ちているように観客には感じられたあの視線が、実はアニーにとっては脅威だったとしたら?
そうかアニーはずっと、女性として、セックスワーカーとして、今までの人生で何度も一方的なまなざしに晒され続けてきたのだと、私はそこでやっと気付く。
親密になったように見える2人の空間にも常に、暴力と加害の予感が漂っていた。
物語のラスト、元々住んでいたアパートまで送り届けられたアニーは、車の中でイゴールに跨る。
そこで、イゴールが拒んでくれたらどれほどよかったか。
結局イゴールさえも、アニーの行為を拒まない。お前もかよ。結局お前もそうなのかよ。
アニーの「助けになりたい」と言っていた。しかしアニーの行為を受け入れた時点でもう、イゴールは彼女の同志にはなり得ないのだ。
アニーは行為の途中で泣き崩れる。
これが、カギ括弧付きの「シンデレラストーリー」の先にあった苦い答え。たしかに、アニーの声は誰も聞かなかった。でも彼女は誰よりも自分に忠実に行動した。自分が何を楽しみ、何に怒り、何を欲するのか。誰も聞かなくても彼女だけは自分の内なる声に耳を傾け全身全霊で行動しまくりボロボロになった。クソ気高い魂を守りきった。傷つききった先で彼女はきっともっと自由になる。情けないボンクラ御曹司も理解者ぶる暴力男も手が届かないようなところまで、これからアニーは自分の足で闊歩していけるはずだ。
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劇中でアニーとイヴァンが誓いを立てたラスベガスの即席結婚式場は、実際にはブリトニー・スピアーズが幼なじみの男の子と電撃婚した(そして速攻婚姻を取り消した)場所らしい。
いつも現実が最高で面白い。
〇松村ひらりプロフィール
俳優、フェミニスト。青山学院大学文学部比較芸術学科卒業。卒業論文は『映画は「女性をめぐる偏見」の強化もしくは緩和にどれほど影響を与えてきたのか?-映画の影響力を数値化する試み-』。
現在、映画『アディクトを待ちながら』が公開中。2023年、坂手洋二演出劇団燐光群の舞台『九月、東京の路上で』のほか、瑠東東一郎演出のドラマ『うちの弁護士は手がかかる(フジテレビ)』に片山菜々子役で出演。2024年は、劇団「趣向」の舞台『べつのほしにいくまえに』でジュリエット役を演じ、ニューヨーク大学の荻野緋菜監督作品『SALT IN SOIL』では主演を演じた。
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