原発ゼロの道

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[WAN的脱原発](13)ヒロシマとフクシマのあいだ② 加納実紀代

2011.08.31 Wed

*被爆国だからこそ

しかし敗戦国日本に原爆は許されない。占領政策により原爆は研究も報道も禁じられ、「平和と民主主義」がアピールされた。しかし外では米ソ冷戦が激化、1949年、ソ連が原爆を開発し、とめどない核開発競争がはじまる。53年12月、アイゼンハワー米大統領が「原子力の平和利用 Atoms for Peace」をうちだしたのは、水爆開発などでアメリカを凌駕する勢いを見せるソ連を牽制するとともに、核燃料と技術を提供することで西側同盟諸国をアメリカの支配下におくためだった。

ここで原子力はジキルとハイドのように二面性を持つことになる。戦争のための原爆という<悪>と平和のための原子力利用という<善>。「平和」を国是とする日本にとって、原爆の威力が「平和」という<善>に結びついた意義は大きい。原子力研究解禁は52年の独立以後だが、それ以前から動きは始まっていた。元主計中尉・中曽根康弘は47年政界に入ったが、51年に日本を訪れたダレス特使に原子力研究の自由を認めるよう文書で依頼した。アイゼンハワーの「平和利用」演説後の54年春には、第19国会でいきなり「原子炉製造補助費」2億3500万の予算案を提出し、原子力開発を国策として起動させる。それについて中曽根は、つい最近、『朝日新聞』のインタビューで、「そこは先見性だ。エネルギーと科学技術がないと、日本は農業しかない四等国家になる」と胸を張っている(「原子力と日本人」『朝日新聞』2011年4月26日)。

戦中から研究をすすめていた学界でも、独立後、原子力開発の動きが急浮上する。そこで問題になったのがヒロシマとの関係である。52年10月、第13回日本学術会議で茅誠司・伏見康治による原子力委員会設置の提案が出された。それに対して広島大学の理論物理学者三村剛昴は、自らの被爆体験に基づいて反対した。「ただ普通に考えると、二十万人の人が死んだ、量的に大きかったかと思うが、量ではなしに質が非常に違うのであります。し かも原子力の研究は、(略)さっきも伏見会員が発電々々と盛んに言われましたが、相当発電するものがあ りますと一夜にしてそれが原爆に化するのであります。(略)原爆の惨害を世界に知らせる。実情をそのままつたえる。それこそが日本の持つ有力な武器である。」(『日本学術会議25年史』1974年)

一方、原子物理学の武谷三男(立教大)は被爆体験ゆえの「平和利用」を主張した。「日本人は原子爆弾を自分の身に受けた世界唯一の被害者であるから、少なくとも原子力に関する限り、もっとも強力な発言の資格がある。原爆で殺された人々の霊のためにも、日本人の手で原子力の研究を進め、しかも人を殺す原子力研究は一切日本人の手では絶対行わない。そして平和的な原子力の研究は、日本人がこれを行う権利を持っており、そのためには諸外国はあらゆる援助をなす義務がある」(「日本の原子力研究の方向」『改造』52年11月増刊号)

被爆国にもかかわらず、ではなく、被爆国だからこその原子力利用だというのだ。この文章は彼の持論「平和・公開・民主」につながるものだが、広島ではこの部分だけが一人歩きする。武谷の言うように、もっとも原子力の被害を受けた国がもっとも恩恵を受けるべきだとすれば、直接被害を受けた広島こそ権利がある。55年1月27日、アメリカのイェーツ下院議員は、広島に原子力発電所を建設するための予算2250万ドルを下院に提案した。前年9月、アメリカを訪問した浜井信三広島市長が働きかけた結果である。浜井はその理由として、「原子力の最初の犠牲都市に原子力の平和利 用が行なわれることは、亡き犠牲者への慰霊にもなる。死のための原子力が生のために利用されることに市民は賛成すると思う」と述べている(『中国新聞』55年1月29日)。原爆という悪は、平和利用という善によって償えるというのだ。

浜井は原子力発電所をアメリカの「善意の贈り物」としている。しかし前年3月、ビキニ環礁におけるアメリカの水爆実験でマグロ漁船第五福竜丸が死の灰を浴びたことから原水爆禁止運動が起り、この時期は署名2200万という「国民的」盛り上がりをみせていた。これを受けて55年1月16日、原水爆禁止世界会議を8月6日に広島で開催することが決まっている。イェーツ下院議員による提案はその10日後である。「善意」とだけは考えにくい。原水禁広島協議会事務局長で広島大学教授の森瀧市郎はただちに声明を出し、原子炉が原爆製造に転用される恐れがあること、放射能の人体への影響などをあげて反対した。

四月の市長選で、推進の中心であった浜井市長は落選する。広島市民には「広島原発」というアメリカの「贈り物」に拒否反応があったのかもしれない。

編集部より:

本稿は、インパクション一八〇号 特集「震災を克服し原発に抗う」2011年6月25日刊(1500円+税) に掲載された「ヒロシマとフクシマのあいだ」を、WANのために再編集していただいたものです。

初出のインパクション一八〇号には他にもジェンダーの視点からの震災・原発関連論文が多数掲載されています。

カテゴリー:脱原発に向けた動き

タグ:脱原発 / 原発 / 加納実紀代 / 広島