エッセイ

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わたしがわたしであるために(旅は道草・56) やぎ みね

2014.09.20 Sat

めぐり逢わせのお弁当

 いま上映中のインド映画「めぐり逢わせのお弁当」を観た。舞台はインドのムンバイ。

  ムンバイのお昼どき。できたてのお弁当を20万個も家庭から集め、雑踏の街を縫ってオフィスに配達するダッパーワーラーという仕事がある。

 専業主婦のイラは、最近、妻に無関心な夫を振り向かせようと、とびきりおいしい4段重ねのお弁当をつくった。だが、それは夫には届かず、定年間近の保険会社の会計係・サージャンに間違って配達される。数年前、妻に先立たれ、自分の中にひきこもる無口な男のもとへ。あまりのおいしさにお弁当はからっぽで返ってきた。きれいに食べてくれたとイラは喜ぶが、夫は全く無関心。どうやら誤配されたらしいとわかる。次の日、「食べてくれてありがとう」とメモを添えて、さらにおいしいお弁当が届く。ランチボックスと短い手紙のやりとりから二人の心は近づいていく。ケータイでもメールでもなく、名も知らぬままに。

 映画は通勤電車の雑踏シーンから始まる。ずっと以前に訪れた中国・北京でも、わけがわからぬ大きなズタ袋を担いでバスに乗りこんでくる人たちと同乗して、「こんなに大勢の人がいる国は、きっと発展するだろうな」と思ったものだ。インドもまた同じ。

 先頃、インドのモディ首相が「インドでものづくりを」と日本の投資を求めて来日した。京都御所の迎賓館で安倍首相とお忍びの会食と東寺への訪問。日本政府はインドへ原発や武器輸出など売り込みに必死だ。

 近代化を果たしたインドで、なお女たちは自分を生きることが難しいのだろうか。イラは子どもを送りだし、掃除と洗濯、お弁当づくりに明け暮れる。夫のシャツを洗濯機に入れようとして別の女のにおいに気づく。日々の会話は上階に住む伯母と窓ごしに声を交わすだけ。寝たきりの老夫の介護にかかりきりの伯母。イラの母親も同じ。弟は受験に失敗して自殺。サージャンの後任を引き継ぐ若い男も孤児だ。

 ある日、男は「ブータンへ旅をしないか?」と書く。イラは誘いに応えて喫茶店で待つ。だが、男はその朝、鏡に写った自らの老いを悟り、店の片隅から彼女を眺めて席を立つ。数日後、イラは宝石を売り、家を出て、ひとりブータンへと向かう。女ひとりの旅立ちで終わるのがいい。

 ブータンはインドのすぐ隣なんだ。ブータンとカリブ海の島・セントルシアへ建築のシニアボランティアに出かけた友人からブータンの話を聞いたことがある。GDPより国民総幸福量(GNH)を尊重する国は、やっぱり天国に一番近いのかな。彼は今、淡路島で、のんびり一人暮らしだけど。

 そしてもう一つ、1989年のイギリス映画「旅する女 シャーリー・バレンタイン」も、わたしがわたしであるために旅する女を描いた作品。その頃、離婚を切り出された私に、そっと背中を押してくれた映画だった。

   旅する女

旅する女

 シャーリーは42歳の専業主婦。子どもたちは自立して夫と二人。黙々と家事をこなし、台所の壁に向かって、ひとりごとを繰り返す日々。「高校の頃は落ちこぼれだったけど、天真爛漫な少女だったのに」と自問する。憧れの優等生だった女友だちと町で偶然出会う。彼女は今、世界をかけるコールガールになっていると聞いて驚く。

 ひょんなことからギリシャツアーに誘われたシャーリー。「つまらない主婦シャーリー・ブラッドショウではなく、元気なシャーリー・バレンタインに戻ろう」と決心し、ギリシャへ向かう。

 ホテルの朝食は定番のイングリッシュ・ブレックファストではなく、エーゲ海でとれたタコが並ぶ。ツアー客は「キャーッ」と怖がって口にしないが、シャーリーはパクパク食べる。女たらしのレストランオーナーに誘われ、二人は紺碧の海にボートを漕ぎだし、ひとときのアバンチュールを楽しむ。

 そのままギリシャのレストランで働き始めたシャーリー。夫から再三かかってくる説得の電話に「わたしはわたしにやっと出会えたわ。ありのままのわたしを好きになったの」と、にべもなく答える。その後の彼女がどうなったかは映画を見てのお楽しみ。

 私もそうだった。あんなに天真爛漫だったのに、好きな男と結婚したばかりに、いつのまにか、わたしがわたしでなくなっていることに気づいた。「なんで、どうして?」と思った。家族という制度の縛りなのか、女と男の関係性なのか。ベティ・フリーダンも知らず、のちにようやく「遅れたリブ」にたどりついて、わたしを取り戻すことができたけれど。結婚当時、夫の箸の上げ下ろし一つ、いやと思ったことは一度もない。別れた後もそう。それが一番困るんだな、わたしを生きたいと思う女にとっては。

 若い人は「そんなの関係ない。わたしを生きてるわ」というかもしれない。いや、そうでもないかな。ウーマン・リブから、もう何十年? いま女たちのなかで、リブは、しっかり根付いているんだろうか?

 そういえば近日上映の同じくインド映画「マダム・イン・ニューヨーク」も、ひとりの女の旅立ちを描いているらしい。このシネマも観に行こうかな。

 「旅は道草」は毎月20日に掲載予定です。これまでの記事はこちらからどうぞ。

カテゴリー:旅は道草

タグ:やぎみね / 女とアート(映画/演劇/ドラマ/パフォーマンス/音楽/美術/絵画/写真/文学) / リブ / インド