2015.07.05 Sun
先日、ある大学の女性学講座で韓国映画をテーマに話をした。どの映画にしようかと考えた時にすぐ思い浮かんだのが「飛べ、ペンギン」(2009)。ソウルの試写会で見て印象的だったからだ。日本でも数年前に上映会が開かれていたので、ご覧になった方もいるだろう。この映画は韓国の国家人権委員会が、人権意識の向上を目的に制作したものだ。“なんだ、啓蒙映画か”と思うなかれ。これがすごく面白いのだ。ドラマでお馴染みの俳優たちも登場する。短編ドラマのように気楽に鑑賞しながら人権について考えることができる。日本社会も似たような問題を抱えているので、大学でも学生たちに見せている。
4つのエピソード
この映画は4つの物語で構成されている。
最初のエピソードは、小学校2年生のスンユンとそのママのお話。スンユンの家族は韓国の典型的な中産層家庭である。パパはサラリーマン、ママは区役所に勤める公務員で、一人息子スンユンの教育に余念がない。放課後はいくつもの塾に通わせ、家では夜中まで子どもに勉強させる。バレエが創意力をうむ右脳を発達させると聞けば即とびつく。英語でテコンドーを教える道場が人気と聞けば通わせるという教育ママぶりだ。
だ が、スンユンにとってそんな生活はストレスがたまるばかり。父親はスンユンの理解者だが、忙しくてたまにしか相手をしてやれない。そのためスンユンの教育や日常生活のサポートは妻が牛耳っている。母親思いのスンユンは、自分の大変さを誰かに訴えることができない。やがてスンユンは問題行動を起こすようになる。
2つ目のエピソードは、韓国の会食文化について。スンユンの母親が勤める区役所が舞台だ。主人公は新入職員の若者たち。男性のジュフンはベジタリアンで、酒も飲めない。女性のミソンはスモーカーだが、年上の同僚たちの前で吸うわけにもいかず、隠れて吸っている。そんな二人が職場でそれぞれにぶちあたる葛藤を描き出した。
3つ目のエピソードは、英語教育熱を背景にした物語。区役所のクォン課長がその主人公。彼は、子どもの英語教育のために妻子をアメリカに移住させ、自分はせっせと働いて仕送りしている。韓国では俗に“キロギアッパ”(雁の父さん)と呼ばれている。周りの人たちからは子どもたちを早期留学させていることを羨ましがられる。しかし、家族と離れて一人で暮らす生活がさびしくてたまらない。その上、当初は1年の予定だったのがもう4年目である。
夏休みで久しぶりに妻子が戻ってきた。だが、楽しみにしていたクォン課長はじきに落胆させられる。しばらく会わないうちに妻も二人の子どもたちもよそよそしくなってしまったのだ。その上、留学を終えて帰ってこようという気配はまったくない。このままだと精神的にも辛いし、経済的にも無理だと言いかけたところ、妻からは思いがけない提案が…。クォン課長はそれを聞いてすっかり落ち込んでしまう。
4つ目のエピソードは、熟年夫婦の物語。クォン課長の両親が主人公だ。教員だったクォン先生(夫)は退職後、毎日家でぶらぶらしている。気難しく非社交的な性格もあり、滅多に外出しない。かといって家事を手伝うわけでもない。三度の食事も掃除洗濯もすべて妻に任せっぱなしである。一方、妻のソン女史は社交的な性格だ。公民館のサークルに出かけ、いろんな習い事をしている。友だちも多く、一緒に旅行にでかけたりもする。猛勉強の末に運転免許も取得した。ところが、夫は妻が免許を取ったとたんに何の相談もなく車を売りとばしてしまう。ソン女史はそれに腹を立て、ついに不満を爆発させるのだ。
日常の中にある人権問題
イム・スンレ監督(1960~:写真)はあるインタビューで、「日常的にぶち当たる人権問題を取り上げたかった」と語っている。また、「ひとは自分が人権侵害の被害者だと思いがちだが、加害者にもなりえる」ことを伝えたかったそうだ。そこで選んだのがこの4つのエピソード。ちなみにイム・スンレ監督は、2004年のアテネオリンピック女子ハンドボールチームの実話を描いた「私たちの生涯最高の瞬間」(2008・百想芸術大賞映画部門作品賞受賞作)で400万人の観客を動員した。監督自身、ベジタリアンである。
エピソードの中で比重が置かれているのは何といっても教育問題だ。この映画がつくられた2000年代後半は、英語教育熱や早期留学の問題が社会問題化した時期である。米国生まれの“アルファ(α)マム”、“ベータ(β)マム”という言葉が上陸したのもこの頃。前者は、子どもの才能をいち早く見つけて、体系的な教育を施す母親のこと。スンユンの母親もこのタイプに入る。それに対して後者は、子どもが自分で人生を切り拓いていけるように見守り、適切な助言をする母親のことを指す。テレビで「アルファマムVSベータマム、あなたの選択は?」(SBSスペシャル)というドキュメンタリー番組が放映されたのが2008年。大きな反響があり、2か月後には本(チャン・ユンジョン『母親たちの教育戦争、アルファマム、ベータマム』ノマドブックス2008)にもなった。
韓国の教育ママの過熱ぶりは以前から“チマパラム”(スカートの風)といわれ、やや否定的に取沙汰されてきた。しかし、韓国が今日のように発展できたのは父母の教育熱、母親のチマパラムのおかげ、との認識もある。2006年、「韓石峯とその母」の逸話が文化体育観光部主催の<100大韓国民族文化象徴>に選定されたのもそれを示すものだ。韓石峯(ハン・ソクポン1543~1605)は朝鮮王朝時代の最高の名筆家。彼を成功に導いた母親の貢献をたたえている。この逸話はドラマ「江南ママの教育戦争」(2007)の初回にも描かれた。その後、韓国の賢母の鑑である申師任堂(シン・サイムダン1504~1551)が5万ウォン札の肖像として登場したことはすでに紹介した通りである(本欄13)。
ペンギンアッパ
さて、エピソード3のクォン課長は、三人分の仕送りをするのだから大変だ。彼の収入では仕送りするのが精いっぱいで、妻子のいるアメリカを訪問することすらできない。空港で見送るだけで、“飛んでいけない”父親のことを“ペンギンアッパ”という。この映画の題名はここからきている。ちなみに、この他にも“トクスリアッパ”(鷲パパ:いつでも行ったり来たりできる)や、“チャムセアッパ”(雀パパ:海外に送るのはとうてい無理なので、学区のよい江南に妻子を住まわせ、自分は江北の粗末なワンルームで暮らす)という表現もあるそうだ。
早期留学の流行とともに、その弊害も問題視されるようになった。長期間、家族と離れて暮らすため、父親がうつ病になったり、自殺や離婚に至るケースも出てきたのだ。だが、小中高生の早期留学は2006年をピークに、少しずつ減少してきた。李明博政権の教育多様化政策への転換が功を奏したとの見方もある。その良し悪しは別として、各地に英語で教育する国際中学、国際高校などが設置されるようになった。また、2000年代の初期から推進してきた済州島や仁川松島の国際都市化も進み、海外の教育機関がいくつも誘致された。子どもをあえて海外に送らなくても、そうした教育機関で学ばせてから海外の大学に進学させるというコースが新たに加わったのだ(写真は、済州島に開校した二校目の国際学校、Branksome Hall Asia,2012)。
最後に、韓国の国家人権委員会について簡単に紹介しておこう。国家人権委員会は、 もともと国連が各国に設置をうながしてきたものだ。韓国では1993年の国連ウィーン世界人権会議をきっかけに、民間団体が政府に設置を要求。1997年11月、大統領候補だった金大中が選挙公約として掲げた。そして様々な議論の末に、立法・司法・行政のいずれにも属さない独立機関として設立された(2001年11月)。ちなみに、このような機関は日本にはまだない。
写真出典
http://movie.daum.net/moviedetail/moviedetailMain.do?movieId=48607
http://bkldongcheon.tistory.com/m/post/71
http://www.jejusori.net/?mod=news&act=articleView&idxno=145154
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