2011.05.19 Thu
★日本のフェミニズム:第1回/『リブとフェミニズム』★2011/5/7
『新編 日本のフェミニズム』全12巻 刊行にあわせ、各巻ごとの編者が1回ずつ講師を担当するシリーズの第1回。第1巻「リブとフェミニズム」の編者は上野千鶴子さん。
講義はまず、2011/3/30に東大で行われた『新編』完結記念公開シンポジウムでの模様が紹介された。その内容はこちらで詳しく知ることができる。
http://wan.or.jp/reading/?p=1836
http://wan.or.jp/reading/?p=1849
http://wan.or.jp/reading/?p=2146
各レポートもこちらから。
http://wan.or.jp/reading/?p=1892
http://wan.or.jp/reading/?p=2072
http://wan.or.jp/reading/?p=2086
◆リブとフェミニズム
1970年、学生運動の退潮期にリブは誕生した。新左翼の体内で十月十日して生まれた鬼子だったという。女は男を支える役目を担い、担わされ、ここから「便所からの解放」というビラが生まれた。リブはメディアにより歪曲(からかいやバッシング)に満ちて伝えられたが、そんな報道からも「おもしろいことをしている女たちがいるのだな」と感じとった女性もいたという。メディアは発信者のメッセージに従った解釈をする場合もあるが、あらがった解釈をする場合もある。しかしまた、それをどのように受け取るかも受け手次第だ。
第一波フェミニズム(明治・大正期の女性解放運動)は法的・政治的平等を求める「人間解放」の運動であった。しかし女を取り巻く実質的な不平等はなくならなかった。リブから始まった第二波フェミニズムは、自己解放を求める「おんな解放」をかかげた。
男女平等、男女同権という考え方は「男なみ」を求める女の運動としてとらえられた。しかし男なみを目指しても、それが女性の解放にはつながらない、と上野さんは言う。男女共同参画といった目に見えやすい政治的平等の達成のウラでは、言葉や形にして提示しにくい問題が、むしろ取りこぼされて、葬り去られてしまう。女は子供・年寄りを抱える、社会的弱者であり、女が男なみでないのは、女が抱える配慮や負担のせいなのだ。男なみになることは社会的強者を目指すことである。そんなものを女は望んではいない。女は、弱者のまま尊重される社会を望んでいるのだ、と。
例えば日本で女性管理職が少ないのは、勤続歴が長い人材を採用する慣例に原因がある。つまり男性に有利に、子育てや介護で連続勤務の実現が難しい女性に不利に働く慣例なのだ。「女がすぐやめてしまうからだ」という自己責任論や「男なみにがんばる女を応援する」ということでは問題は解決しない。女たちは、ジェンダー中立的でない社会の枠組み・ルールのほうを変えていくことを求めているのだ。
「婦人」「女性」ではなく、蔑称であった「おんな」という言葉を使い、リブは「おんな解放」と社会的弱者である立場を自ら引き受けて語りだした。このように、おんなの自己解放への覚悟は当初から表わされており、第二波フェミニズムは一貫して自己解放をうたっている。女であることが、女として生きていることが苦しい。そんな自分を、どうやって救うか。女性学は自分を対象とする学問である。当事者研究とも言われるこの学問は、学問世界の中の最大の抵抗勢力、「それは主観的なものでしょう?」「客観的ではないでしょう?」という意見と今日まで戦い続けているという。
◆子育て世代と親世代(フェミニズムのバトン)
質疑では、子育て期を迎えている若い世代の親世代の方から次のような意見があった。独身の30代女である私はまさしくこの世代で、子供を産み育てている友人もいる。ここでは子育て期に当たる世代を「私たち」、その親世代を「彼ら」と呼んで続けたい。
彼ら親世代からは、子育て世代は横につながることができないでいるように見えるという。制度やサービス、両親の援助もなかった彼らは、しかし互いに助け合い、横につながりあえた。「人に迷惑をかけない」とか「人とかかわり面倒な思いをするのを避ける」「嫌な思いをするよりも、サービスやお金を使って解決する方法を選ぶ(ネオリベ的メンタリティ)」という方向に育った私たちに対し、痛恨の思いがある、と上野さんは言う。「助け合いや人のつながりは、最後にはセーフティネットになってくる。助けになるのは決してお金ではない。私はそう思っている」という上野さんの言葉は、私たち世代へ投げかけられた、厳しく真剣なメッセージに聞こえた。
このメッセージに答えられるような十分な言葉は私にはない。ただシンプルに感じたことを述べてみるなら、つながりたくない、わけはないと思う。「迷惑をかけたくない」「傷つけたり傷ついたりしたくない」というのは私にはなじみのある感覚だが、それは「人とかかわろうとする」結果、傷を負ってしまう自分が現実にあるからであり、むしろつながりへのひりひりするような渇望を心の奥に自覚できる。
一方で、つながれない理由として思いつくのは、私たちの世代の女性は多様になったということだ。住んでいる場所はバラバラだし、就職氷河期世代の私たちはフリータースタートの人間もいて、職業的状況は想像つかないくらいに異なる。結婚しない人、しても子供をもたない人とライフコースもさまざまだ。職場によって子育てへの理解やサポートの差もあるだろう(だいたい育児をしてかつ働いている女性は非常に忙しく、なかなか人と交流する時間も容易に作れないように見える)。私たちは同じ世代といっても各自を取り巻く状況は非常に多様で、互いの立場の理解が難しく、また自分がなれなかったものや選ばなかったものを相手に見てしまえば、気持はそれ以上に複雑なのではないかと思う。
親世代が若い世代に何ができるだろうか?という問いに対し、上野さんはこのように答えた。「自らの問題に対しては、自らが取り組むという当事者運動・自己解放をやってもらうしかない。私たちができるのはその脇役・サポートだけだ。できることがあるとすれば、自分たちはこういうことをしたということを伝えること。しかしそれが参考になるかはわからない。ならないかもしれない。使えるものは使ってほしい。使えなくてもしょうがない。」
『新編』12巻は、この編者である第一世代のフェミニストたちが高齢化してきており、次の世代にバトンを渡すために作られたという。フェミニズムは、それぞれの自己解放のための活動であり、このルールは世代の枠も超えて貫かれている。子育て世代を取り巻く社会環境が今と以前で異なるように、各世代は各世代に特有の問題を抱える。私たちは、私たちの問題にむきあっていくだけだ。先人たちの戦ってきた背中を見て、勇気をもらいながら。フェミニズムはそんなメッセージで溢れている。
ヒノノキ(受講生)
カテゴリー:拡がるブックトーク2011
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