公論形成のために
2017年2月11日付中日新聞に出た上野千鶴子さんのコメントに端を発する論争は、韓東賢さんの2月12日付ヤフーニュースが先鞭をつけましたが、主にはWANのホームページで展開されました。移住連貧困対策プロジェクトは公開質問状を送付したものの、スピード重視の一夜漬けで作成して13日に出したため、かなり詰めが甘いものでした。
それが当初の上野さんの「門前払い」的な回答につながったのでしょうが、岡野八代さんと清水晶子さんから相次いで投稿がなされたのは驚きでした。あるフェミニスト研究者は、フェミニズムとレイシズムについて議論を避けてきた結果がこれだという意見でしたが、内部できちんと声が上がるところにフェミニズムの力を感じました。再応答を書く気になったのは、移住連内部で主導した髙谷幸さんの熱意と、岡野さん、清水さんの誠意によるものです。
お二人の投稿は、単に内部からの声というだけでなく、当初の質問状の不備を補い、それぞれの専門知にもとづきフェミニズムのあり方を問うものでした。上野さんの立論が持つ「ナショナル・フェミニズム」的なバイアスをお二人は批判しつつ、フェミニストとしてあるべき姿を真摯に提示しています。特に、「マジョリティの問題—の解決を、マイノリティの権利の制限によってはかろうとするのは、フェミニズムの根本と矛盾」という清水さんの波及力ある総括には教えられました。
その後、私たちの再応答、北田暁大さんの論考、木村涼子さんの投稿、上野さんの再回答が続くことで、小さな公共圏ができつつあるのを実感してちょっとした興奮を覚えたものです。再応答を用意するに際しては、上野批判を超えた公論形成に結びつけるべく、「移民受け入れ」を考える際の一般的な誤解を晴らすことを意識して書くようになりました。
特筆すべきは、北田さんの論考以外はWANのサイトで議論が続いたことです。再応答に際しては個人名(稲葉・髙谷・樋口)で書いていたため、移住連のホームページを使うのは現実的ではなく、掲載のあてもなく執筆していました。どうしようかと思っていたところで、WANのサイトに掲載しないかとお誘いを受け、上野発言への再批判にあたる文書を公開できたわけです。
上野さんのヴァーチャル研究室があるWANにおいて、上野批判とそれへの応答が展開されたこと自体、移民研究者として学ぶところが多くありました。WANのサイトに誘導することで、フェミニズム、上野さん、移民、社会学と異なる関心を持つ読者が、問題を考えることができたのですから。これは、WANの発想の健全さとセンスの良さによるものでしょう。これをもって、「上野千鶴子の炎上商法」といわれる向きがあるかもしれませんが、残念ながら移住連にはそうした機をとらえる「商才」がありません。移民研究者も、こうした形で公に議論する場を用意することも、そうした発想を持つこともありませんでした。
周回遅れの認識を糾す
他方で、牟田和恵さんの「『普通の人の排外主義』に声を届けるには」で一連の議論を終えることについては、異を唱えざるをえません。「日本社会に排外主義を支持する傾向がみられる…現状をしっかりと正確に認識するところからしか、それを変えていく道は始まらないのではないでしょうか」と牟田さんは書かれています。一連の議論に参加した者としては、なぜこのような大前提をことさらに繰り返すのか、戸惑いを覚えざるをえません。
私自身は、2011年から日本の排外主義(とりわけ在特会)について調査してきました。今世紀に入って跋扈する排外主義は、在日外国人に対する直接的な敵意から生まれたのではない、というのが調査の知見でした。1990年代以降の近隣諸国との関係悪化――とりわけ歴史問題をめぐって――が、日本の排外主義の根底にあります。この排外主義の核を作り出しているのが右派の政治家や論壇で、その言説がインターネットで外国人排斥へとデフォルメされたのが、在特会の正体ともいえます(『日本型排外主義』名古屋大学出版会、2014年)。
その意味で、日本で排外主義が台頭したのは、右派エリートの台頭がもたらした「意図せざる結果」であり、「上から」の動きが生み出した性格を強く持ちます。それと同様に、上野さんのような影響力がある論者が不用意な移民受け入れ反対論を述べたからこそ、批判せざるを得なくなりました。さらに、政治、ジェンダー、排外主義など細かな領域ごとに、何がどの程度まで右傾化したのかを検証する試みも、すでに始まっています(塚田穂高編『徹底検証 日本の右傾化』筑摩書房、2017年)。
牟田さんが現状を悲観している間に、日本の排外主義の傾向と対策に関する研究は進んでおり、それを前提として上野批判がなされました。「『普通の人の排外主義』を…どうやったら変えていけるのか、どうアプローチしたらいいのか」という牟田さんの嘆きは、いわば周回遅れの認識です。牟田さんが並走していると思っていた人たちは、すでに一周先を行っているわけで、それを踏まえてご自身の立ち位置を定める必要があったのではないでしょうか。
牟田さんがもう1点出されていた、「『移動しなくともよい』世界を目指す方向性」については、サスキア・サッセンのデビュー作『労働と資本の国際移動』(岩波書店、1992年)だけ読んでも、まったく成立しないことがわかります。経済開発が移民を誘発する要因であることは、移民研究では広く知られてきました。実際、世界でもっとも移民を送出しているのは、OECD加盟国であるメキシコです。2016年時点で日本の超過滞在者・国籍別第一位は、購買力平価でいえば日本とほとんど変わらない韓国です。
今回の移民をめぐる一連の討議過程は、それまで相見えることのなかった人たちが、異なる背景的知識をもとに参入することで、内容豊かなものとなっていきました。そのなかで、間接的に上野擁護を企図したであろう牟田さんの投稿は、ご自分の常識に安住したとりとめのないおしゃべりを文字にした程度の水準です。裏付けのない思い付きを書いてはいけませんよ、とゼミ生たちに繰り返してきた言葉を牟田さんにも向けねばならないのが残念でなりません。
研究者による運動のあり方を学ぶ
と、牟田さんを批判する一方で、移民研究者はフェミニストから学ぶべきことが多くあるな、と気づかされもしました。セクハラという言葉が定着し、一定の規範を形成する過程でフェミニストが果たした役割は大きい。組織の行動指針にするに際してフェミニストは大いに活躍してきたわけですが、移民研究者はそうした活動をほとんどできていないからです。
移民研究者を自任する者が初めて一定規模の運動を組織したのは、1999年になります。この年には、非正規滞在状態にあった25人の外国人が、在留特別許可(在特)を求めて入国管理局に自主出頭しました。それを支援する研究者が、入管に対して在特を出すべきという運動を起こしており、私も呼びかけ人の1人になりました。声明への賛同署名を集めるなかで、私は上野さんにも依頼しています。メールアドレスを知らなかったので、東大あてに手紙をお送りして賛同をお願いしたところ、賛同人に名前を連ねていただきました。
ことの経緯は、『超過滞在者と在留特別許可』(明石書店、2000年)にまとめましたが、まとめ役の駒井洋さんも、上野さんの賛同を特筆すべきこととしています(私自身は、その時から上野さんが変わったとは思いませんが、「移民受け入れ」については懸念を持ったので公開質問状の作成に加わりました)。
その後も、強制送還をめぐる裁判支援、朝鮮学校に対する弾圧をめぐる支援といった形で移民研究者の運動は続いてきましたが、個別案件をめぐる散発的なものにとどまってきました。フェミニストが組織内部を変えようと続けてきた運動に近いのは、民族学校卒業者の大学受験資格問題くらいなものです。移住連貧困プロジェクトでは、その発想の延長で外国人特別入試を求める運動を始め、宇都宮大学国際学部が国公立大学で初めて「外国人生徒入試」を導入するに至りました。
しかし、移民研究者にできる運動はそれだけではないのだな、と牟田さんについて書きながら思わされました。キャンパスセクハラへの対応は、レイシャル・ハラスメントのまさに先行例にあたります。セクハラが問題化する以前に横行していたのと同様、日本の大学で外国人や民族的マイノリティがハラスメントを受けるがままになっていたのが放置されてきたわけですから(そうした目で見ると、いくつもの事例が思い浮かびます)。同志社大学や立命館大学では、教員が自主的にレイシャル・ハラスメントの問題に取り組んでいますが、本来はセクハラのように大学が標準装備すべきことでした。
これは、フェミニストからみればまさに周回遅れの認識でしょうが、移民をめぐる過去の運動からは出にくい発想でもあります。その意味で、期せずしてウェッブ上で起こったフェミニストとの邂逅が、自分の領域で凝り固まった思考をほぐす機会ともなったことに感謝しつつ、今後の指南を乞う次第です。