上関原発のための漁業補償金(祝島分)の受けとり強要問題、
ここ数日が正念場になってます。

経緯をあらためてお知らせするために、
WANサイトにリレー連載されている
山秋真さんのシリーズ『潮目を生きる』を
再度掲載いたします。

ぜひご一読くださいませ。

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潮とともに〜海と原発とカネ
https://wan.or.jp/article/show/6469

つづく押し売り、重ねたお断り
 さかのぼって2000年にも祝島漁協は、漁業補償金の前払い分約5億4000万円を拒んでいる。
これも「管理委員会」が法務局へ供託。
ところが2006年4月、祝島漁協が山口県漁協と合併して祝島支店となり、ややこしくなる。
2008年秋に支払われた漁業補償金の後払い分を祝島の漁師が拒むと、県漁協の本店が祝島分の約5億4000万円を保管したのだ。
以降、祝島の漁師は漁業補償金について採決を繰り返し迫られる。

2009年と2010年の採決は、「管理委員会」が2000年に供託した漁業補償金について。
いずれも祝島支店は受けとりを拒んだ。すると供託期限の迫る2010年5月、県漁協本店がこれを回収。
約10億8000万円になる祝島支店分の漁業補償金を、本店が全額保管する事態となった。
2012年の採決では「何回やるんかね。2回も3回も(採決)やっちょろう?」と口にした組合員もいた。
祝島支店は、やはり「受けとらない」と議決した上、漁業補償金は二度と協議しないことも決議した。
(一部引用)

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潮目が見えるか その1〜海売りは「漁師の問題」?
https://wan.or.jp/article/show/6542

2013年6月12日、岡本さんは祝島公民館の一室にいた。
上関原発のための漁業補償金について、山口県漁協祝島支店の運営委員会があったのだ。
県漁協本店の理事ら数人と祝島支店の運営委員会の4人が、何を話したか? 関係者への取材から次の様子が伺えた。

 「祝島支店の漁業補償金配分基準を議決するための『総会の部会』開催が、県漁協本店の理事会で決まった。
今日はその配分基準を説明し、理解を得たい」。運営委員長がそう趣旨を述べ、説明を始めた。
だが、副運営委員長の岡本さんは次のように応じた。

 祝島支店は、漁業補償金の受けとりを拒む決議を重ねてきた。 その拒否決議は無視して採決を繰り返し迫っておきながら、2月28日に(受けとり)賛成決議の格好が
一回整っただけで一気に配分案を出してくるとは、納得せん。
まして祝島支店の正組合員31人は、3月22日に改めて「受けとり拒否」の意思を書面で本店へ届けている。
わしらは最後まで、この金は欲しゅうない。この話は公開でやったらどうか。組合員には妻と協力せてやっとる者も多い。
男だけじゃなく妻も、女の人も報道陣も入れてやればいい―。

(一部引用)

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潮目が見えるか その2〜潮の満ち干が糧となり砦となり
https://wan.or.jp/article/show/6588

2013年8月2日、午後4時45分。祝島と本州をむすぶ定期船の最終便が祝島港に着いた。
県漁協の理事が乗っている。誰かがサイレンを鳴らし、急を告げた。
清水さんが改めて事前の説明を求める。
だが仁保宜誠(むべなり)専務理事は「組合員には『総会の部会』で丁寧に説明する」の一点張り。
「“丁寧”いうのが、もう信用できん。前回(2月)も、そう言ったのに説明してない」。清水さんはそう語気を強めた。

 島のあちこちから人が詰めかけ、波止(はと)周辺はごった返している。
「前回のやり方はなんだったんか」「なして公開でやれんの?」「原発のことは組合員だけの問題じゃない」
「漁師でなしに祝島の一般の者にも説明して。今日は一般の者が怒っとるんよ」。次々に声があがる。
ほどなくして仁保理事は、乗ってきた船へ引き返した。「ケガ人が出たら困るから帰る」という。ふたたびの延期だった。

「カネはいらん。海と山がありゃあ、なんぼでも生活していける。なんなら、ここへ来て住んでみろ。
みんなここが好きで、孫もひ孫も戻って来よるんじゃ。あんたらには、こういうところがないんじゃろう。
じゃけえ、カネカネカネカネ言うんじゃろう」
(一部引用)

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潮目が見えるか その3〜結集して海を受け継ぐ
https://wan.or.jp/article/show/6661

全員集会の冒頭、「島民の会」代表の清水敏保(としやす)さんはこう切り出した。
「『島民の会』は、上関原発を建てさせないことだけを目的に、ひとつになってやっている。
漁師さんも、旧祝島漁協の頃から原発反対を決議し、原発のための漁業補償金は受けとらず、頑張ってきた。
初心に返って、意見をお願いします」
 これまで集会など公の場では、発言を促されても実際に口を開く人は限られがちだった。
だが今回は女の人や若者からも発言が相次ぎ、空気を決したようだ。
60代なりたてと祝島では「若手」の女の人も、珍しく意見を述べたひとりだった。
「このまえ法事で人が集まったとき、昔からの話を聞いた。
祝島の全員が、いろいろな運動をしてきた、原発を建てさせたくないと、一緒になって闘ってきた、
だから上関原発はできずにすんだんよ、と。漁師の人たちの議決権は、百姓・漁師・店屋…祝島みんなの結集と思う。
そういう人たちの思いを…」
「汲(く)んでもらいたいね…」と、いつしか70代半ばになった女の人が、思わず言葉を継ぐ。
(一部引用)