私が『銃後史ノート』と出会ったのは、2年ほど前。つい最近のことである。岩手県で開催された「第12回全国女性史研究交流集会in岩手~次世代に受け渡す女性史を」に参加し、加納実紀代さんの基調講演「戦後70年:平和の礎としての女性史」を聴いたことがきっかけだ。
 『銃後史ノート』刊行の思いを知り、講演のなかで語られた「歴史」や「積極的平和」の認識と重ねあわせて考える機会となり、遠い存在だった『銃後史ノート』や女性史が、今の私・私たちともつながっているのだと腑におちたのである。

『銃後史ノート』刊行にいたる思いは、次のように語られている。
「「銃後史ノート」……主として戦後育ちの私たちが、したがってほとんど“戦争”を知らないわたしたちが、私たちのささやかな機関誌にこんなタイトルを選んだのは、私たちなりの”戦後”があり、その帰結としての“現在”があるからです。(中略)
 母たちは確かに戦争の被害者であった。しかし同時に侵略戦争を支える“銃後”の女たちでもあった。-何故にそうでしかありえなかったのかーこの機関誌を通じて、これを明らかにしたい、と思います。そして、それは単に過去の“銃後”の女たちを考えるだけではなく、すでにかつての母たちの年代に達した私たち自身の状況を明らかにするものでありたいと、考えています。
●生き残った“銃後”の女たちと、生き残った“銃後”の女たちから育った私たちの対話の場として、
●“銃後”の女たちになるかもしれないわたしたち、すでに形をかえてなっているかもしれないわたしたちを、かつての“銃後”の女たちをみることによって対象化するために
●他者、あるいは他国の人々を踏みつけにしないわたしたちの開放の方向を探るために、
 このささやかな機関誌をあらしめたいと願っています。」(『銃後史ノート』刊行にあたってより)

 ここで示された3つの視点、「対話の場として、わたしたちを対象化するために、私たちの開放の方向をさぐるために」を導き出した背景には、なにが存在していたのだろう。

 『銃後史ノート』復刊3号に収録されている、むらき数子さんの「「紀元二千六百年」―まつりと女―」を読んでみた。

  むらきさんは、「紀元二千六百年」を体験していない一人として、国家あげての祭りとはどんなものだったのかを追い、まつりと女との関わりをさぐっている。
 式典会場見物に、花電車に、提灯行列にと国を挙げてのキャンペーンが行われた祭りの一年だったが、人々の「二千六百年」の印象は驚くほど薄いという。そこには、1940年代当時の年齢、立場による大きな差が見えてくる。
 「二千六百年」に対する女たちの関わり方を、「学校教育の場で生徒としての立場」「何らかの組織に属していた立場」「個人としての、職業をもたない家庭婦人の立場」という3つに大別し、「動員」という視点で検証している。
 「学校教育の場で生徒としての立場」にあった人々(子供)が最も大真面目に信じこまされ各種行事に動員された。
 「何らかの組織に属していた立場」の人は、「家」の外に個人としての仕事をもつ女たちであり、職場や婦人団体など何らかの組織に属していることによって動員された。個人として奉祝の「仕事」をすることで「国民」であることを認められ、ひいては女性の地位向上につながると考えたためか、男よりも熱心に自発的に奉祝したと指摘している。
 「個人としての肩書も地位もない大多数の大人の女達、主婦、姑などと家に従属した名でしかよばれない家庭婦人」は、夫や子供の影響を受ける形で、おカミの唱道する通りに家庭での奉祝行事を行ったであろうと推察している。家庭婦人が奉祝から取り残されたのは、それが見世物でしかなかったことに加え、個人としての「仕事」をもっていなかったことや動員されるには、隣組体制が機能をフルに発揮するほど充実していなかったことをあげている。

 そして、最後に「紀元二千六百年」を通じて、権力が「教育」によって子どもを支配する恐ろしさを知るとともに、女が動員される危険性は、1940年当時とは比べものにならないほど増大していることを痛感したと締めくくっている。

 この原稿を書きながら、この「エッセイ」コーナーにある次の記事が目にとまった。やはり11月11日の『銃後史ノート』をめぐるブックトークに寄せた池川玲子さんの記事だ(「皇紀二千六百年」と「明治百年」と「明治百五十年」)。
 来年は、明治元年(1868年)から起算して満150年の年に当たるという。さまざまな関連施策が予定されているらしい。はたして、どんな現象が確認されるのだろうか。

さて、一週間後に迫ったブックトーク「こうして戦争は始まる――孫世代が出会う「銃後の女たち」」が楽しみである。
 「生き残った“銃後”の女たちと、生き残った“銃後”の女たちから育った私たちの対話の場」であった『銃後史ノート』、そこに孫世代が加わっての対話の場になるはずである。