モスクワの静かな緑にかこまれた、高級マンションに住むボリス(アレクセイ・ロズィン)とジェーニャ(マルヤーナ・スピヴァク)。夫婦関係は破たんしていて、それぞれにはすでに恋人がいる。どちらも、いまの恋人と再婚するつもりで離婚の協議もすすんでいた。そんなふたりにとって頭の痛い問題は、12歳の息子アレクセイ(マトヴェイ・ノヴィコフ)だった。ボリスもジェーニャも、息子の養育を面倒に思っていて、どちらも、彼を引きとる気持ちはないのだった。
ある日、ふたりはアレクセイの養育責任を互いになすりつけ、やがて激しい罵りあいになった。アレクセイはそれを、偶然聞いてしまう。その数日後、ボリスとジェーニャが、それぞれの恋人のもとで満ち足りた夜を過ごしてきた次の日のこと。学校へでかけて行ったアレクセイはそのまま家に戻らず、忽然と姿を消してしまった――。
ボリスとジェーニャは、親としての責任をとうの昔に手放している。ボリスは、しばらく家に寄りつかなくなっていたから、息子の失踪には妻をなじるばかりだ。一方のジェーニャも、息子にまったく関心がなく、家にいてもスマホ片手にSNSに夢中で、彼の失踪が家出だとしたらどこに行くだろうかという想像すらできない。
自分の人生にとって厄介な存在だと思っていた子どもが突然、本当に目の前から消えていなくなってしまったとき、親たちはいったい何を思うのだろう(そういえば是枝裕和監督の『万引き家族』にも、同じことになる親たちが出てきますね。あのふたりは、娘を探しもしなかったのではと思うのですが・・・)。警察には「どうせ家出だろうし、10日ほどすれば戻ってくるだろう」と真剣に取りあってもらえず、その後、行方不明の子どもを探索するボランティア団体に捜索を依頼するものの、ふたりはどこか他人事のようにぼんやりとしたまま捜索に同行している。まるで思考停止に陥ったかのように、どちらも心の内をいっさい口に出すことはない。だからこそ、アレクセイが受けつづけてきたであろう「親たちの無関心」という暴力と、幼稚な大人たちの自己愛の醜さが、ヒリヒリとした鋭い痛みをともなって感じられる。
この夫婦は、誰かの愛を求めながら、結局のところ自分だけに執着し、他者を受けいれる気持ちをもつことができない。だからふたりとも、結婚の失敗は相手のせいだと感じていて、次の恋の相手とは何もかもが上手くいくと盲目的に信じている。イメージだけを投影した関係が楽しいのは当然で、その先に待っている日常や相手の人生と向き合うつもりがなければ、ふたりが望む幸せなど、どれだけ相手を変えようが手に入るわけはないのだ。夫婦の破局とアレクセイの失踪には、直接の関係はない。だが彼は、ふたりの犠牲になったとしか思えない。ラスト近く、ボリスとジェーニャの新しい生活を映した場面の空虚さが、それを痛烈に映し出していて何とも苦いあと味が残る。
アンドレイ・ズビャギンツェフ監督はいつも、静謐でこれ以上なく美しい映像の中に、人間の病理と地続きにある社会背景と、人の営みの愚かさを淡々と描き出す。人々の心の生々しくてどす黒い部分を、映画のフレームに、まるで凪いだ水面に静かに墨汁を垂らしていくように滲ませる描き方が本当に素晴らしいと思う。わたしたちのすぐ足元にある、しかしこれ以上ない悲劇と、それを個人のこととして放っておく社会を描く反面、ロシアに実在するという、行方不明の子どもたちを探索するボランティア団体の、小さな命のために手を差し伸べる人たちの懸命さも丁寧に描いているところが唯一の救いだろうか。
とりたてて他者の痛みに応答しなくても日常を送れる社会に生きているわたしたちには、深く胸に突き刺さる作品だ。公式ウエブサイトはこちら。(中村奈津子)
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