埼玉県秩父市みどりが丘、標高250メートルの山間地にある株式会社ベンチャーウイスキー” 秩父蒸溜所“(肥土伊知郎=あくと・いちろう代表取締役社長)。
創業2004年。2008年からウイスキーの製造・販売が始まった蒸留所。世界的なウイスキーコンテスト「ワールド・ウイスキー・アワード(WWA)」で2年連続 (2017年シングルカスクシングルモルトウイスキー部門、2018年ブレンデッド ウイスキー・リミテッドリリース部門) 世界最高賞などを始め、数々の世界の賞を受賞したことから有名になり多くのファンを持つ。
まだ20名ほどの小さなウイスキー会社だが、国内外からウイスキー関係者、視察が現地を訪れる。ウイスキーの成り立ち、原料から製造法、蒸留所の詳細から、できたウイスキーの味わいまでを案内するのが、ブランドアンバサダーの吉川由美さん。
彼女は、国産ウイスキーの素晴らしさと楽しみを国内外の人たちに知ってほしいと、蒸留所での案内はもちろん、海外から国内まで、さまざまなウイスキーの祭典、講座などに立ち、多くの人たちに魅力を語り掛ける。



◆原料からウイスキーの工程から試飲まですべての魅力を伝える仕事

 秩父市にあるベンチャーウイスキー” 秩父蒸溜所“の存在を知ったのはつい最近のこと。自治体関係者の地域づくりのセミナーに参加し、そのなかに蒸留所の視察が含まれていた。そのときにウイスキーのできるまでの解説をしたのが吉川由美さん。
 ニッカウヰスキー創業者の竹鶴政孝とその妻リタをモデルとしたNHK朝ドラ「まっさん」(2014)も引き合いにだしながら、わかりやすい話題をふりつつ、ウイスキーに使われる大麦の違い、醸造工程、樽の違いによる味わい、などよどみなく、しかも微に入り細に入りの解説、そして試飲へと導く。まさにエンターテインメント。すっかり聞きほれてしまった。いったい、この人は、なにもの、という素朴な疑問から、改めて後日、彼女を現場に訪ねてのインタビューとなった。

「ウイスキーのファンを作るのがブランドアンバサダー。自社の商品の歴史とか特色とか従業員のこととかいかにして対外的に発信をしていくかという仕事です。蒸留所の案内をさせてもらったり、イベント、ウイスキーのセミナーや講座をしたり、ブースに立って試飲をしてもらったりしていただきながら、商品を説明したりとか、そんな仕事が中心です。国内外でウイスキーの話をして回っています。
 大きい会社だと部署ごとに例えばアメリカ、イギリス担当など何人かがいるのですが、まだ20人しかいない会社なので、一人でいろんなところに足を運びます。ロンドン、パリなどは主要な取引先があるので毎年出かけますが、ドイツ、オランダ、アメリカなどにも行きます」
  海外でのウイスキーの展示会。全世界からウイスキーメーカーが集まる。そこで彼女はブースにたち、あるいは、講座の講師としてウイスキーを語り、試飲をしてもらい、その味わいを伝えている。

◆海外でも日本のウイスキーのファンが着実に増えている
「行き始めの頃は、秩父蒸溜所のことを知らない人が多かった。ここ2、3年は、この蒸留所のことを毎年楽しみにくる人が増えました。ロンドン、パリでは、8割くらいの人が名前を知っているのではないでしょうか。毎年、続けてきたことで、試飲した方が味に興味をもってくださったのかなと思っています。
 日本のウイスキー自体に人気があって、どれでも飲んでみたいとか、人気に関係なく自分の好みを探したいとかいう方もずいぶんと多いです。
 日本のウイスキーのなかでも、秩父というのは、特徴的な味がある。アルコール度数も少し強めで、風味に関しても、例えばスモーキーフレーバーは日本だと敬遠されがちなですが、それをしっかりつけてみたりとか、どちらかと言うと、飲みやすさだけでなく個性を大切にした味わい」  

 日本国内でもウイスキーが浸透したなかで、よりパーソナリティのあるウイスキーをという嗜好が生まれ、そんななかで、秩父の新たなウイスキーづくりが、大きな評価を得ている。

「自分自身ウイスキーが好きでこの業界に入ったので、来てくれる方もウイスキーを好きになって帰ってほしい。根本的なところから知ってもらえるといいなと。試行錯誤しながら、わかりやすく伝えられるように心がけています」


◆国よって違うウイスキーの楽しみ方と味わい方

 彼女は、商品開発にも携わる。どの市場にどんな商品を出すのか、ブレンダーと協議したり、デザイナーとパッケージについて打ち合わせしたり、輸出のやりとりも手掛ける。

「輸出先はフランス、イギリスが多い。あとはアメリカ。アジアだと台湾。この4つの国の輸出が多い。売り先によっては好きな味のタイプが異なってくるので、この国に出すのは、こういう樽を使った商品がいいとか、飲み方も国によって違います。
 例えば、アメリカはロックで飲む人が多い。日本人だとハイボール、水割りが喜ばれたりする。フランスは、水もソーダも入れない。ほぼ8,9割は、ストレート。
 度数の高いウイスキーに少し水を入れてあげると香りが開くのでお勧めしたりするのですが、フランスの人には好まれない。イギリスに行くと、お水を少しいれる。
 国によって飲み方が違うと発見したのは、スコットランドのバーで働いていたときのこと。スコットランドではバーに水のジャグ(もしくは水差し)があり、水を3分1くらい入れて、ビールと一緒に飲む。夕方の4,5時から飲み始めて、最初はビール。それで8,9時くらいになるとウイスキーに変えてという人がいたり。根本的に日本人よりお酒が強いんだと思います。
 商品をどういう風にしたらいいかというアイディアは、スコットランドで働いたときに観てきた光景からずいぶんとヒントをもらっています。それは面白かったですね。強い人も弱い人もいる。食事にあわせる人もいたり、食前にしか飲まない人もいる。
 最近、ヨーロッパの、オランダ、フランス、ドイツの人なんかは、ウイスキーと食事のマリアージュというセミナーをする人が増えている。ただ、食事をあわせてというのを好まない国もあったり、やろうとしていない国もあります。イギリスではあまり聞いたことが無い。やっぱり食事に合わせるのはビールかワイン、、、ほぼビールですね」

◆フェイスブックを立ち上げ大麦の生産や蒸留などこまやかに情報を発信
  海外の人たちとはメールでのやり取りも多いという。
「メールのウエイトは大きい。見学に来た方とのコミュニケーションですね。商品やウイスキー全体に対する質問がきたりします。日本の方はあまり質問が来ないのですが、海外の方だと、出ている商品を買ったけど、詳細を教えてほしいとか、どこで買えるのかとか質問も含めてよくきます」

 吉川さんが会社に入って立ち上げたものにフェイスブックがある。いまではフォロアーは1万3000名。ここには、彼女がでかけた各国のイベントや大麦の農場や収穫の様子、蒸溜所の事など、さまざまな出来事が登場し、ファンを惹きつけている。ウイスキーを身近に感じてほしいという思いから生まれた。

「ウイスキーというのが敷居が高いと思われていたり、おじさんたちの飲むものというイメージがあったりもしました。そうではなく、知れば知るほどウイスキーは奥が深い。それを知ってほしいと。それでフェイスブックを含め発信が必要だと始めました。
 歴史が浅い蒸留所なので、一緒に蒸留所を育てていくという目線にお客さんもなってくれたら10年後、20年後もブームに流されない蒸留所になるのではないかと思っているので、人生のイベントではないですが、子供が生まれ、結婚したというような感じで、身近に感じてもらえればと思っています」

 秩父蒸溜所で生まれるウイスキーの原料となる大麦は、ほぼイギリスからの輸入。樽もヨーロッパ、アメリカから入ってくる。そんななかで、国産大麦、国産樽でのウイスキー造りも始まった。

「大麦に関して農家さんの協力をいただき、年間を通して、だんだんスケジュールが見え始めたというところです。自家製麦は2015年から始まりました。イギリスの種も試験的にやってみた。でも土壌条件がちがって、あまりうまくいかなかった。  今では、国産の『みょうぎ二条』や「ゴールデンメロン」が多い。農家の3つのグループで、3、5か所のところで栽培をしてもらっています。農家さんからの申し出がありました。ありがたいですね」

 自家製樽では、国産のミズナラが使われ、その木材は北海道から来る。ミズナラの南限が秩父あたりだという。秩父だと標高900~1000メートル以上でないと木の入手が難しいと言う。

「ミズナラは日本でしかとれない。アメリカとかヨーロッパのナラ材とはまったく違った香りがする。有名なブレンダーさんによれば、お香の香り、伽羅(きゃら)とか白檀(びゃくだん)とか、独特の香りがするという。
 樽を作っても漏れやすいので、誰かに作ってもらうのではなく、木を選ぶところから樽づくりまでを責任をもってやらないといけない」

 実は、秩父蒸溜所は樽づくりも始めた。
「ここから1時間、埼玉県羽生市(はにゅうし)で樽工場を経営していた方がいて、当時86歳の方です。高齢で工場を閉じるということだったので、設備一式を引き取り、樽づくりを教わり、現在は自社の従業員が樽を作っています。
 今、後進を育てています。今年、地元の高校生が2人入り、樽職人として見習いをしています。国産原木の樽は、まだ全体の1%にもみたない。国産原料のウイスキーですか。あと10年後くらいに飲めると思います(笑)」

◆最初の志望はバーテンダー。カクテルは魔法のように見えた
 吉川さんは、1981年栃木県足利市生まれ。最初の興味はバーテンダーだったという。
「10代の学生のころ、知り合いにバーテンダーの人がいた。カクテルを作るのが魔法のように思えました。いろんな色のカクテルがあって、こんなものを知ったら大人っぽくて格好いいなあと思った」と言う。

 小さい頃から音楽が好きだったことから、作曲をしてみたかったこともあり、高校卒業後、東京の音楽の専門学校に入った。そのころ、バーテンダーのアルバイトをしてみたいと思ったが、未成年でしかも未経験で雇ってもらえるところはなかった。
 ところが友人のお兄さんが神奈川県南林間でバーを開くことになった。食事も出すところでもあった。そこでのアルバイトの話が出て、彼女は住んでいた東京都板橋から片道2時間かけて通うこととなった。


「まだ19歳。最初数週間と思っていたのが1年以上になった。料理をだしていたので、お酒を飲まなければ、アルバイトができました。そこでいろんな人と出会いました。それで就職となったときバーテンダーの仕事が忘れられない。もしかしたら自分にあっているのは接客業ではないかなと思い始めた。
 バーテンダーの仕事をするならどこで働いたらと考えました。まずは社会勉強も兼ねて、企業で働いた方が将来にいいんじゃないかと思って思いついたのが帝国ホテル。アルバイトのときお客さんが、一番好きなバーだと話していたのが強く印象に残っていたからです。」

◆コンテストにチャレンジをして実績を作り帝国ホテルのバーテンダーへ

 帝国ホテルでもアルバイトの応募があることを知った。そこで働くこととなった。仕事はお客さんの案内、会計などを担当することに。しかし、バーテンダーは社員にならないとできない。しかも帝国ホテルの社員でもバーテンダー希望者は多く、狭き門だということを知ることに。

「これは実践で見せるしかないなと。アルバイトのときから先輩にカウンターに立たせてもらい練習をしてきたので、その実績を生かしてカクテルの大会に出始めました。
 一所懸命レシピを作り、大会に送ったりしました。何度も落ちたのですが、そのうちに社内選考を通り、全国大会に進んだものがあった。国分主催のカクテルコンペティションです。
 そういうことを繰り返しているうちに社内の人事の方に名前を知っていただくことができ、登用試験に応募して、晴れて社員になることができました」

 ところが、仕事は会計やレセプション(接客応対)で、バーテンダーとしての仕事はまだできなかった。そこで彼女は、またコンテストにチャレンジをする。オリジナルレシピを出してキリン主催のカクテルコンペティションで優勝をする。そして晴れて女性バーテンダーとなった。社員になって2年が経っていた。

「最初は、バーテンダーをやりたいと思っていたのに、なかなかなれず時間の無駄をしているんではないかと思った時期もありました。しかし、今になってみると、あのときレセプションや会計をやった経験が、随分と現在の仕事に生きています」

 転機が訪れたのは27歳の時。26歳で結婚。結婚相手がニューヨークに出向することに。彼女は悩んだ。このまま残るか、ニューヨークに行くか。行くなら仕事は辞めなければならない。
 この機会を逃すと日本を出て外の世界を学ぶチャンスはないかもしれない、と渡航することを決意した。ベビーシッターや、経験を生かして料理会の給仕やお酒の手伝いをしたたり、英語を学び直したりして毎日を過ごした。人と関わるチャンスがあれば積極的に輪に飛び込み、好きなバスケットで地元のチームに入り、大会に参加したりもした。

 3年が経ち帰国をすることに。そこで、彼女は、今後どうするのか、新たな決断をする。帝国ホテルに戻らないかという誘いもあったという。しかし、戻ればもう二度と、その仕事から離れることはできないかもしれない。それよりも、自分がやりたいことをしたいと新たなチャレンジをすることとなる。本場ウイスキーのスコットランドに行くことだった。そのとき30歳だった。

◆本場でウイスキーを知りたいとワーキングホリデーでスコットランドへ
 実は帝国ホテル時代も、2005年、2006年と、1週間から2週間をかけてスコットランドを訪ねていて、そのときに造り手の仕事に触れて、ウイスキーの面白さに魅せられていたのだという。
 しかし就労ビザがないと働けない。そこで選んだのがワーキングホリデー。年齢制限は30歳までで最後のチャンスだった。倍率は10倍以上とかなり高かったが、無事審査に通過し、単身スコットランドへ出かけることに。2011年のことである。現地で現場を見て仕事を探したいと、自転車を借りて、履歴書を片手にウイスキーバー、リカーショップ、蒸溜所と訪ね、自ら売り込みをしたという。

「言葉もまだまだだし、断られ続けて、最終的にアイラ島という西の端にある島の、ブルイックラディ蒸溜所で、それまでのいきさつを話して、どうしても仕事がしたいと熱意を伝えた。するとそこのマネージャーさんが、そこまで言うなら、いつから仕事に来られるんだ、と等々前向きな返事をくれた。
 アイラ島は、ウイスキーの聖地と言われているところです。ところが、ハイランダーインという山奥のバーからも、仕事をしないかと蒸留所の仕事が決まった同じ日に話がきたんです。そこもあこがれのバーでした。一度、行って履歴書を渡して、断られたところでした。ちょうど一人や辞めたので、戻ってこないかという。悩みました。
 そこで両方に正直に話をしたところ、蒸留所は冬場に忙しい。ウイスキーバーは夏場に忙しい。それで冬場は蒸留所に夏場はハイランダーインに来ればいいじゃないかと言われ、晴れて両方で働くことができました。運がよかった」

 2011年から2013年にかけて、本場スコットランドで、ウイスキーの現場から、バーでの飲む場まで、さまざまな出会いがあったという。

「ハイランダーインは世界的にも有名なバーだったので、ウイスキー業界の造り手の方が来たり、会社の経営者がきたり、そこでいろいろな話を聴いた。ブルイックラディ蒸留所では現場に入り、実際の仕込みを学ばせてもらうという機会をもらった。とても恵まれていました。
 ただ、まだ当時は、日本のウイスキーが知られる前だった。日本でウイスキーが造れるわけがないと言われたり、お奨めすると、日本のウイスキーを飲むより、スコッチの方がいいと言われたりしました。
 日本のウイスキーって人気がないなと思った。そんななかで、スコットランドで飲んだ日本のウイスキーが衝撃を受けるほどおいしかった。それがサントリーの『白州(はくしゅう)』でした。
 自分が生まれた日本で、こんな美味しいウイスキーが造られている。でも知られていない。日本から海外に向けて発信をすることが必要だ。スコットランドにいる場合じゃないと思い始めたんです。日本に帰ったら、発信をする仕事をしようというアィデアが芽生えていました」

◆日本の素晴らしいウイスキーを広めたいと秩父蒸溜所で働くことに
 2年間のワーキングホリデーを終えて、そのまま直行で向かったのは、秩父蒸溜所だった。実は、秩父蒸溜所代表の肥土さんは、吉川さんが帝国ホテル時代に通っていたバーによく訪れていた。吉川さん自身も、秩父蒸溜所が製造開始する直前の2008年1月に蒸溜所を訪ねていたのだという。

「最初お会いしたとき、面白いことをやっている人がいるなあと。純粋にウイスキーを造る人がいる。この人のもとで働いたら面白いだろうなと思っていました。ただできたばかりで従業員も限られている。働きたいといっても邪魔になるだけだなあと。自分の力がこの蒸留所で役にたつと思ってもらえるようになれた時に、改めてここに戻って仕事をしたいと思っていました」

吉川さんは、肥土さんと出会ったあと、名前だけでも覚えてもらおうと、ニューヨークからも、スコットランドからも、毎年、クリスマスカードを送っていたという。  

「スコットランドから日本に帰国するならば、秩父蒸溜所で働かせてもらいたいと思った。定期的に秩父蒸溜所についてはインターネットで検索をしたりしていたのですが、秩父蒸溜所には、ウイスキーを造る人はいるけど、それを広める仕事をする人はいないんだなあと。
 帰国前、肥土さんに長いメールを出しました。今のような仕事をしたいとお願いしました。帰国したら、話を聞いてほしいと。帰国したら履歴書をもって、空港から秩父に行きました。目をこすりながら面接を受けて、じゃここで働いてみますかと言われて、それが、いまの仕事の始まりです」

 秩父に移り住み、現在の仕事がスタートをした。現在はシングルだ。
 彼女は、広く、ウイスキーを知ってもらいたいというほかに、自分の学んだことを社内で後進に伝えていきたいとも言う。そして、もうひとつの大きなライフワークとしていることが、日本のウイスキーのレギュレーション(規則)を作ることだ。

「スコットランドで感じていたのは、法律が厳しいということ。ウイスキーは3年以上寝かせる。樽の大きさは700リットル以下、樽材はナラ材だけとか、ボトリングも国内でしなければならないとか、厳しいしばりがたくさんある。
 ところが日本では、熟成年数についての規定が無かったり、海外の原酒をいれても日本のウイスキーとなったりする。日本では、戦後の酒税法がベースに作られている。それが変わらぬままにきている。今では、世界との差が生じている。
 日本の優良なウイスキーの会社は、改良を加えながら優れたものを創ってきた。法律自体が、戦後のそのままになっている。ウイスキーのレギュレーションというものを、そろそろ変える時期にきているのではないかとおもっているんです。
 いろいろアクションを起こしているので、それが軌道に乗り始めている。日本のウイスキーを守る上でも、ある程度の規制と枠組みが必要だと思っています」

 吉川さんの瞳は、さらに未来を観ている。


◆株式会社ベンチャーウイスキー 秩父蒸溜所 〒368-0067 埼玉県秩父市みどりが丘49番
電話:0494‐62‐4601 FAX :0494-53-9719
フェイスブック:
 https://www.facebook.com/ChichibuDistillery/
*ウイスキーは全国の百貨店や酒販店で購入することができます。
注:秩父蒸溜所では、一般見学や直接の商品販売はおこなわれておりません。