ソニータ [DVD]

アフガニスタン出身の少女ソニータの夢は、有名なラッパーになること。だが、10歳のときにタリバンから逃れるため難民としてイランへ移り、テヘラン郊外の児童保護施設でサポートを受けるティーンエイジャーの彼女にとって、それは、誰から見ても遠い夢だった。

パスポートも滞在許可証もなく不安定な暮らしを送っていたソニータと、テヘランで映像制作を学んだロクサレ・ガエム・マガミ監督が出会ったのは、そんなころだ。夢への強い気持ちと、歌の才能を見せるソニータに関心をもったマガミ監督は、自分もまた彼女の明るい未来を想像できないまま、ソニータと彼女の周辺にカメラを向けはじめた。

一方で、ソニータより先にアフガニスタンへ帰国していた親族は、彼女に別の未来を準備していた。彼女が16歳のときのこと、母親から「結婚の話がまとまったから帰国するように」と電話が届く。児童婚の慣習が残るアフガニスタンで、ソニータは兄の結婚資金をつくるために、9000ドル(約100万円)の持参金と引き換えに結婚を迫られたのだった――。

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本作は、ソニータの夢と人生を数年にわたって追った、ドキュメンタリー映画である。サンダンス映画祭2016ワールドシネマドキュメンタリー部門でグランプリと観客賞をダブル受賞するなど、世界各国の映画祭で多数の賞を獲得し話題となった。

難民として生きるのは苦しい経験だ。家賃が払えず家を追い出されそうになるなど、ソニータも、子どもが背負うには大きすぎる生活の困難を抱えている。そのうえ、避難先のイランでは、女性は自由に歌うことを禁じられているという。もしかしたら、夢/想像の世界で望むように生きることで、少女のソニータは何とか自分を保ってきたのかも知れない。

しかし、友だちが否応なく親の決めた結婚相手と結婚していく中で、ソニータはあくまでも自分の夢を手放そうとしない。それが、彼女に備わったギフト(天性)なのだろうか。彼女のまっすぐな眼差しや、願いを率直に言葉にできるしなやかさには、見る人を引きつけ、巻きこんでしまう力がある。

彼女の、自分を取り巻く不条理な社会や、より弱いものに向かう理不尽な暴力への感受性と、それに抗う力にも驚かされる。歌うことで彼女自身は生き延び、歌うことが、彼女にとっての抵抗なのだ。ソニータが自作の「売られる花嫁(brides for sale)」を歌うとき、彼女はその歌で自分の運命に抗うだけでなく、確かに、多くの少女たちの声なき叫びを代弁している。映画の終わりに、ソニータは驚くほど大きなチャンスを手に入れる。人生や夢を諦めたクラスメイトたちの、あるいは児童婚を強制されてきた少女たちの痛みが、彼女に夢を拓く力を与えたのだという気がしてならない。

もう一つ、この映画には驚かされる場面がある。実はマガミ監督自身が、はからずも撮影の途中で、ソニータを連れて帰るためにイランへやってきた母親と対峙することになってしまうのだ。そのとき彼女は、ドキュメンタリー映画の監督として、と同時に、少女の人生の大きすぎる岐路に手を差し伸べることのできる大人の一人として、ソニータの人生との距離をどう取るのかという難問を突きつけられる。映画はそこからしばらくの間、半ばセルフドキュメンタリーのように進み、わたしたちは突然の展開と監督の葛藤を目の当たりにして当惑せざるを得ない。思いがけない選択を強いられた彼女の葛藤が、それを見てしまったわたしたちもまた、同じように引き受けざるを得ないものとして迫ってくるからだ。

だが、もちろん本作は傍観者でしかいられない、微力な観客の在りようを問う作品ではない。児童婚という慣習の救いのない側面を描きながら、本作は不思議なほど心強く前向きな気持ちをわたしたちにくれる。その理由は、監督自身が、問題を告発するだけの傍観者でいることを迷いながら手放したからではないだろうか。何より夢を叶えていくソニータの成長に立ち会う喜びもあるが、逆境を生きる彼女の存在と歌声に、むしろわたしたちが、抵抗への力をもらうからなのだと思う。公式ウエブサイトはこちら(中村奈津子)