<女の本屋より>2020年5月16日、立教大学主催・WAN共催のシンポジウム「フェミニズムが変えたこと、変えなかったこと、そしてこれから変えること」が開催されるはずでしたが、新型コロナの感染拡大によって、延期となってしまいました。(延期のお知らせはこちらから。)
すでにお申し込みも350名ほどいただいており、大変残念ですが、ここ「女の本屋」コーナーでは、日を改めての開催に備えて、登壇予定だった講師の方々の著書をシリーズで取り上げてまいります。
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書 名 「ほとんどないことにされている」側から見た社会の話。
著 者 小川たまか
発行日 2018年7月30日
発行所 タバブックス
定 価 1760円(税込)
わたしが専門とする女性史研究は、正史から「ほとんどない」ことにされてきた者たちの歴史だ。女性史は、正史といわれてきたものが、男性で成人、異性愛の健常者の歴史にすぎないことを明らかにし、不可視化されてきた者たちの側から、正史に書き換えを迫ってきた。フェミニズムもそうだ。と、いうより、男仕立ての「近代」そのものを疑い、「第二の性」の側から異議申し立てをしてきたフェミニズムに励まされて、日本女性史も研究を蓄積させてきた。
本書の著者小川たまかさんは、「ほとんどない」ことにされている側から現在の日本社会を見据える。2016年2月から2018年3月にかけてブログでつぶやいた文章に加筆修正し、一部書下ろしを加えた一冊だ。読者へ語りかけるような平易な文体で読みやすいが、性暴力被害や痴漢犯罪、セクシュアルハラスメント、ジェンダーにまつわる複雑で繊細な事象が、誤解されて伝わらないように、丁寧な叙述で配慮にも満ちている。そして、性暴力に対する社会(や加害者)の思い込みや幻想がいかに被害者の現実とずれているかを浮き上がらせ、そのズレを埋めていきたい、人々の認識の底上げをしたいという願いが込められている。
文字資料だけではなくオーラル・ヒストリーによる女性史をやっているわたしにとって、特に胸に迫ってきたのは著者のつぎのような記述だ。性犯罪被害者支援にかかわり、性暴力についての取材をメインテーマにしている著者が、海外メディアからの取材に応じ、自らの性被害も含めたインタビュー記事が掲載されたとき、そしてそれが邦訳されて日本国内の媒体で紹介されたときの「心の揺れ」についてだ。
著者はいう。「自分の文章で自分の被害を書くのは、自分の肉を自分で取り出すようなことだが、人の文章で自分の被害が書かれるのは、肉を人に取り出された気がする。いくら優しく切り取られても、それはやはり痛い。自分の感覚を確かめながら自分で切り取るのとは違う」(p.111)。「こちらの表現で、こちらのタイミングによって、その人の被害を世の中に明かすこと。それはその人のコントロールできないところへその人の体の一部を持っていくようなものだと思う」(p.112)。オーラル・ヒストリーによる女性史・ジェンダー史研究、日本軍「慰安婦」問題をはじめとする戦争と性暴力を研究テーマとするわたし自身にも突き刺さる言葉だ。
最後に希望も。「おわりに」で、著者はつぎのように述べている。
「あまりこの問題に関心ない人にとっては、いつの間にか性犯罪刑法の改正が行われて、ある日突然、ハリウッドから#Metooがやってきた、ように見えるかもしれない。けれど本当は、そこに至るまでに、たくさんの人が声を上げ、次の人へバトンを渡してきた。私は、その歴史をまだほんの少ししか知らないけれど。無数の人生がつないできたものを、記憶しておきたい」(p.208)。1955年生まれのわたしも、女性史を学ぶ者の一人として第一波、第二波フェミニズムの女性たちのバトンがわたしの手に渡されていることを自覚してきた。そのまた娘世代である1980年生まれの著者のこの言葉ほど、励まされるものはない。
◆平井和子(ひらい・かずこ)
一橋大学大学院ジェンダー社会科学研究センター研究員。
(主著)
『「ヒロシマ以後」の広島に生まれて―女性史・ジェンダー・ときどき犬』(ひろしま女性学研究所2007年)
『日本占領とジェンダー―米軍・売買春と日本女性たち―』(有志舎2014年、山川菊枝栄賞受賞)
上野千鶴子・蘭信三・平井和子編『戦争と性暴力の比較史へ向けて』(岩波書店2018年)など
*WANサイトの平井和子さんの記事「「声」欄投稿から―中曽根康弘氏の「功績」をジェンダー史の視点で考えてみる」はこちらから。
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