ベルリン 「避難・追放・和解のための記録センター」を訪ねて―戦争加害・被害をめぐる視点

2021年6月21日に、ベルリンで「避難・追放・和解のための記録センター」が開館した。これは、主として、第二次世界大戦時にドイツの支配下にあった東欧からドイツに帰還した人々の記録を集めて展示した博物館である。その数、1400万人とも言われる彼らのうちには、先祖代々、その元居住地にいた人々も含まれる。

 この博物館オープンに当たって、ドイツは、国内のみならず、ヨーロッパ諸国と粘り強い対話を重ねてきた。特に、ドイツの「被害者づら」を警戒するポーランドは、この博物館がナチス犯罪から目をそらす目的ではないかと懸念したからである。メルケル首相のオープニングに寄せる挨拶では、なぜこのような避難・追放が起きたかという、根本的な要因であるドイツの戦争犯罪を直視せずには、この場所が追悼の意味を持ちえないとしたうえで、今までドイツの歴史検証において長い間欠けていた部分を埋めるものであると位置づけた。
ここ数年、満州からの引揚げと、東欧からのドイツ人帰還の歴史比較に興味を持っている筆者としては、絶対に行ってみたかった博物館だ。さっそく先日これを訪ねてきた。コロナ禍で、時間登録制にはなっているが、他のドイツの歴史博物館と同じく、見学無料というのがよい。訪問者は、ドイツ人中高年が圧倒的かと思ったが、かなり若者や外国人の姿も見かけた。
1階は、世界における強制移住の事例、ジェノサイド、最新の難民事情まで、2階は、主として東欧からのドイツ人引揚げの歴史で、独ソ戦の波及で、リトアニアからポーランドに移住させられた事例も展示してあった。移住先での包摂問題など、加害と被害の視点にしぼりきれない難しさも浮かぶ。満州からの引揚げについての展示はなかったが、朝鮮戦争による分断の歴史は取り上げていた。日本における戦後引揚げも、グローバルな歴史的コンテクストで考えるべきだというのが現在の学問的スタンダードだということがよく分かる(『引揚・追放・残留―戦後国際民族移動の比較研究』)。
ついでに言えば、この強制移住には、チェルノブイリや福島からの原発事故避難も含まれると筆者は考えている。国策として奨励され、教育で洗脳され、補助金目当てに推進し、破綻したら、あっという間に棄民とされる、そして、移住先で差別される。福島はまさに、満蒙開拓団の再現だ。歴史から学ぶことは実に多い。

 展示は、この博物館のネーミング通り、ほとんどが移住者一人ひとりの記録と証言から成り立っている。それぞれの生、それぞれの苦悩。それを丹念に拾い上げ、再現する。このコンテクストで初めて、ナチスドイツの歴史の結果として、「被害者」でもあったドイツ人の思いが語られるのだろう。
https://www.flucht-vertreibung-versoehnung.de/de/home

以下写真説明

追悼のための部屋が用意されていた。何も展示のない、静かな空間。  

1920年から現代までの、世界各地の強制移住や避難の事例
朝鮮半島の事例

一人ずつの証言と資料が閲覧できるようになっている