哀悼 井上 輝子さま
内藤 和美
井上さんのご逝去を知り、父を、母を見送ったときに覚えた、「存在が消滅する」ということについて認識が成立しないような感覚を再び覚えています。
井上さんは、ご自身の研究課題への取組とともに、学協会・NPO等組織的活動の発展、ひいては学問とアクティビティ相俟ってのジェンダー平等実現への社会的取組の発展を追求してやまない方でした。
私が初めて井上さんにお会いしたのはM1の時、1980年6月に上智大学で開催された、女性学研究会シンポジウム『女性学とは何か』(発題:井上輝子、田中和子、棚沢直子、中嶌邦、原ひろ子、目黒依子)に参加した時であったかと思います。翌81年、同のシンポジウムの成果を収めた、女性学研究会『女性学をつくる』勁草書房、を手にし、文字通り日本の女性学の誕生のときを見てしまったことが、私の行く道を決めました。82年に日本女性学会に、80年代の終わりころ、女性学研究会に入会し、両会で井上さんのご活動に接するようになりました。そして後年WAN という3つ目の共同の場を得ることとなりました。
日本女性学会は、別途、2度にわたって同学会代表幹事を務められた井上さんの追悼の取組をされると思いますので、ここには、2009年に活動を閉じた女性学研究会でのご活動を中心に記したいと思います。
女性学研究会(1978~2009)は、ほぼ同時期に発足した日本女性学会、日本女性学研究会、国際女性学会のいずれとも異なる個性を持った、女性研究者の研究団体でした。『女性学をつくる』で始まった同会は、『女性学をつなぐ』新水社、2009を刊行して事実上活動を終えるのですが、同書に、井上さんは研究会について次のように書いておられます。
「女性学研究会は、女性研究者によってつくられた初めての研究団体だった。女性視点を排除した主流諸学会に対しても、また婦人問題研究の諸団体に対しても齟齬を感じつつ、女性学の創出をめざして集った私たちにとって、この研究会は、研究内容においてのみならず、女性が研究者として生きていくことの困難を乗り切るためにも、心強い拠り所となった。
当時メンバーは総勢20数名だったと記憶するが、そのほとんどが30代または40代で、研究者としてはまだ駆け出しであり、大学というホモソーシャルな男性中心組織への参入と、結婚生活や子育てに苦闘中だった。同時に、私たちはウーマンリブ運動や国際婦人年以前の、男尊女卑の社会風潮やイエ制度の支配をそれぞれ身をもって体験しており、女性差別に対する憤りと社会変革への強い意思を共有していた。だから、私たち自身で女性学を創るのだという心意気に燃えていたのであった」(井上輝子「日本の女性学の牽引車だった女性学研究会」、女性学研究会『女性学をつなぐ』新水社、2009,p15)
そのままの心意気で30年間一貫して、井上さんは女性学研究会の活動の中核的担い手の1人であられました。関わられた活動を以下に記します。
1980.6.7 女性学研究会シンポジウム『女性学とは何か』シンポジスト
1981 女性学研究会編『女性学をつくる』勁草書房、分担執筆
1984 女性学研究会編『講座女性学をつくる1 女のイメージ』勁草書房、分担執筆
1987 女性学研究会編『講座女性学をつくる4 女の目でみる』勁草書房、分担執筆
1989 研究交流会「『性役割』概念の再構成をめぐって」、報告者
1990 女性学研究会編『女性学研究』第1号(ジェンダーと性差別)、勁草書房、
編集委員、分担執筆
9.14 研究会「自治体等における女性政策過程の事例研究」報告者
1992 女性学研究会編『女性学研究』第2号(女性学と政治実践)、勁草書房、
編集委員、分担執筆
1994 女性学研究会編『女性学研究』第3号(女性と異文化)、勁草書房、分担執筆
1996 女性学研究会編『女性学研究』第4号(女性がつくる家族)、勁草書房、分担執筆
1997.3.29 研究会「女性学とジェンダー学」報告者
1998.5.23 座談会「女性学が今後提示するもの:21世紀に向かって」対談者
1999 女性学研究会編『女性学研究』第5号(女性の再構築)、勁草書房、分担執筆
2000.5.20 研究会「ハンナ・アレントをどう読むか」報告者
2002.12.27研究会「イギリス諸大学における女性学教育」報告者
2003.8.23 国立女性教育会館女性学ジェンダー研究フォーラム企画委員ワークショップ
「女性学・ジェンダー研究の『危機』をどう乗り切るか」討論者
2005.12.11女性学研究会シンポジウム「女性学のこれまで・これから-新自由主義にどう対峙するか-」司会
2009.11 女性学研究会『女性学をつなぐ』新水社、分担執筆
これらのほか、年1回の総会、ほぼ月1回の定例会や運営委員会を通じて、会の運営を担われました。
こうした活動を後進として共にさせて頂きつつ、私が井上さんから学んだことの中でとくに画期的であったのは、女性学とジェンダー研究の違いを明確に認識できたことでした。すなわち、女性学とジェンダー研究は、既存の学問が圧倒的に男性(社会的に男性にカテゴライズされる人々)によって担われ、男性の社会的経験に基づいて理論化・体系化されてきたことを批判し、その歪みを修正して方法論や概念・理論や解釈を再構築しようとする点、性差別の存在のしかたや再生産のメカニズムを明らかにし、撤廃・変革の方途を見出そうとする点において共通ですが、当事者性の位置づけが異なるということです。性別2分割や性差別の機序や構造に着目するジェンダー研究に対し、女性学は、そうした性差別の解明、撤廃・変革の方途の見出しを、社会的に女性と位置づけられることによって生じる経験を起点にした理論化によって行おうとするのだということ、「女性の・女性による・女性のための学問」という例の定義は、女性の当事者性を起点にした理論化という、女性学の学問として固有性の、これ以上ない説明だったのだということでした。
ご活動の一端を記しつつ、あらためて、井上さんが日本の女性学/ジェンダー研究界にどれほど多くを創出されたか、どれほど多くの人を育てられたかを思い知るばかりです。
ありがとうございました。
*****
井上輝子さん追悼 WAN掲載記事 https://wan.or.jp/article/show/9659
みなさまからの追悼のお言葉は以下にも掲載されています。
①https://wan.or.jp/article/show/9660
②https://wan.or.jp/article/show/9661
③https://wan.or.jp/article/show/9663
④https://wan.or.jp/article/show/9665
⑤https://wan.or.jp/article/show/9666
⑥https://wan.or.jp/article/show/9667
⑦https://wan.or.jp/article/show/9668
⑧https://wan.or.jp/article/show/9669
⑨https://wan.or.jp/article/show/9670
⑩https://wan.or.jp/article/show/9674
⑪https://wan.or.jp/article/show/9675
⑫https://wan.or.jp/article/show/9677
⑬https://wan.or.jp/article/show/9678
⑮https://wan.or.jp/article/show/9683
⑯https://wan.or.jp/article/show/9685
⑰https://wan.or.jp/article/show/9689
⑱https://wan.or.jp/article/show/9696
⑲https://wan.or.jp/article/show/9722
2021.08.18 Wed