NHKラジオ深夜便「認知症カフェ」のゲスト・堀田聡子さん(慶応義塾大学大学院教授・認知症未来共創ハブ代表)が、「認知症の人と生み出す未来」について語られるのを、夜、枕元で聴く。

 堀田さんは認知症のある100人の方々に直接インタビューし、そのデータをもとに、さまざまな角度から認知症についての知見を分析している。

 その研究のきっかけとなった小学生の頃の体験がある。いわゆる勉強がよくできる子だった彼女は、自分は何も努力してないのに、クラスの友だちや周りから「えらいね」「なんでもよくできるね」といわれるのが、とっても嫌で、誰からも見えない「透明人間」になりたいと思っていたという。

 ある時から障害者のボランティアグループにかかわり、障害のある人のトイレ介助をする。障害のある人が用を足す時、トイレの中では見て見ぬふりをしていなければいけない。その時、「あ、私は透明人間になれた」と思ってホッとしたという。そして障害のある人たちもまた、「障害者」と一括りにされるのではなく、一人ひとり個性のある、特色をもつ人たちだと実感するようになったという。

 認知症の人々へのインタビューのデータを元につくられた本、筧裕介著(issue+design)/監修・認知症未来共創ハブほか『認知症世界の歩き方』(ライツ社、2021年9月)が発行されたことを知り、早速購入した。早くも、4カ月で10万部を突破しているとか。


 issue+design代表の筧裕介さんは、堀田さんのデータを見て、「認知症の課題解決は、デザイナーの仕事だ」と確信したという。まさにデザインよし、文章よし、索引も実に便利な本だ。認知症の特徴をとらえるユーモラスなデザインの記号が楽しい。認知症の世界を、ぜひ旅してみたくなる本だ。

 Part1。認知症の島の地図には、「ミステリーバス」(乗るとだんだん記憶をなくすバス)。「ホワイトアウト渓谷」(視界も記憶も同時にかき消す深い霧の渓谷)。アルキタイヒルズ(誰もがタイムスリップしてしまう住宅街)など、よくある認知症の症状が引き起こす「記憶のトラブル」が載っている。

      認知症の島の地図

 五感のトラブルには、「顔無し族の村」(人の顔がわからなくなる村)。「サッカク砂漠」(距離感が掴めない砂漠のような迷路)。
 時間・空間のトラブルは「トキシラズ宮殿」(コンロの火を消し忘れるなど、すっかり時を忘れてしまう感覚)。
 注意・手続きのトラブルは、「カイケイの壁」(記憶、計算、支払いを妨げる壁)などなど、誰もが思い当たることばかりだ。

 Part2。「旅のガイド」編では、認知症と共に生きる知恵を学ぶことが大切と説く。認知症当事者の視点を正しく理解し、同じ旅の仲間をつくり、「できること」と「できないこと」を、よく知ること。そして旅を楽しみ、時には休んで、「無理をしない、がんばらない」こと。それから自分の思いを、できるだけ相手に伝え、当事者として社会を変える活動にも参加することなど、どこまでも当事者主義に徹し、そのことがまた周りの介助者の安心感と気持ちの解放へとつながっていくという構成だ。

 昨年6月、97歳と9カ月で亡くなった母も、90歳の頃から認知症が出てきた。いつも機嫌よく暮らしていたけれど、オテンバな性格は、ちっとも変わらず、自分の好きなように生きて、どうでもいいことは、すっかり忘れてしまっていた。それもまたいいなと思って見ていたけれど。

 現在、95歳になる母の妹の叔母も元気で、身の回りのことを少し手伝えば、大体、自分でできる。ただ毎日、同じことを繰り返し説明しても、その瞬間に忘れてしまうのは天下一品。自分でもメモしているが、ダメ。きっと記憶が脳に定着しないのだろうな。

 記憶を忘れるということは、記憶のプロセスに障害があることなのだという。ものごとを記憶する「記銘」、それを「保持」して、思い出し、「想起」する。「記銘」→「保持」→「想起」のプロセスが、うまくいかなくて、その結果、「行動」のトラブルになるのだという。

 認知症とは「認知機能が働きにくくなったために、生活上の問題が生じること。認知機能とは、ある対象(人・モノ・情報)を目・耳・鼻・舌・肌などの感覚器官でとらえ、それが何であるかを解釈したり、思考・判断したり、計算や言語化したり、記憶に留めたりする働き」だという。

 私だって負けないくらい、よく、もの忘れをする。若い人たちだって、そういうこともあるだろう。ならば認知症の人も、そのまわりにいる人も、お互い、ちょっとした工夫で、今の生活を楽しく変えることができるかもしれない。

 本の最後に「生活シーン別、困りごと索引」が載っている。衣、食、住、金、買、健、移、交、遊、学、働など、ページを繰ればデザイン化された記号とともに、すぐに認知症の症状と、その解決策を見つけることができるのが、とっても便利だ。

 なにより著者の筧裕介さんも監修者の堀田聡子さんも、編集、イラストの方たちも、みんな40代の若い人たちというのが、ほんとにうれしい。未来は明るいなと思う。

 私も、もうすぐ認知症の人たちのお仲間入りをする年齢だ。いや、もうとっくにそうなっている。まあ、よく忘れること、忘れること。俳優さんの顔は思い出すのに、名前がちっとも出てこない。大昔の俳優や作家の名前を思い出して言うと、娘から「その人、だあれ?」と怪訝な顔をされることも、よくある。

 この前なんか野菜の名前が、どうしても思い出せない。米津玄師の「パプリカ」のメロディは出てくるのに「あの赤いピーマンみたいなもの」としかいえない。「ズッキーニ」はスッと言えるのに、ああ、悔しい。

 人生100年時代、私も、その歳まで元気でいられたらいいなあと、今は思っている。もっと歳をとって身動きができなくなったら、その時はその時、「迷惑をかけていけばいいのだ」と思うことにしよう。

 1990年代~2000年代にかけて、毎年、『地球の歩き方』を片手に、宿も予約せず、身一つで、ぶっつけ本番、ぶらぶらと世界を歩いた。予期せぬできごとや、思いもかけないハプニングに何度も遭遇したけれど、幸い現地の人々の親切に恵まれて、いつも楽しい旅ができたことを懐かしく思い出す。

 じゃあ、これからはしばらく、認知症の世界地図を片手に、「さて、あちこちと認知症の旅に出てみようかな」と、いたずら気分で、心楽しく夢想してみる今日この頃。

『認知症世界の歩き方』・デザイン c2021 YUSUKE KAKEI printed in Japan