WAN女性学ジャーナル

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  • 博士論文データベースを通して見る女性学/ジェンダー研究の40年

    2019/01/01

    • リサーチ

    著者名:内藤 和美

    博士論文データベースを通して見る女性学/ジェンダー研究の40年

    論文概要:

    女性学・ジェンダー研究(以下、WS/GSとする)の知を集積して活用に供する資源に1つを加えることを目的に、また、そこに日本のWS/GSのアイデンティティが蓄積されていくようにとの意をも含んで構築し、2012年8月の公開を経て個人で管理運営してきた「女性学/ジェンダー研究博士論文データベース」(以下、WSGSDDBとする)は、2017年9月に、認定特定非営利活動法人ウィメンズ アクション ネットワークWomen's Action Network(以下、WANとする)に移管された。
    本稿では、823本(2018年7月末現在)のWSGSDDB登録論文の情報を切り口に、日本のWS/GSの40年間の蓄積を示すとともに、WAN移管によってて共同化・公共化が進んだことによるデータベースの今後の活用可能性の拡大について記したい。

    コメンテーター:故 原 ひろ子(はらひろこ) 2019年ご逝去(享年85歳) 

     原 ひろ子(お茶の水女子大学名誉教授)

     日本の女性学・ジェンダー研究の学問構築から約40年の節目に、知の集積・資源の提供を目指す博士論文のデータベースをまとめられ、紹介されたことは意義があり、ご尽力された内藤和美さんに敬意を表します。このようなデータベースは、①これらのデータの詳細な分析により、ジェンダーに関連する学術的な傾向や特徴を可視化するなどして、これを基に知の共有化につなげられること、②研究者や学生の皆さんが、自分のテーマに関係する論文や関心のある論文を検索、閲覧できるようにして研究の助けになることの2つの視点から有益であると私は考えます。
    一方で、内藤論文を見て、データベースを用いた分析は、まだまだ発展する可能性があるように感じました。
     以下に、内藤論文を見ての振り返りや意見を述べたいと思います。
    (1)学位の種類と名称
     学位の種類と名称について、本調査では「学術」が約2割を占めるという点に着目されていましたが、最後に述べられているように、「博士(学術)」は各大学や研究科に依存するため、「博士(学術)」が多いということをもって何か評価をするのは難しい面があり(注)、結局は、個々の論文を読まないと本当の事は見えないでしょう。今回示されたデータ(表5)を見ると、人文社会科学を中心に多様な形で学位が出ていますので、例えば、当初10年間と最近10年間で出ている学位の種類・名称を比較すると、時代とともに女性学・ジェンダー研究において多様性が増している姿が見えてくるかもしれません。私としてはそう感じていますが、それが可視化できれば、広く共有することができます。
    もう一つ、学位には日本語表記だけでなく、英語を用いた表記がある点も注意したいです。例えば、お茶の水女子大学では、日本語で「博士(学術)」と表しつつ、英語ではPh. D. in Gender Studiesを授与している事例もあり、このような点にも留意することが重要と考えます。論文に即し様々な取組が可能であり、英語でGender Studiesが学位名称に組み込まれれば、こうした表現が人々の目に触れ、周知され、賛否両論に関わらず、やがて市民権を得ていく足がかりになるでしょう。

    (2)学位授与機関のこと
     お茶の水女子大学(以下、お茶大)が学位授与機関として、女性学・ジェンダー研究による学位が群を抜いて多い(内藤論文で用いた検索語に基づく)点は、当該研究機関で働いた一員として喜ばしいことだと思いますし、私だけでなく多くの関係者の尽力によるものです。その要因は複数あると考えます。まず、①当該機関は、1975年の国際女性年第1回世界会議の年に「女性文化資料館」を設置し、女性差別撤廃条約批准後の1986年には「女性文化研究センター」を設立、1993年には博士課程に「女性学講座」を新設し、「比較ジェンダー論」と題する講義を始めるなど、「女性学・ジェンダー研究」に組織として位置づけて推し進めてきたことです。私も、その中で女性学・ジェンダー研究という、当時定着しにくい状態にあった学問領域を認める道筋を作るために効果的な行動や発言を常に考えて仕事をしていたように思います。また、②お茶大が研究機関としては女性教員が他の国立大学に比して多く、女子学生たちのロールモデルになりえたこともあります。そして、③最も大きな要因は、お茶大が、小規模国立大学ながら大学の存立基盤として、博士課程・博士号授与者を多々輩出することに力をいれていたことです。その意味では、当該教職員たちは、申請者のため、大学運営とその発展のため、実によく働き多忙な職場でした。
    また、データベースで分析した結果をもとに、その対象を絞り込んで、インタビューなどの調査をしたり、違うデータを分析したりすることで新しく見えるものがあるかもしれません。
     「表5、登録論文の学位授与機関の分布」について、件数の多さだけでなく、その広がりについても着目すると良いと思います。「他」の機関の240件に関し、例えば、その機関数を示したり、授与機関名を注に列記したりすることで、意外な発見があるかもしれませんし、件数が少数であっても、このことを可視化する意義や効果もあります。
    また、学位の種類と同様に、例えば、当初10年間と最近10年間の学位授与機関を比較することによって、時代とともに女性学・ジェンダー研究の博士を輩出した機関の数や各機関における取組などの変化を可視化できれば、有意義でしょう。

    (3)抽出に用いたキーワード・包摂した表現
     内藤論文では、女性学・ジェンダー研究における基本的なキーワードをもとに整理・分析されたことと思います。一方で、表2-1及び表2-2に列記されているキーワードで論文を抽出されていますが、現状を考えると、このキーワード以外にもいれるべきキーワードがあるようにも思います。更に、時代とともに、抽出のためのキーワードはさらに増えていくことになるでしょう。例えば、既存の学問の対象にはなり得なかった課題群に光を当て、研究・究明がなされるとき、既存のカテゴリーや名称は役に立たなくなります。それは「そこに問題や・課題群がある」とする研究者たちによって、最適な概念や言語が見いだされ、創出され、カテゴライズされていくからです。また、過去の論文も含め全体を一貫して同じキーワードで抽出することで、傾向をより正確に見ることができるかと思います。

    (4)さらなるデータ分析の精緻化に向けて
     内藤論文で挑戦されたデータベース化した論文群の分析について発展させるためには、データ分析や標本となるデータの取り扱いの精緻化が重要であり、これに関していくつか気付いた点を述べます。
    第1に、分析に用いる標本となるデータの取り扱いで、これは分析に客観性と説得力を持たせる上で重要です。例えば、内藤論文で述べられているように、2015年以降に関しては、未だ正確なデータ公表に至っていないことを考えると、時系列的な分析や傾向分析を行う際には、分析のねらいに応じて分析の標本に加えるべきか十分に精査することが必要です。また、博士論文は1年毎に見ると、どうしてもばらつきがあり、単年度の論文数で傾向を評価するのが良いか、それとも例えば5年間、10年間といった数年分の論文の数を単位標本として評価すべきかは議論があると思います。
    第2に、分析の前提となる仮説と検証の精緻化です。このような分析は見えなかったものを可視化するだけでなく、女性学・ジェンダー研究関係者が感じていたことを多くの人に共有できる形で可視化するという視点が大事だと思います。そのためには、分析を行う当事者は検討する際に、例えば、この分野の他の研究者の分析や学会などでの議論を参考にしたり、論文データ等を用いた分析学、書誌分析学の知見を取り込んだりして、広い知見を活用することが有効だと思います。

     最後に、本データベースとその活用・分析が発展していくことを期待します。今後のデータベースの共同運用化と可視化、国際比較への道筋、精緻な内容的・史的分析につなげることができれば、今後の女性学・ジェンダー研究の発展の一助になっていくことでしょう。
    注:博士の種類・学術博士の由来:「文部省(現 文部科学省)『平成3年度 我が国の文教政策』によれば、「博士の種類は,昭和31年,学位規則により,従来の伝統的な博士を中心に17種類が定められた。その後,昭和44年に保健学博士が追加され,昭和50年には,学術研究の進展に柔軟に対応する必要があることや,博士の学位は,学問分野のいかんにかかわらず,一定の水準を示すという性格を有するものであり,その種類は簡素化することが望ましいことなどを考慮し,学術博士が設けられた。学術博士は,学際領域等既存の種類の博士を授与することが必ずしも適当でない分野を専攻した者に授与するという運用がなされてきている。」、そして「平成3年2月,大学審議会から「学位制度の見直し及び大学院の評価について」答申が行われたが,学位制度の見直しについての主な内容は次のとおりである。<br>
      
    ア:博士の種類について,○○博士のように博士の種類を専攻分野の名称を冠して学位規則上限定列挙することは廃止し,学位規則上は単に博士とすること。
    イ:各大学院において博士を授与する際には「博士(〔専攻分野〕)」のように,各大学院の判断により,専攻分野を表記して授与すること。 」
    ウ:従来の学術博士と同様,学術分野や新分野を対象として「博士(学術)」と表記することもできること。
    エ:修士の学位についても同様とすること。
    文部省としては,この答申を踏まえ,平成3年6月,学位規則の改正を行った。」(http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/hpad199101/hpad199101_2_152.html)
     また、大学改革支援・学位授与機構が毎年、国公私立大学で授与される学位に付記される名称(日本語、英語)を調査している。平成28年度調査結果によれば、女性学やジェンダー学/研究を付記した学位は存在しない。

関連する論文

  • 『女のからだ』(1974)とフェミニスト翻訳

    2023/10/19

    • リサーチ

    著者名:古川弘子

    コメンテーター:荻野 美穂(おぎの みほ)

    論文概要:

    本稿の目的は、1974年発行の『女のからだ―性と愛の真実』(ボストン「女の健康の本」集団著、秋山・桑原・山田訳編)を翻訳学のフェミニスト翻訳の視点から分析・考察することである。フェミニスト翻訳とは、翻訳を通して女性に対する偏見や差別を可視化し、読者の注意を喚起することで社会に異議を唱えようとするもので、1990年代後半から主にカナダで盛んに議論されるようになった。 『女のからだ』は、1970年に小冊子として発行されたWomen and Their Bodiesと1973年に商業出版されたOur Bodies, Ourselvesの日本語版である。原著は米国の女性グループ「ボストン『女の健康の本』集団」が女性のために編集した、女性のからだについての情報や知見、体験談を集めた本だ。中絶が違法であった時代に、中絶やセクシュアリティについて率直に語った本書は、アングラで出版されたベストセラーであった。今や原著は「女性の健康のバイブル」とも呼ばれ、通算約450万部のロングセラーとなっている。 本書を日本に紹介した『女のからだ』は、その翻訳自体がフェミニスト的行動であったことは疑いがない。しかしながら、本稿ではより踏み込んで、翻訳学におけるフェミニスト翻訳の視点から考えていく。具体的には、フォン・フロトー(von Flotow 1991)の分類による3つの翻訳方略-1. supplementing(補足すること)、2. prefacing and footnoting(序文や脚注で補足説明をすること)、3.hijacking(乗っ取ること)-に基づいて考察していく。 Abstract This research explores the Japanese book Onna no Karada—Sei to Ai no Shinjitsu (trans. Akiyama, Kuwabara & Yamada 1974; literally, Women’s Bodies: The Truth of Sexuality and Love) from a feminist translation perspective. Feminist translation began to be discussed in the late 1990s, mainly in Canada, and aims to make females visible in translated texts as a way to object to women’s subordinate position in society. Onna no Karada—Sei to Ai no Shinjitsu is the Japanese version of Women and Their Bodies (The Boston Women’s Health Book Collective 1970) and Our Bodies, Ourselves (The Boston Women’s Health Book Collective 1973). In the 1970s in the United States, abortion was illegal and the books that dealt with sensible topics such as abortion or sexuality became underground bestsellers. Thus, translating the texts itself was no doubt a feministic action. However, this study takes a further step to investigate the Japanese text in detail to see how the text was translated by the three feminist translators. For the text analysis, this paper applies the three feminist translation strategies proposed by von Flotow (1991): 1. Supplementing; 2. prefacing and footnoting; and 3. hijacking.

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  • 仕事と子育ての両立を選択した女性たちのサバイバル Survival of women who chose to balance work and child-rearing

    2022/06/30

    • リサーチ

    著者名:太田恭子

    コメンテーター:亀田 温子(かめだ あつこ)

    論文概要:

    近年、出産後の女性の就業継続率が上昇し、M字の底も徐々に上がってきた。しかし、未だに女性が主たる担当者として子育てを担っている状況が続いている。高学歴女性に焦点を当てた先行研究の中には、高学歴女性が「子育てを手放さないことが、性別役割分業構造を強化している」という批判もある。高学歴女性は、学歴の地位表示機能による「よい子育て」への規範的圧力や、仕事での自己実現というプレッシャーによって、出産後も仕事と子育ての両立を試みるが、その結果男なみ発想で家事も育児もこなそうとするか、職場の子育て支援制度を利用しマミートラックで両立を図るかのどちらかになっており、そのいずれもが、むしろ性別分業構造を強化しているというのである。 そこで、本稿では、「高学歴女性が『子育てを手放さない』ことが、性別役割分業構造を強化してしまうのか」という問題関心のもと、以下の二つの問いを立てた。①女性たちが「子育てを手放さない」のは、規範的圧力やプレッシャーによるのか、自らの選択なのか。②女性たちが子育てを手放さないと性別役割分業は維持されるのか。その上で、江原由美子のジェンダー秩序論、ギデンズの自己アイデンティティ論に依拠し、仕事と子育てを両立している6人の高学歴女性にインタビュー調査を行った。その結果、女性たちは自らの選択として子育てを手放さずに就業を継続し、自らの「したい子育て」をするために、夫や祖父母、職場を交えた子育てのサポート体制を作りあげ、そうした彼女たちの行為が職場を変え、夫の意識を変えていったと語っており、女性が子育てを手放さなくても、ジェンダー秩序の変容の可能性があることを見出すことができた。 Survival of women who chose to balance work and child-rearing Abstract In recent years, the rate of women continuing to work after childbirth has increased, and the bottom of the M-shaped scale has gradually risen. However, women still remain in charge of child rearing as their primary responsibilities. Some of the previous studies focusing on highly educated women have criticized that the fact that highly educated women "do not give up child rearing reinforces the gender role division of labor structure. Due to the normative pressure for "good parenting" caused by the status indicator function of their academic background and the pressure for self-realization at work, highly educated women try to balance work and child rearing even after childbirth, but as a result, they either try to do both housework and childcare with a manly mindset or use the childcare support system at work to balance the two in a Mommy-Truck way. In either case, the gender division of labor is strengthened. Therefore, this paper asks the following two questions from the perspective of "whether the fact that highly educated women "do not give up child rearing" reinforces the gender role division of labor structure. (1) Are women's "refusal to give up child rearing" due to normative pressure or their own choice? (2) If women do not give up child rearing, will the division of labor be maintained? Based on Yumiko Ehara's theory of gender order and Giddens' theory of self-identity, we interviewed six highly educated women who are balancing work and child rearing. As a result, the women said that they created a support system for child rearing with their husbands, grandparents, and workplaces in order to continue working without giving up child rearing as their own choice and to do "the kind of child rearing" they wanted to do. We were able to find that there is a possibility of transformation of the gender order even if women do not give up child rearing. Translated with www.DeepL.com/Translator (free version)

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  • 東大インカレサークルで何が起こっているのか ―「東大女子お断り」が守る格差構造- What Matters with the Intercollegiate Circles at the University of Tokyo?: The Reproduction of Gender Structure by the "No Women from the Tokyo University Allowed" Rule

    2022/02/09

    • リサーチ

    著者名:藤田優

    コメンテーター:江原由美子(えはら ゆみこ)

    論文概要:

    東京大学において、「東大女子お断り」のサークルが問題となっている。これは東大女子の加入を禁じ、東大の男子と他大学の女子のみで構成される東大のインターカレッジサークル(以下インカレサークル)のことで、主にテニスやバドミントン、バスケットボールなどのスポーツサークルで多く見られる。  本稿では、 “なぜ東大女子は排除されなければいけないのか” という疑問を出発点とし、「東大女子お断り」を掲げるインカレサークルへのフィールドワークを通じて、インカレサークルの内部で何が起こっているのか明らかにした。調査方法としては、東大インカレサークルまたは学内サークルに所属する男女へのインタビューに加え、その中の1つのインカレテニスサークルに対する参与観察も行った。その中で、東大インカレサークルには男子優位のジェンダー秩序が存在し、「東大女子お断り」という閉鎖構造がそれを維持する二重の差別構造となっていると分かった。  東大インカレサークルにおける二重のジェンダー差別構造は、ジェンダー意識の低さに伴う罪悪感の無さ、偏差値ヒエラルキーに基づく男子の傲慢さと他大女子の低姿勢、インカレサークルに対する東大女子の嫌悪感など様々な要素が絡み合って成立していると推察される。東京大学という、国内で大きな影響力を持つ大学のサークル活動において男子優位の非対称なジェンダー秩序が再生産されていることは非常に大きな問題であると言えよう。  また追記として、本稿が執筆された2016年以降、「東大女子お断り」を掲げるサークルに対する大学側の処置により、「東大女子お断り」を堂々と掲げるサークルはなくなった。しかし裏で差別が続いている可能性もあり、更なる分析が求められるだろう。 This paper problematizes the intercollegiate circles at the University of Tokyo (abbreviation, Todai), supposedly a Japan's top university, which prohibits women of the same school from joining them. They consist of exclusively Tokyo University boys and girls from other universities (mainly women's universities), mostly among sports circles such as tennis, badminton and basketball.  Starting from the question, "Why should women from the University of Tokyo be excluded?", this paper examines what is happening inside intercollegiate circles through fieldwork at intercollegiate circles with "No Todai women allowed "rules. In addition to interviewing with male and female members of the University of Tokyo intercollegiate circles and other on-campus circles, I conducted participant observation at one of the intercollegiate tennis circles. What I found is that those intercollegiate circles have a male-dominated gender order, and that the closed structure of "no Todai women allowed" circles has a double discriminatory structure that maintains this order. This asymmetrical gender order with male dominance has been reproduced in the circle activities of the University of Tokyo, a university with great influence in Japan, which is a very serious problem. As a postscript, since this article was written in 2016, there are no more circles that openly apply "no Todai women allowed" rules due to the university's measures against gender discrimination. However, it is likely that discrimination continues behind the scenes, and further analysis will be required.

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  • フェミニストへの「くそリプ」パターン研究 ―コロナ禍における岡村隆史発言への抗議署名活動に賛同した 上野千鶴子によるツイートに対する「くそリプ」事例を手掛かりとして

    2021/05/02

    • リサーチ

    著者名:小林明日香

    コメンテーター:林 香里(はやし かおり)

    論文概要:

    本稿では2020年コロナ禍における岡村隆史発言への抗議署名活動を手掛かりに、フェミニストへの「くそリプ」パターンを明らかにする。本稿で「くそリプ」のパターンを研究する理由は、「くそリプ」の嫌がらせからフェミニストが身を守るのに役立つと考えるからである。上野千鶴子によるツイートへの「くそリプ」をうえの式質的分析法で分析した結果、フェミニストへのくそリプは、1. 悪態、2. 古証文暴き(昔の発言と今の発言の内容が違うと追及)、3. リンチするな、4. 風俗肯定、5. ~には~しないのかよ、6. 女だってやってるくせに、7. 的外れ、8. 意味不明、の8類型であった。フェミニストに「くそリプ」を発信しているアカウントはアンチフェミニストばかりでなく、人物像が推測できない、難癖と文句が多い、政治話題好き、などであることを発見できた。また反応が早いのは「リンチだ」「性風俗産業はサービス業」といった「身体を想起させるくそリプ」で、比較的に反応までに時間がかかるのは「多少の理屈が必要なくそリプ」という傾向が見られた。うえの式質的分析法のマトリックス分析により、「愛国」アカウントの「くそリプ」は提起している問題をすり替える「~には~しないのかよ」コードの割合が高く、「漫画・アニメ」「エロ・セクハラ的なイラスト」アカウントは、過去の上野の発言「母親の不倫OK」「不倫OK」に関係づけて「くそリプ」する傾向が高いことが確認された。「くそリプ」は社会生活に悪影響を及ぼしており、フェミニストはくそリプの「コード8類型」と「アカウントの傾向」を知っておくことで「くそリプ」に傷つく回数が減ると考える。本稿の成果を念頭におき、フェミニストたちは今後効果的な活動が期待できる。 The Study of Patterns of “Bullshit” Replies on Twitter :A clue of “bullshit” replies on the Internet found against Chizuko Ueno who agreed with the signatures which protested against Takashi Okamura’s remarks during the COVID-19 period. This paper analyses the condescending replies (bullshit replies) on Twitter to Ueno Chizuko, who is one of the most famous feminists and sociologists in Japan. The aim of analysis of this paper is that knowing patterns of bullshit replies and contexts might protect feminists’ dignity from oppression and harassment on social media, then feminists would rise to more effective actions. Eight patterns of online bullshit replies to feminists on Twitter are inductively analyzed, and some tendencies which case intends to reply to the exact condescending comment’s code on Twitter, are found by using the Ueno method.  Eight patterns of online bullshit replies are as follows: 1 Abusive attacks 2 Criticizing inconsistencies 3 Net lynching by feminists 4 Justification of sex work 5 Reorienting another enemy 6 "You Too” blame 7 Pointless reply 8 Meaningless reply

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