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  • 東大インカレサークルで何が起こっているのか ―「東大女子お断り」が守る格差構造- What Matters with the Intercollegiate Circles at the University of Tokyo?: The Reproduction of Gender Structure by the "No Women from the Tokyo University Allowed" Rule

    2022/02/09

    • リサーチ

    著者名:藤田優

    1996年生まれ。東京大学教育学部総合教育科学科卒業。現在は一般企業に勤務。本稿は卒業論文を加筆修正したものである。 Fujita, Yu Born in 1996, graduated from the Dept. of Pedagogy, the University of Tokyo, now working at a private corporation. The paper is a revised version of the bachelor thesis.

    東大インカレサークルで何が起こっているのか ―「東大女子お断り」が守る格差構造- What Matters with the Intercollegiate Circles at the University of Tokyo?: The Reproduction of Gender Structure by the "No Women from the Tokyo University Allowed" Rule

    論文概要:

    東京大学において、「東大女子お断り」のサークルが問題となっている。これは東大女子の加入を禁じ、東大の男子と他大学の女子のみで構成される東大のインターカレッジサークル(以下インカレサークル)のことで、主にテニスやバドミントン、バスケットボールなどのスポーツサークルで多く見られる。
     本稿では、 “なぜ東大女子は排除されなければいけないのか” という疑問を出発点とし、「東大女子お断り」を掲げるインカレサークルへのフィールドワークを通じて、インカレサークルの内部で何が起こっているのか明らかにした。調査方法としては、東大インカレサークルまたは学内サークルに所属する男女へのインタビューに加え、その中の1つのインカレテニスサークルに対する参与観察も行った。その中で、東大インカレサークルには男子優位のジェンダー秩序が存在し、「東大女子お断り」という閉鎖構造がそれを維持する二重の差別構造となっていると分かった。
     東大インカレサークルにおける二重のジェンダー差別構造は、ジェンダー意識の低さに伴う罪悪感の無さ、偏差値ヒエラルキーに基づく男子の傲慢さと他大女子の低姿勢、インカレサークルに対する東大女子の嫌悪感など様々な要素が絡み合って成立していると推察される。東京大学という、国内で大きな影響力を持つ大学のサークル活動において男子優位の非対称なジェンダー秩序が再生産されていることは非常に大きな問題であると言えよう。
     また追記として、本稿が執筆された2016年以降、「東大女子お断り」を掲げるサークルに対する大学側の処置により、「東大女子お断り」を堂々と掲げるサークルはなくなった。しかし裏で差別が続いている可能性もあり、更なる分析が求められるだろう。

    This paper problematizes the intercollegiate circles at the University of Tokyo (abbreviation, Todai), supposedly a Japan's top university, which prohibits women of the same school from joining them. They consist of exclusively Tokyo University boys and girls from other universities (mainly women's universities), mostly among sports circles such as tennis, badminton and basketball.
     Starting from the question, "Why should women from the University of Tokyo be excluded?", this paper examines what is happening inside intercollegiate circles through fieldwork at intercollegiate circles with "No Todai women allowed "rules. In addition to interviewing with male and female members of the University of Tokyo intercollegiate circles and other on-campus circles, I conducted participant observation at one of the intercollegiate tennis circles. What I found is that those intercollegiate circles have a male-dominated gender order, and that the closed structure of "no Todai women allowed" circles has a double discriminatory structure that maintains this order. This asymmetrical gender order with male dominance has been reproduced in the circle activities of the University of Tokyo, a university with great influence in Japan, which is a very serious problem.
    As a postscript, since this article was written in 2016, there are no more circles that openly apply "no Todai women allowed" rules due to the university's measures against gender discrimination. However, it is likely that discrimination continues behind the scenes, and further analysis will be required.

    コメンテーター:江原由美子(えはら ゆみこ)

    本論文の最初の読後感は、「ジェンダー秩序は、ミクロな社会構造においてもこんなに変わりにくいものなのか」という、半分呆れながらの落胆であった。「東大インカレサークル(インターカレッジサークルの略、複数の大学にまたがるサークルのこと、念のため)」がこんなにも強固に、「伝統」を維持していることに、驚いたのだ。
     それはおよそ30年前、私が女子大の教員をしていた時、学生から、この種の「インカレサークル」に対して強い非難の言葉があったのを、今もはっきり記憶しているからである。30年という時間がたったのに、まだそんな「伝統」を持つサークルが存続してることに、日本社会の変わらなさを実感し、落胆したのだ。
     当時この種のサークルは、女子大に出張してサークル参加者希望者を募集していたのだが、そこで行われていたのが「面接と選抜」だった。「面接」する側(もちろん、東大等有名大学の男子学生)の言葉では、「サークルを盛り上げてくるような明るい性格かどうか」を基準にして選抜しているということらしいのだが、たまたまその場に行ってしまった学生の見方では、「容姿」による選抜であることは露骨にわかったという。まさか女性を「容姿で選抜」するようなことが白昼堂々と大学内で行われるわけがないと考えていた学生にとって、この経験は天地がひっくり返るほどの衝撃を与えた。それが強い非難の言葉となったのだ。「なぜそんなサークルを大学は学内に入れるのか、それは女性に対する人権侵害ではないのか」と、批判の矛先は、女子大の教員にも向けられた。自分があまりにもうかつであったことを、思い知らされた瞬間であった。その思いを、30年前小文にまとめたことを思い出す(「女子学生と容姿」、『ラディカル・フェミニズム再興』1991、勁草書房、所収)。
     しかし、問題は「容姿による選抜」だけにあったのではなかったのだ。藤田論文はそのことを明瞭に描き出した。そもそも、東大男子学生と一つあるいは複数の「女子大」からなる「インカレサークル」という構造こそが、問題を含んでいるのだ。そこには日本の高等教育の歪み(偏差値による大学の序列化、男子優先の名残、性別による専攻の偏り、女子大という伝統等)、いや日本社会のジェンダー構造の歪みそのものが、見事に凝縮されている。そこには家父長制・ミソジニー・ホモソーシャル等、様々な視点の分析につながりうる仕組みが頭をのぞかせている。「東大インカレサークル」は、まさに精妙な「ジェンダー秩序」によってつくられている組織なのである。

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    論文概要:

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    著者名:石島亜由美

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    論文概要:

    本論は、1970年代から1980年代初頭にかけて日本で発表された女性学第一世代の女性学に関する論稿を考察し、各研究者が初期の段階において何を問題化したのかについて論点整理を行い、草創期の女性学像を明らかにするものである。 加えて、日本では稀有だった分離型女性学を創設した水田宗子の思想を考察し、その水田が設置した城西国際大学大学院を研究の場としてきた私の立場から、私自身にとって女性学の場の意味は何であったのかを振り返るものである。 考察の結果、女性学とは、性差の権力関係を問題とし、その事態の解消を目指して、既存の学問体系に対峙する女性学的知性を構築する営みであったことが分かり、各研究者の女性学にコミットする「当事者性」を捉えることができた。また、私自身の立場から女性学とは、性差の権力構造の中で言語化できなかった個別の経験を言語化することによって、その問題構造を問い、一人ひとりがそこから解放されていくプロセスであったことを振り返った。すなわち女性学は、実存と切り離せない、各個人のフェミニズム意識の実践の場であることを結論づけた。 My position in the women's studies that Mizuta Noriko created: Reconsidering the women's studies in its founding period in Japan This paper examines the discourses of the founders of women's studies from the 1970s through the early 1980s in Japan, so as to clarify the point of argument of each scholar and how respective idea of women's studies was formed, with a special focus on Mizuta Noriko's works. Mizuta was only one in Japan who founded an independent course of women's studies, namely, the department of women's studies and its graduate school at Josai International University. Based on my personal experience as 2 one of her students, I try to accommodate what it meant to me to belong to this particular academic community, to be called a separatist strategy. By my recollection of my personal experience, I argue the following: women's studies is the product from the struggle of construction of women's knowledge; it is determined to confront the system of established academic disciplines, with the goal of eliminating gender discrimination, by questioning gender from the perspective of power relations. In this respect, personal commitment is important for individual scholars. Women's studies meant a process of self- liberation for me through which I could express my personal experiences that could not be done in the gendered structure. In conclusion, women's studies at Josai was a site of practice of my feminist consciousness, which is inseparable from individual existence.

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