

山梨女性センター統廃合問題シンポジウム
上野千鶴子講演全文 を公開します!
「女性センターはなぜ必要か 女性政策 “骨抜き” の歴史から」
山梨県で女性センターの統廃合問題が起きているという状況のもとで、緊急シンポジウムが2021年8月に開かれました。
上野千鶴子さんは、この問題は一地方の問題ではなく、全国に共通した問題なので、全国発信する価値があると思い参加なさいました。
またこの問題はNWECを含む全国の女性センターの制約と限界に関連したものだとの認識に立っています。
このときの講演部分を、主催者のご好意でWANサイトで公開させていただきます。
なお、シンポジウム全体の記録は、2022年12月のNWECフォーラムに出展されます。
上野千鶴子講演部分は参加者への配布資料としてpdfファイルで提供されます。
WANサイトで過去の関連記事は以下からご覧いただけます↓
https://wan.or.jp/article/show/9530
https://wan.or.jp/article/show/9533
https://wan.or.jp/article/show/9572
https://wan.or.jp/article/show/9573
https://wan.or.jp/article/show/9630
https://wan.or.jp/article/show/10014
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【山梨女性センター統廃合問題シンポジウム 2021年8月】より
Part 3 国の女性政策と参画センター(歴史と提言)
「女性センターはなぜ必要か ――女性政策“骨抜き”の歴史から」
上野千鶴子さん:認定NPO法人WAN(ウィメンズアクションネットワーク)理事長
○なぜ、いま、女性センターか
• 危機に立つ女性センター
• 「女縁(女のネットワーキング)」の拠点としての女性センター
• 「女縁」の変貌+環境の変化
山梨県で女性センターの統廃合問題が起きているという状況のもとで、この緊急シンポジウムが開かれました。この問題は一地方の問題ではなく、全国に共通した問題なので、全国発信する価値があると思い参加しました。
なおわたしは「男女共同参画センター」という用語の代わりに「女性センター」を使いたいと思います。どのセンターも当初は「女性センター」という名称で出発しました。90年代に「男女共同参画」という行政用語が登場し、各地の女性センターが次々に「男女共同参画センター」に改称していきました。「男女共同参画」の公式の英訳がgender equality、対照反訳すれば「男女平等」にしかなりません。なぜそれが「男女共同参画」になったかといえば、その当時の政権与党のオジサマたちが「平等」という言葉がお嫌いだったから、とか。男女共同参画と言い換えたことによる効果はさまざまありました。男にも資源分配しろというので、「男のためのクッキング教室」をやったり、元々資源が限られているのにそれを男性に配分したのです。
もし女性センターがその設置の政策目的を明示的に表現するとすれば、「男女平等推進センター」とか「女性差別撤廃センター」と呼ぶのが適切だと思いますが、「男女共同参画」というわけのわからない名称になりました。しかも略称が「男女センター」だなんて。女性のためのセンターなんだから、「女性センター」でよいと思います。
女性センターができてからおよそ30年余。「女性は十分に強くなった、もはや女性センターは要らない」という人もいますが、ジェンダーギャップ指数世界116位の国で、「女性センターがいらない」とはとうてい言えません。「女性センターはまだ必要か?」という問いに対しては、つねに「必要」と答えています。なぜなら女性センターから一歩外へ出たら、世の中は「男性センター(中心)」だからです。
ですが、今「女性センター」を論じる必要があるのは、その「女性センター」が危機に立たされているからです。なぜなら女性政策の対象となる女性市民たち自身が変貌したことと、それをとりまく社会環境が大きく変わったからです。
○行政と女性センターの蜜月時代は1995年に終わった
• 1995年 国連北京女性会議(NGOフォーラムに集まった4万人中6千人が日本女性/自治体派遣)
• 国策としての男女共同参画政策
• フェモクラットの活躍
• 女性センター建設ブーム(ハコモノ行政の一貫)
• 1999年 男女共同参画社会基本法→自治体男女共同参画条例をめぐる攻防
まず自覚していただきたいのは、行政と女性センターの蜜月時代は終わったということ。ピークは‘95年でした。 国連北京女性会議に参加した4万人中、6千人が日本の女性だったのです。自治体が派遣費用をだして送り出しました。フェモクラット(フェミニズムの視点を持ちながら仕事を進める行政職員)の人たちの国政レベルでの活躍などもあり、女性センターも建設ブームだったのです。
女性センターは自治体が設立した公設の施設です。80年代から90年代にかけて女性センター建設ブームがありました。バブル景気の影響で自治体の税収が豊かで、女性市民からの女性センター設立の要求を、箱物行政に利用して自分の業績にした首長もいます。その結果、宿泊設備も備えた必要以上に豪華な施設が建設されたりもしました。後にバックラッシュ派が税金のムダ使いと呼んだ公共事業主導型の箱物行政に、女性センター建設は利用されました。
そして、1995年、国連北京女性会議が開催され、日本から近いこともあり、各自治体はそのNGOフォーラムに参加者を募って旅費の補助を出し女性たちを送り出しました。なかには揃いの浴衣を着て参加した自治体派遣の団体もありました。日本の女性たちは、北京会議で世界の女性たちと交流し、自分たちのやってきたことが世界的に見ても決して劣っていなかったと自信をつけて帰ってきました。
ですが、この年をピークとして、女性政策にはバックラッシュが始まります。北京会議には日本政府が「慰安婦」問題解決のための「アジア女性国民基金」を手みやげに参加しましたが、翌96年には「新しい歴史教科書をつくる会」が発足、「慰安婦」記述を歴史教科書から削除するようキャンペーンを開始しました。その間にも、男女共同参画は国策となり、1999年には「男女共同参画社会基本法」が成立しましたが、各地の自治体では男女共同参画条例の制定に向けて、バックラッシュ派との攻防が激しくなりました。
【年表】 男女共同平等政策の達成と90年代の労働法制
<男女平等法制の整備>
• 1975 国連女性の十年
• 1985 国連女性差別撤廃条約批准/男女雇用機会均等法
• 1991 育児休業法
• 1995 国連北京女性会議/ILO 156条約批准
• 1997 介護保険法成立(→2000施行)
• 1999 男女共同参画社会基本法/改正男女雇用機会均等法
• 2000 省庁再編→内閣府男女共同参画局へ昇格
• 2001 DV防止法
• 2003 少子化対策基本法
• 2008 DV防止法改正
• 2015 職業分野における女性の活躍に関する法律(女性活躍法)
• 2018 政治分野における女性の活躍に関する法律(男女共同参画候補者均等法)
• 2022 困難な問題を抱える女性を支援するための法律(困難女性支援法)
<労働法制の整備>
• 1985 雇用機会均等法/労働者派遣事業法
• 1995 改正労働者派遣事業法
• 1993 パートタイム労働法
• 1999 改正均等法/改正派遣事業法/改正安定法雇用
• 2000 改正労働基本法(裁量労働制)
• 改正パートタイム労働法
• 発見=ジェンダー平等法制と労働の柔軟とは、同時進行してきた
○「仕分け」られる女性センター
• 東京都女性財団廃止
• 大阪府男女共同参画センター(ドーンセンター)売却方針
• 大阪市男女共同参画センター(クレオ)統廃合方針
• 国立行政法人女性教育会館(NWEC)あわや「仕分け」?
2000年代に入ってからは、バックラッシュに加えて、長引く不況のもとで税収減に苦しむ国と自治体が行政改革を積極的に進めるようになり、女性センターがその行革のターゲットになりました。
箱物を建てた後、維持管理や運営コストが自治体にとっては重荷になっていました。東京都では石原慎太郎が都知事に当選した後、都の女性財団が解散命令を受け、予算を干されて解散に追い込まれました。大阪府では橋下徹が府知事に当選した後、最初にやったことが外郭団体の整理統廃合で、その一つが大阪府男女共同参画センター(ドーンセンター)の売却計画でした。女性団体が反対し、ドーンセンターはかろうじて存続しましたが、運営は換骨奪胎されてタダの貸し館業務に変わりました。東京都の男女共同参画センター(ウィメンズプラザ)も建物は残っていますが、運営は似たようなものです。
さらに橋下氏が大阪市長に転じた後は、大阪市立の男女共同参画センター(クレオ)の統廃合が進みました。さらに名古屋市では河村氏が市長に当選し、男女共同参画センターの統廃合が進みました。こうして東京、大阪、名古屋の日本三大都市圏の女性センターは足もとを掘り崩されていったのです。行革の波は国政にも及びました。独立行政法人女性教育会館(NWEC)は、事業仕分けの対象となり、あわや廃止の憂き目に遭うところでした。
○90年代ネオリベと男女共同参画政策のねじれた関係v
• 男女共同参画社会基本法によるジェンダーの主流化
• 橋本&小泉政権下のフェモクラットの活躍/福田政権による庇護
• 2000 橋本行革の成果としての省庁再編に伴う内閣府男女共同参画局の昇格
• 橋本、小泉改革政権による男女共同参画政策の推進
上の年表に示したように、1975年の国連女性の十年以来、日本でも男女平等法制が整備されてきました。その到達点が99年の男女共同参画基本法です。これを推進した人たちが、フェモクラット(フェミニスト官僚)と呼ばれる人たちです。面白いことに橋本政権と小泉政権は女性官僚の活躍を後押しし、それまで男女共同参画の部局は総理府という弱小部局で、まったく権限がなかったのです。けれども行政改革の過程で省庁再編が行われ、これが内閣府男女共同参画局に昇格しました。こういう中で基本法もできたという流れがあります。
でもここで「ジェンダー平等」がいつの間にか「男女共同参画」っていう言葉に、置き換わってしまいました。私たち研究者はこの言葉を使いません。最初に述べたようにな理由で、私は使いたくありません。
ネオリベ政権は「女性活躍」を唱えていますが、ネオリベが考えていることは、使える女は使い倒し、使えない女は二流の労働力に留めるということで、活躍できる女には大きな資源配分をする傾向があります。流行りの「女性リーダー養成講座」のようなプログラムは、元々恵まれていた女性に、より優位な資源配分をするということで、最近はこちらの方にシフトしつつあります。
さらに驚くべきことに、男女共同参画はもう古いと言い出す人たちが出てきました。今はダイバーシティとかSDGsが流行です。でもちょっと待てよ、私はダイバーシティと男女平等は違う、男女平等さえ達成していないのにダイバーシティに行くのはちょっと待てと思います。ダイバーシティという言葉で男女平等を隠蔽してほしくないと思っています。SDGsというと即、性的多様性の名の下にセクシュアルマイノリティがとりあげられますが、ほとんどの男女は性的マジョリティ、異性愛者です。その人たちのセクシュアリティの問題はどうなっているのでしょう。セクシュアリティを他人事として扱うことで、その人たちの当事者性が置き去りになっているという困った効果もあります。
○ネオリベが男女共同参画を推進した理由?
• 答え=女性の労働力化
• 理由?=少子化→近未来における労働力不足
• 効果?=男女共同参画行政と少子化対策の共同共犯関係
• 1989 1.57ショック
• 1991 育児休業法
• 保育施設の規制緩和・民間企業の参入/待機児童数削減/WLB(ワーク・ライフ・バランス)政策の推進
• →もっと女を労働力に! (使える女は徹底的に使い、そうでない女は使い捨ての労働力に)
ネオリベ改革が男女共同参画に熱心だった理由は、ただのパフォーマンスだったのかというと違います。動機はマジでした。理由は女に働いてもらいたい、というものです。その背景にあるのは、少子化すなわち子どもが生まれないことです。将来の労働市場が逼迫することがわかっているからです。保守政治家とネオリベ政治家の決定的な違いは、後者は前者と違って「女よ、家庭に戻れ」とは口が裂けても言わないことです。なぜなら、女は日本に残された最後の資源、寝た子を叩き起こしてでも使いたい最後の資源だからです。
現に今、生産年齢人口の日本の女性は、10人に7人が働いています。問題はこの働く女性たちの58%、およそ10人に6人が、非正規労働者だという事です。非正規労働の何が問題かというと、労働条件がすごく悪いことです。同じ労働をやっても正規労働者の半分から3分の2くらいしか賃金をもらえないという状況です。
○新自由主義/ナショナリズム/バックラッシュ
• ネオリベ/ネオナショナリズム/男女共同参画政策は2000年代に同時進行した
• 1999 男女共同参画社会基本法
• 1999 国旗国歌法
• ‘90s ネオナショナリズムの勃興
• 2000s 男女共同参画へのバックラッシュ(ゆりもどし、こと「ジェンダーフリー・バッシング」)
ネオリベこと新自由主義改革は女に働いてもらいたい、ただし、都合よく働いてもらいたいという政策を90年代からこの30年くらいずっと継続してきました。その過程でバックラッシュがおきました。今から思えば新自由主義改革と、ネオナショナリズムの勃興、そして男女共同参画政策は、なんでこの3つが同じ政権のもとで進むのかと思いますが、この間のねじれた関係が2000年代から同時進行しました。‘99年はジェンダー平等法制の法的整備のピークである「男女共同参画社会基本法」ができた年ですが、同じ国会で「国旗国歌法」も成立しました。これで公立学校の卒業式や入学式で日の丸を掲揚し、君が代を歌うのが義務になりました。この「国旗国歌法」を当時「オヤジ癒し法案」と呼んだ人がいましたが、これを背景にして、2000年代に入ってからものすごいバックラッシュがおきました。特にジェンダーフリー・バッシングが各地で起きました。覚えておられると思いますけれど、各地で起きました。
とりわけ東京都では凄まじかったです(下表)。私は東京都民ですが、‘99年に石原慎太郎が東京都知事になってから、私は東京都知事認定の危険有害人物になりまして、東京都の行事には一切呼ばれなくなりました。このあと都知事は何代か代わりまして、今日女性が都知事にはなっておりますけれども、バックラッシュの状況は変わっておりません。
• 1999 石原慎太郎東京都知事に当選
• 2000 東京都男女平等参画条例成立/東京都女性財団廃止命令(2002解散)
• 2001 千代田区男女共同参画センター松井やより氏の講演中止/台東区男女平等推進プラザ辛淑玉氏講演中止/石原「ババア」発言
• 2003 七生養護学校事件/都教委「不適切な性教育」批判、教員大量処分/都教委式典国旗国歌実施通達
• 2004 都教委「ジェンダーフリー不使用」通達
• 2005 国分寺市事件(東京都、国分寺市と共催の人権講座に介入、講師候補者の上野を拒否
• 2006 若桑みどりら1808筆の抗議署名を東京都教委に提出
• 2006 東京都男女共同参画審議委員に高橋史朗就任
• 2007 東京都知事石原3選
• 2010 東京都教員らによる都教委訴訟最高裁で敗訴
• 2011 東京都知事石原4選/七生養護学校事件、教員側勝訴
地方自治体でも同じ動きが起きました(下表)。福井県では公立の情報館からジェンダー関連図書が153冊撤去されました。その撤去の申し入れをしたのが、男女共同参画推進委員に手を挙げて委員に任命された元学校長の男性でした。そのうち17冊が私の著書でした。危険有害図書として認定されたのです。この153冊の中に、福島瑞穂さんの『結婚は博打である』という本が入っておりまして、その話を私の兄の妻に致しましたら、彼女はケラケラ笑って、「あら、結婚はバクチって、その通りじゃない」って言っていました。本当のことを言うと危険有害になるようです(笑)。
• 2006 千葉県男女共同参画センター設置条例否決
• 2006 福井県ジェンダー関連図書153冊撤去事件(うち17冊が上野の著書)
• 2006市川市男女平等基本条例廃止代わって男女共同参画基本条例制定
• 2007 愛媛県公立図書館でジェンダー関連図書撤去事件(推定)
• 2008 つくばみらい市で男女共同参画事業として実施される予定の平川和子を講師とするDV防止法関連の人権講座が右派の妨害により直前キャンセル→抗議署名運動
• 2008 堺市図書館でBL関係の図書5499冊が「市民」の要請を受けて撤去、処分の直前に、抗議によってさしとめ
大阪府も酷かったです(下表)。橋下徹さんが府知事になってから、「ドーンセンター」の売却方針が出され、なんとかこれを守ったんですが、その後、府と市の首長が入れ替わる「府市合わせ選挙」で橋下さんが大阪市長になってから、大阪市の男女共同参画センターの統廃合方針が出ました。橋下さんは、実は私が今やっているウィメンズアクションネットワーク(WAN)の産婆役を果たしてくれた人です。ドーンセンターを守るためにがんばった「すっきやねん ドーンセンター」という運動体の中核メンバーが私たちWANの主力メンバーです。ですから、コーナーぎわに追い詰められて、万止むを得ず一歩踏み出したというのが、私どもの悲しい出自です。
<大阪府・市の場合>
• 2008 橋下徹大阪府知事に当選
• 2009 大阪府男女共同参画センター(ドーンセンター)売却方針(処分延期)
• 2011 大阪府教育基本条例(継続審議)、大阪市教育基本条例(廃案)
• 2011.11.27 府・市あわせ選挙で松井一郎府知事・橋下徹市長当選
• 2012.5 大阪市男女共同参画センター(クレオ)5館体制廃止方針
<橋本府政はWANの産婆役?>
• 2008 ドーンセンター売却方針→反対運動「好きやねん、ドーンセンター(略称すきドン)」結成
• 2009.3「女の本屋」撤退
• 2009.5 ウィメンズ・アクション・ネットワーク設立http://wan.or.jp/
○女性センターの歴史
• 1950年代 婦人会館
• 1960年代 勤労婦人会館+公民館(社会教育)
• 1968国立市公民館「主婦とおんな」セミナー (日本初の託児付き講座開設)
• 1970-80年代 女性センター
• 1990年代 男女共同参画センター
• 2000年代 複合施設化/指定管理者制度
女性センターの歴史を考えると、先ほどの納米さんからのご報告で戦前からの長い歴史があることがわかります。女性センターは、昔、婦人会館と言われました。もともと社会教育機関と労働行政のための拠点は別々でした。後者には勤労婦人会館のようなものがあったわけです。社会教育の分野で画期的だったのは、‘65年に国立市公民館で、日本で初めての託児付き講座ができたことです。子どもを預けてまで女が勉強するとは何事だと言われた時代に託児付き講座を実施し、今日では託児なしの講座は非常識だと言われるような時代を作りました。
2000年代になってからいま、その女性センターが大変な荒波を受けています。その中には統廃合、複合施設化、指定管理者制度の導入などがあります。複合施設化して消費者センターとか青少年育成とか、多様な課題がどんどん入ってくると、ジェンダー課題の優先順位は確実に下がるということがわかっています。なぜそうなのかはわかりませんが、そういう経験則があります。ですから複合施設化するということは、ジェンダー課題にとっては不利なことだということになります。
○女性センター二つの系譜
• 勤労婦人か家庭婦人か?(夜間利用者か昼間利用者か?)
• 権利擁護か社会教育(学習・啓発)か?
• 行政の管轄 労働行政か人権政策か?
• 国レベル 労働省婦人少年局vs総理府(のちに内閣府男女共同参画局)
• 地方レベル 労働行政は府県に/社会教育は市町村に
• →手を縛られた出発/長く尾を曳く
今述べたように、女性センターには二つの系譜があります。サービスを提供するのは一体誰に対してなのか――勤労婦人なのか、家庭婦人なのか。長い間、勤労婦人というのは低階層の女性たちを指していました。つまり女が働くなんて、そんなみっともない思いをしたくない、させたくないという考え方が日本には長らくありましたから、「職業婦人」は蔑称でした。結婚したら「家庭婦人」になるのは、経済階層がやや高い中産階級の女性たちです。どちらにサービス提供するのかは、施設をアフターファイブに利用するか、ビフォーファイブに利用するかで決定的に利用者が入れ替わるという状況がありました。
それだけでなく、女性センターは女性の権利擁護を目的とする施設なのか、学習・啓発する施設つまり社会教育機関なのかで、ここでも二つの異なる出自があります。行政の管轄で言うと、勤労婦人対象だと労働行政の分野で、学習・啓発だと人権政策の一環で社会教育分野に入りますので、文科省の管轄になります。自治体の女性政策が当初、教育委員会のもとに置かれたのは、それを反映しています。国レベルで言いますと、女性政策は長い間労働省婦人少年局が管轄していました。のちに総理府が男女共同参画行政の担当部局になりましたけれども、ここはほとんど無権力状態の部局です。のちに省庁再編過程で内閣府に格上げされて、やや事業の分野を拡張しましたけれども、いまでも労働省いまの厚労省の婦人少年局と内閣府男女共同参画局との間で、権限を巡って綱を引き合いあっています。とはいえ厚労省の権限が圧倒的に強いですから、内閣府ができることは非常に限られています。
しかも行政の縦割りだけでなく、政府、都道府県、市町村という行政の横割りがあります。地方レベルでは労働行政は府県が担当し、社会教育は市町村の管轄です。例えば市町村の女性センターが実施する社会教育プログラムで人材育成したとしましょう。そこから巣立った人たちを就労支援したり、その人たちが就労したあとにも起きる様々な労働問題をどうやって解決するかというと、労働行政は府県ですから、市町村は手が出せません。いまある多くの女性センターは、社会教育事業という位置づけで、人権政策の一環を学習・啓発事業として担うことになっていますから、労働行政はそれとは別、いわば手を縛られた状態で出発をしてしまったという出自が、今日においても長く尾を引いており、それが女性センターが思うような活動ができない元凶になっていると思います。
その後、女性センターの運営方式にも変化がありました。公設公営と公設民営とがあります。公設公営、つまり自治体の直営館というとよさげに見えますが、要するに役人が女性センターに異動になり、よくわからないまま数年経ってからどんどん交替していきますので、それでは専門性が育たないということがわかりました。また本庁から出先機関のセンターに配属されるのは窓際族の宣告のように受け取る人もいて、女性センター勤務をじっとガマンでやり過ごす雌伏の期間と捉えるやる気のない公務員もいたので、公設民営になってよかった点もあります。
公設民営には自治体が100%出資する財団を設立して委託する場合と、指定管理者制度で民間のNPOや企業に委託する場合とがあります。現在は行政の外郭団体としてスタートした財団も、他の民間団体と同じ資格で指定管理者として競争入札しなければならなくなっています。東京都女性財団もそういう行政の外郭団体のひとつでした。東京都の女性センターを守りきれなかったのは、東京都の女性都民が「そんな施設、私たちのために何してくれたの?」っていう不信感を持っていたからだと、私は思っています。石原都知事(当時)が女性財団潰しにかかった時に、女性都民の反発は強くありませんでした。当時の館長さんが行政の「イエス・ウーマン」だという声も聞こえてきました。こういう財団は「民」は「民」でも「民の皮を被った官」と言います。女性センターの館長職は、行政の女性官僚の退職後の天下りポストになったりもします。
行革の過程で生まれた指定管理者制度は、もちろんコストカットのために導入されました。委託を受けた事業者は既得権益団体化していき、行政に逆らわない御用業者になるような例も公設民営にはあります。しかし指定管理者制度による民間委託には、よい点もありました。女性センターのユーザーが当事者性を持って、担い手に変わる例があります。各地の女性センターは人材育成事業を実施してきましたが、そこで育った人びとがNPOのような団体をつくり、指定管理者として受け皿になっていくという動きがありました。指定管理者制度という「安あがり行政」に加担するのかという批判もありましたが、女性政策の専門性と意欲を持った女性市民が、効率の悪い公務員より、はるかに質の高いサービスを提供できるというメリットもありました。またそれまで行政が独占していた館長を含めた人事権と予算の裁量権を握り、女性の雇用を創出するという効果もありました。名古屋市や静岡市にはその例があります。
○女性センターの危機
1 前門の虎、後門の狼
1) 行政改革の波
• ハコモノ行政のツケ
• 整理統廃合
• 指定管理者制度(安上がり行政)
• 雇用崩壊
2 )バックラッシュ
• 「男女平等」から「男女共同参画」へ
• 女性の優遇?ジェンダーフリー・バッシング
ところが今起きているのは、公設民営から公設公営への後退です。行政サービスの合理化のために民営化したのに、元に戻るなんて、ヘンですね。行政は管理強化のためと言います。実際は予算をさらに縮小して女性政策を後退させようという方向です。冒頭に女性センターは危機に立たされていると言いましたけれども、危機には「前門の虎」と「後門の狼」の二つがあります。「前門の虎」は不況による税収減でいっそう深刻化した行革の波です。バブル期にお金をいっぱい使って豪華な箱物を作ったけれど、あとの維持管理が負担になっているから、なんとかコストダウンしたいという動きが全国で起きています。施設を縮小撤退して複合館化し、できるだけ安上がりにしようとか、雇用もできるだけ有期雇用とか非常勤にしていこうという動きが現場で起きています。鳴り物入りで江ノ島に設立された宿泊設備付きの神奈川県の女性センターが、狭い複合館に移転縮小せざるをえなかったのはその例の一つです。
もう一つの「後門の狼」がバックラッシュです。「女ばっかりに税金を使うのは逆差別だ」という攻撃に女性センターは晒されています。ジェンダーフリー・バッシングもあります。また「女性と政治」のテーマで女性議員を招いて話をしてもらうのも、「選挙運動だ」と横槍が入るようになりました。政権批判にもセンシティブになりました。どんな講師を呼ぶかで、その人選が議会で問題になることもあります。わたしも講演会のドタキャン事件の当事者になりました。
2 構造要因の変化
1) 啓発・啓蒙(社会教育)の限界
• 受け皿がない/労働政策に手を出せない
• 育成した人材の通過点としての女性センター(雇用+起業)
2 )マーケット(女性)の変貌
• 就労率の増加
• 主婦の変貌(昼間人口の減少、無業の主婦の階層分解)
• 高齢化、若い世代の女性センターバナレ
3) 社会環境の変化
• 地域活動の経済活動化→女性起業家の誕生
• 1997 NPO法+介護保険法成立
• 2000 介護保険法施行
それから構造的な要因があります。もともと啓発、啓蒙の対象として始まった社会教育事業としての限界を今日も背負っていますので、横浜や静岡のようにICTリテラシーを含む就労準備教育を終了したあとのアフターケアまでやってくれるのかというと、労働行政には手を出せません。
そして行政サービスの対象となる女性自身が大きく変わりました。大半の女性が働くようになって、無業の主婦が激減しました。ということは、昼間人口が減ったということです。昼間出歩ける人というのは、年金生活の高齢者か、一部の限られた高経済階層の無業の専業主婦か、育児中でやむをえず外に出られない若い母親かのいずれかになりました。働いている女性たちにとっては、「女性センター? あるの、そんなもん」という話になって行くでしょう。
さらに、女性センターで女がやってきたことは学びだったのですが、次に学びからそれを経済活動に変えて行く動きが生まれました。介護保険法が追い風になって、それまで地域でボランティア活動を担ってきた女性たちのなかから、雨後の筍のように福祉NPOが誕生し、女性起業家が次々に登場しました。同じ時期に生まれたのがNPO支援センターで、その方が事務所スペースや経営のノウハウの提供をしていたので、女性センターで力をつけた人たちが、「ありがとう、さよなら」といって女性センターを卒業して、NPO支援センターに行っちゃうみたいなことが各地で起きました。活力のある人たちが女性センターを「卒業」していくので、女性センターは取り残される一方、残されたジェンダー課題はDVとセクハラばかりという状況が起きました。
3 内部要因
1 )自治体内の組織上の位置づけ
• 「窓際」「出島」
• 男女共同参画担当部局とセンターの二重構造
• 行政部局のなかで「ジェンダーの主流化」は起きず
2 )利用者の固定と高齢化
• 行政の外郭団体化と既得権益集団化
3 )専門職の育成の困難
• 異動/非常勤/雇い止め
4 )安上がり行政
• 指定管理者制度(財団、NPO、株式会社)
• 継続保証なし/不安定雇用/御用団体化
• 女性公務員の天下り先
自治体内の組織上の位置づけも問題です。かつては社会教育部門で教育委員会の管轄下にありましたが、今でも人権課や女性青少年担当部局に置かれているところもあります。本庁の女性政策担当部局と出先の女性センターの二重構造が成立して、出先機関である女性センターに異動すると、出島で数年じっとガマンしたら本庁に戻れるみたいな感じ方をお役人が持つケースも無かったわけではありません。一時「ジェンダーの主流化」の掛け声のもとで首長部局に置かれたこともありましたが、また押し戻されたところもあります。全ての行政に横串を指すような「ジェンダーの主流化」を推進し、あらゆる政策のジェンダーインパクト評価をやるような権限も役割も役割も、女性センターには与えられませんでした。
その間に利用者はどんどん高齢化し、固定して行きました。女性相談員のような専門職の雇用が生まれましたが、その人たちの雇用は非正規や非常勤で、低賃金であるだけでなく有期雇用や雇い止めがあったりして、なかなか人材が育たなかったり、定着しませんでした。女性センターが女性の雇用崩壊の最前線になったりしたのです。
指定管理者として委託を受けたNPOなどの団体も契約期間が決まっていますから、契約が更新されるかどうか保証がありません。その中でイエスマンというか、イエス事業体というか、御用団体化していくという傾向も一部にはあります。東京都23区の女性センターの指定管理事業者には株式会社も入っています。株式会社は営利団体ですから、クライアントである行政に対してノーが言えないという状況が起きていることでしょう。
○女性センターとは何だったのか?
• のぞんだものとは異なるものを与えられた?
• 不便な立地、立派な施設→仕分けられて当然?
• ほしかったのは?
• 「男女平等センター」「女性差別撤廃センター」
• 女性の権利擁護/就労支援(+アフターケア)/女性の地域活動支援
• 相談業務=ワンストップ機能(心理から法律、社会的資源、就労への接続まで)
女性センターってなんだったのでしょうか?
海外の女性センターを訪れてみると、街角に民家みたいな建物が各地にあって、日本のような大規模施設ではありません。箱物行政にまんまと利用されたせいで、不便な立地に大理石使った立派な施設が作られたけれども、どうやって使うの?ということになりました。宿泊設備の稼働率などが業績評価で求められますが、もともと不便なところにありますから、業績を上げろと言われても無理。足の便が悪くて貸切バスで訪れる団体のあるところもあります。活発な活動が困難になり、結果として仕分けられて当然みたいなことにもなります。
私たちがほしかったのは、もっと地域に密着した、女性の活動のための拠点施設、政策目標がはっきりしており、市民が自由に使える、そういう施設でした。いま山のように空き家がありますから、行政の責任で空き民家を一棟借りて、そこを拠点施設にしてくれたっていいんです。豪華な施設は要りません。本当はそういうやり方をしてほしかったんだけれど、それとは違うものが与えられて、後で散々批判されることになってしまいました。
女性の権利擁護の中で一番大事なのが、女性の経済的自立、すなわち「食えるようになる」ということです。労働権の保障です。そうなると就労支援とその後のアフターケアは女性政策にとってたいへん大事な事業なのに、そのあいだの連動ができません。それと同時に地域活動も支援してほしい。相談業務も縦割りではなくて、ワンストップ機能を持ってほしい。女性センターにはやってほしいことがたくさんあります
○女性センターが達成したもの
女性の人材育成!(情報と人材のストック形成)=エンパワメント
1 利用者の人材育成
2 職員の人材育成
3 相互の交流とネットワーク化
→審議会委員、女性議員、女性政治家、女性起業家、NPO経営者、専門職等の排出
女性センターにはこれまで指摘してきたような限界や制約はたくさんあるけれども、女性センターがあって良かった。あって良かったんです。最大の功績は人材育成です。利用者だけではなくて、職員も育ちました。それからその間で交流とネットワークができました。行政の中にいる女性職員と女性市民との間に連携ができて、お互いに育ちあってきました。女性政策は市民と行政職員との連携無しには進みませんので、市民活動との接触によって行政も育ってきたことは大きな変化だと思います。その中から審議会委員、女性議員、女性起業家、NPO経営者、専門職などの人材が続々生まれました。
そのせいで、今度は男性政治家からバックラッシュを受けるようにさえなりました。女性センターで「女性と政治」をめぐる課題が非常にやりにくくなったのはなぜかといえば、女性の人材が直接自分たちの座を脅かすようになるぐらいに育ったからです。そのぐらい大きな効果がありました。
○女性センターは必要か?
「女性センター、今でも必要か?」という問いに対する答えは「イエーース!」です。なぜか? 女性問題は全然解消していないからです。女性の抱える課題の内容は、世代交代と共に変わってきています。雇用崩壊は進んでいます。性暴力は顕在化しましたし、ワンオペ育児は今でも無くなっていません。貧困と虐待の世代間連鎖はどんどん深刻になっています。孤立とメンタルヘルスの問題もかつて以上に深刻化しています。ですから、女性センターは必要です。
問題は変化したこれらのニーズをちゃんと取り込めているかどうかということです。そうなると、女性センターは原点に帰るということがすごく大事だと思います。
○原点に返る!
だけど、このニーズをちゃんと取り込めているかどうかということが大問題。で、やっぱりそうなると、女性センターは原点に帰るということがすごく大事だと思います。
• 女性の地域活動の拠点施設
• ネットワークと情報
• ユーザーとの連携
→女性センターを守るのは利用者市民!
自主管理・自主運営は可能か?
指定管理者制度はウエルカム(ユーザーから担い手へ)
選考過程の透明性、公開性/利用者による選定/自己評価+利用者による評価/市民的専門性の育成
つくづく思うのは女性センターを守るのは利用者市民です。統廃合の危機に立たされた女性センターは、ユーザーが守るんです。東京都の女性財団を守れなかったのは女性都民が冷淡だったからです。大阪市では女性市民がクレオを守り抜きました。守った理由は、クレオの前身である大阪市立婦人会館を、1950年代に当時の女の人たちが一円募金で作ったという、そういう女性の思いが籠っていることを、次の世代の人たちが受け継いで守ったからですね。
指定管理者制度は、役人にお任せの公設公営よりもこちらの方がまだましだ、と思っておりますが、これには功罪両面があります。「罪」をできるだけ減らして、「功」を伸ばすためには、選考過程をできるだけ透明化する必要があります。基本的には利用者評価を重視すべきだと思います。その過程で女性市民自身が女性問題の市民的専門性を獲得して行くことが、すごく大事と思っています。
○行政に必要なこと
1)条例制定(根拠法) 2)担当部局(横断的行政)
3)意欲と専門性のある担当者の配置 4)予算 5)施設・設備
6)官民連携(女性市民とのネットワーク)
行政のやるべきことといえば、これだけのことをやってほしいです。政策の根拠法になる条例はあった方がいいです。担当部局はちゃんと主流の部局においてほしいです。意欲と専門性のある担当者を配置してほしいです。それから予算と施設、設備をつけてほしいです。でないと手も足も出せません。官民連携は絶対に必要です。
○「ジェンダー主流化」のツールとしての女性センター
• 目標=性差別のない社会をつくる!
• 職場・地域・家庭あらゆる場面で
• 教育、就労、子育て、介護すべての局面で
• 女性のエンパワメント!(男社会に適応するスキルではなく、男社会に対抗する力)
「ジェンダー主流化」のツールとしての女性センターは、市民生活のあらゆる場面に関係してきますので、それに見合うような組織やあり方が望ましいということになります。女性センターは今でも官と民をつなぐ、公と私をつなぐ、情報をつなぐ、地域をつなぐ、世代をつなぐ拠点として意味がありますし、結果として力をつけた女性たちが地域力の担い手になって、地域を変えて行くことになるだろうと期待できます。
そのためには、何が課題で何が足りず、何が抵抗勢力で、制度や組織をどう変えればいいか、利用者にどう働きかければいいのかを考えていただきたい。当事者ニーズに沿ったことをきちんとおやりになれば、静岡のような成功例もあるということが事例報告ではっきり分かりました。
お一人お一人の市民の「わたし」が、女性センターの次のステップにどうしたらいいかを考えていただく機会に今日のシンポジウムがなればいいと思っております。ありがとうございました。
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