「あんたがいまおねがいしていることは、いまのあんたのためにはならないことだったのよ」
『ハイジ』より
これはハイジの中に出てくるクララのおばあさまの言葉です。そして「神様は時がくれば、かならず助けてくださるよ、安心していらっしゃい」とおばあさまは、傷心のハイジをなぐさめます。ハイジが一心にお願いしても神様は聞き届けてくださらないからと、祈ることをやめてしまったことを、おばあさまは諫めているのです。
日本のテレビでアニメ作品「アルプスの少女ハイジ」として放映されると、ハイジは愛らしく、心優しい少女として一躍人気ものになりましたが、『ハイジ』という物語のバックボーンとなっているのは、キリスト教であり、全編宗教色の濃い作品なのです。
なお原題を直訳すると上巻は『ハイジの修業時代と遍歴時代』、下巻は『ハイジは習ったことを役立てることができる』という厳めしいタイトルです。作者ヨハンナ・シュピリはゲーテの作品『ヴイルヘルム・マイスター』の愛読者だったので、主人公が様々な経験を通して成長していく「教養小説」をかなり意識したといわれています。

ヨハンナ・シュピリは1827年、スイスのチューリッヒに近い小さな村で、7人兄弟の4番目の子どもとして生まれました。母マルガレータ・ホイッサーは牧師の娘で敬虔なプロテスタントの詩人としても有名で、讃美歌の作詞も残しています。ヨハンナはこの母の影響でキリスト教を強く信奉していました。
父のヨハン・ヤーコプ・ホイサーは外科から精神科医までも兼務し、病院を兼ねた自宅には精神疾患の患者も入院していました。このような特異な環境で育ったものの、母親の希望で教育者となるため、ヨハンナは14歳で語学、音楽の勉強のためにチューリッヒへ行き、17歳でフランス語習得のために女子の寄宿学校で学ぶという、当時の女子としてはかなりの高等教育を受けています。1年後家に戻ると弟妹たちに勉強を教えたり、家事の手伝いをしていました。
1852年25歳の時に兄の友人だった弁護士のベルントハルト・シュピリと結婚し、ふたたびチューリッヒに住みます。夫は州議会議員や新聞編集者としても活躍する多忙な人で、後に市の文書官になったため、官舎住いを余儀なくされました。ヨハンナは家事が好きではなく、夫は留守がちで、夫婦仲は冷ややかでした。幼いころはハイジのように活発な子だったヨハンナは、都会の生活にもなじめず、28歳で息子を出産しますが、妊娠中からひどい鬱に悩まされていました。上流階級の社交も苦手な彼女が唯一心の支えとした友人、マイヤー夫人の自殺により、さらに長く鬱状態が続きます。次第に鬱から回復すると、彼女は1人息子に音楽の才能を見出しバイオリニストの養育に力を注ぎますが挫折します。病弱だった息子は、大学在学中に結核を患いし、1884年29歳の若さで亡くなり、相次いで夫も病に倒れ、62歳で世を去りました。
すでに彼女は1871年44歳の時大人向けの作品を書き、イニシャルの「J・S」という匿名でデビューし、これが評判を呼び作家の道を歩み始めていました。その後1880年『ハイジの修業時代と遍歴時代』を出版したときも、ヨハンナはやはり匿名で出さざるをえませんでした。当時、女性の作家は自分の名前で出版することは認められなかったのですが、『ハイジ…』が好評だったので、翌年その下巻をようやく匿名ではなく実名で出すことができたのです。作家としては遅咲きでしたが、「作家は50歳より前には何も公表しないほうがよい」とヨハンナは述べていました。ある程度の人生経験を積んだ人でなくては、物語を書くことも人々を教え導くこともできないという信念があったのです。
この『ハイジ』上下は大変な反響を呼びましたが、反面内容が保守的である、宗教色が強調され過ぎている、などという批判にも見舞われています。当時のチューリッヒは1840年代自由主義政権が成立していたのですが、兄も彼女の夫も保守系新聞でリベラル派を活発に攻撃していました。ヨハンナ自身は女子教育に力を注ぎ、高等女学校の理事を務めていたにもかかわらず、大学での女子教育に反対の立場を取り、保守的家族とも評されていました。そこが良家の子女として育てられたヨハンナの限界だったのでしょう。
牧師はハイジを学校に行かせるようにと説得しますが、おじいさんは頑としてはねつけます。ハイジの母親が夢遊病でよく発作を起こしたので、ハイジが慣れない環境で病気にならないかと心配したのですが、結局ハイジはフランクフルトに連れていかれます。アルムの山であれほど元気にあふれていたハイジは、都会の環境の変化に対応できず、邸宅の暮らしにもなじめず夢遊病を発症します。一方歩けずベッドに寝たきりのクララはくる病ではないかと推察できます。
作品の主人公が二人も病気であるという設定は、なかなか特異です。ヨハンナが幼少の頃より病院の中で患者と生活を共にしていたことから、病気への抵抗感は少なかったとも考えられます。あるいは、彼女の溺愛する1人息子が心臓が悪く病弱であったことも、病児を描いた動機の一つかもしれません。ヨハンナは息子の転地療養のためスイスのマイエンフェルトのラガー温泉を訪れ、そこが『ハイジ』の舞台となったともいわれています。
この病気を抱えた二人の少女がアルプスの澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込み、暖かな陽光を浴び、ヤギの新鮮なお乳を飲むことによって回復していくのですが、その様子は感動的であたかもアルプス讃歌のようです。

ヨハンナの他の作品にも都会の子どもたちは病弱で、アルプスに静養に来て体力を回復していくというストーリーが描かれています。また彼女は子どもにとって都会暮らしは適していないという教育的観念から、都会と自然の対照を描くあまり、反発を招いたという一説もあります。
しかし、『ハイジ』ではアルプスの自然だけがこのハイジとクララの回復に手を貸したのではありません。
医者のクラッセン先生の的確なアドバイス、行き届いた親身な世話をするクララのおじいさん、この作品では年を取った男のひとが、子どもたちのケアをします。お屋敷のゼーゼマン氏、召使のゼバスチャンもしかり、ハイジのよき理解者です。
片や孤児となったハイジをおじいさんに預けて働きに行くデーテや、厳しく躾ようとするロッテンマイヤーさんのような女性たちは辛らつな描き方です。ペーターの母親さえプレゼントを喜ぶものの、ハイジの世話をしてくれません。
作者のヨハンナたち7人の子どもは忙しい母親の代わりに、母の姉であるレーゲリ伯母さんに育てられたそうです。孤児のハイジやクララと母親との希薄な関係は、ヨハンナの母親への複雑な感情が反映されているのかもしれません。
冒頭の言葉のようにクララのおばあさまは、ハイジにキリストの教えを諭し、導く存在であり、あたかも伝道師のようです。ハイジはその心を受け継いで人々に良い感化を与え幸せをもたらしていきました。

作者ヨハンナ・シュピリは人の心の闇や、悪意ある行いなども対照的に描きました。フランクフルトの大都会になじめず病んだ少女ハイジは、山に戻り回復していく中で周囲を癒し奇跡を起こしていくのです。それは試練を乗り超えて生きるヨハンナ・シュピリの強い願いでもあったのでしょう。
★ヨハンナ・シュピリ(1827-1901)
参考
『ハイジ』上下 J・シュピリ作 矢川澄子訳
パウル・ハイ画 福音館文庫
『100分de名著 アルプスの少女ハイジ』松永美穂著 NHK出版
「ヨハンナ・シュピーリの生涯と作品考察」南 はるつ
『「ハイジ」の生まれた世界: ヨハンナ・シュピーリと近代スイス』森田安一著 教文館
*アルプスの画像提供 小関恵
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