
ケアの負担を、ひとりだけに負わせてはならない。様々な人と負担を分け合い(共助)、福祉制度(公助)を活用することで、ケアを必要とする人の依存先を分散させることが重要である。このケアへのスタンスは、行政書士業務や男女センターの場で相談を受ける際に、私の中に強く根付いている信念である。しかしその一方で、心の片隅では、その健全な理念に窮屈さを感じていることに気づく。「そうは言っても、簡単に距離を取れない関係性もある」「憎さと愛しさの中に留まりたいこともある」「他者を抱え込むある種の万能感や陶酔感を、丸ごと否定してもよいのか」…そんなことグルグル考えて、迷子になったような気持ちになる。
『わたしが誰かわからない ヤングケアラーを探す旅』は、幼い頃から精神病の母のケアラーとして生きてきた著者の、白黒つかないセルフドキュメンタリーである。著者の思索は、自身の経験が「ヤングケアラー」と名付けられることへの違和感から始まる。もちろん、不可視化・抹消化されてきた困難やマイノリティ性について、名前がつけられ、そこにケアの目が向けられることには大きな意味がある。その困難を法制度等の社会変革に結びつけるときは、ある程度の大文字の語りも必要になるだろう。しかし、大文字の当事者性でひとが括られるとき、そこから溢れるものが必ず存在する。その言葉がもつイメージが先行し、個人の多様なありようや感情が見えなくなってしまう。
著者が、自身と類似する経験を持つインタビュイーの語りを聞き続け、見出したものは、圧倒的な個別の物語だった。そしてそれは、健全とされる回復のルートからあえて外れながら、自己と家族の物語を紡いでいく姿でもあった。対話や繋がりの中での回復することが「正規」の回復ルートだとするならば、著者が描く生き延びの作法は、「つながらない自由」「ひとりでいる自由」「話さない自由」を全肯定する「裏コース」のルートだと思う。
「自己肯定感」や「セルフラブ」、「セルフケア」の重要性が説かれ、あらゆるものが資本主義化する現代において、健全さや正しさでは身を救えないことを描くことに、私は大きな意義があると感じる。ひとは時に、正しくないものを生きる杖にすることもある。何とかその杖を掴み取ったひとたちを、私は肯定したいと強く思う。
◆書誌データ
書名 :『わたしが誰かわからない ヤングケアラーを探す旅 』
著者 :中村佑子
頁数 :232頁
刊行日:2023/11/20
出版社:医学書院
定価 :2,200円(税込)
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