私はDV加害者や被害者に会い、加害者プログラムをおこない、性暴力/DVについて学んできたので、実態を知らない意見(現実を悪化させる荒唐無稽な意見)には憤りを覚える。

朝日新聞に2017年9月21日に載った大森貴弘・常葉大学講師(憲法学)の共同親権についての意見を読んで驚いたので翌日に私のブログで批判を書いたら、当の大森氏から「不愉快だ、訂正せよ」という趣旨の抗議が届いた。数回やり取りした後9月30日段階で大森氏からの返答はなくなった。そこで、最初にブログに載せた小文を中心に、その後のやりとりの一部も入れた私の意見をまとめたので、紹介させていただく。

●朝日新聞に掲載された大森氏の意見の要旨

大森氏は、「(私の視点)離婚後の子育て 共同親権で親子の関係守れ 大森貴弘」(朝日新聞、2017年9月21日)という文章において、外国では共同親権になっている、などと一面的に「子の健全な発達には両親が必要」という側面からだけ論を進めて、驚くことに2017年4月の「伊丹市での、面会交流で父が子供を殺した事件」についても、ちゃんと面会交流させなかったから起こった事件なので、この事件も、面会交流のリスクを言う人の見解とは逆に、皆が面会交流できるようにする親子断絶防止法を導入すべきことを示している事件だったといった趣旨の見解を述べた。

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まず、ここで言及された伊丹事件の概要をまとめておく(イダまとめ)。

◆2017年4月伊丹市、離婚した元夫が面会交流で子どもを殺して自殺
 2017年4月23日、伊丹市で、父親(40)が離婚後の面会交流で子ども(娘、4歳)と会った日に、子どもを殺して自分も自殺した。 長女は両親が2016年11月に離婚したあと、母親と一緒に暮らしていたが、父親の求めに応じて、2017年1月までに父親は3回子供と面会していた。その後父親が面会頻度を上げるよう要求し、調整が難航したため2月から4月にかけて面会交流等をどうするかの話し合いがなされ、月に1回面会するということが正式に決まって、4月の事件当日はその初回だった。
事件当日、まず父親は別居する元妻・娘と面会し、そのあと娘とだけ出かけていた。面会時間が終わっても娘が戻らず、元夫と連絡が取れないため、午後7時半ごろに元妻が伊丹署へ通報した。 警官が元夫の家に言って倒れている二人を発見した。 元妻は、面会交流支援団体の利用をすすめられていたが、遠方であることと費用が掛かることから断っていた。
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大森氏は、この事件に絡んで次のように朝日新聞に書いている。そのまま紹介する。

「事件当日まで約3か月間、面会はなく、父と娘は引き離しの状態にあった。父親は娘と会えぬ悲しみから精神科に通院していたという。(殺人事件の)原因は親子断絶による父親の精神状態の悪化にある。面会交流が継続されていれば事件は起きなかったはずで、親子断絶の問題を告発した事件と言える。」(大森氏の文章引用終)

大森氏はこのように「約3か月間、面会はなく」と書いており、当初のメディア報道でも、正式に審判で面会交流が決まってからの初回だということだけが流れて、それまで一度も会わせなかったかのように印象付ける情報も流れたため、私は最初のブログ記事で、大森氏は、「ちゃんと面会させないから事件が起こった」という趣旨で意見を言っているが、3回面会があったので事実としても間違っている、と批判した。
だがその後に大森氏から来たコメントを読んで、この点では私の誤解があることが分かった。
「約3か月間、面会はなく」という大森氏の書かれていることについて私は「4月の事件まで、離婚後面会が一度もない。だから会えなくてつらくて精神科に通った」という趣旨で主張していると思い、「いや、3回面会があったので間違いですよ」と言いたかったのだが、大森氏が2017年1月までに3回の面会があったことを知ったうえで2月から4月の3か月について面会がないと書かれているとわかった。したがって大森氏が「3か月面会がない」と言ったのは事実として間違いではなかった。
2017年1月まで3回面談があったと書いていなので、大森氏の文章は誤解を生じさせやすい文章だが、間違いではないので私はそこは間違いを認めた。

さて、そうだとしても私の以下の批判の趣旨は変わらないので、当初の私のブログ記事の文章をベースにしたものを以下に記していく。

●子供に会えぬから精神科に通ったといえるのか

大森氏は「父親は娘と会えぬ悲しみから精神科に通院していた」というが、それは大森氏の推測が入っており、断定できないと思う。この元夫は朝日新聞取材によると、「物に当たり、ささいなことで朝まで説教を続けた」という人物だ。妻も別のところで「(元夫は)腹が立ってギャンブルしたりとか、酒を飲んだりとか」「借金はする、酒は飲む、暴言を吐く、部屋を荒らす、浮気をする」などとのべている。つまり程度は不明だがDV的な夫であった。 そのため妻は精神的に追い詰められて2016年11月に離婚した。

父親(元夫)が、いつからどのような精神状態であったか、いつから精神科に通っているかは不明である。離婚前からか、離婚後か、離婚後でも何月からなのか。精神的な状態の程度も不明である。離婚を言われたから精神科に通ったのかもしれない。発症の理由は不明である。それなのに、大森氏は「父親は娘と会えぬ悲しみから精神科に通院していた」→「だから子供を殺した」と決めつけている。
これに対して大森氏は、一部情報から、精神科に通院したのは離婚後だとわかると反論してきたが、別の報道では「父親は同居時から精神的に不安定で」といったような情報もあり真実は定かではない。
私は、そういうこともあるし、11月から1月にかけては子供に会えていたので大森氏が言うことばに沿うならそこでは精神科に通わないということになるし、しかし12月ごろにすでに通院していたかもしれないし、詳しい病歴とかもわからないので、「子供と会えないから精神科に通うようになった」という主張も怪しいし、そこから一気に「会えていれば事件は起こらない」とまでいうことに疑問を呈した。

私が上記のように書いたのは精神科に通うといってもいろいろな状況があるので―――過去にも精神的にしんどくなったことがあるとか、過去には精神的なことで通院していたが近年は通っていなかったとか、精神的にはしんどいことがあったが病院には行っていないとか、病気の程度もいろいろだとか、またその発症の理由も詳しく聞かないとわからない、聞いてもわからないこともあるので―――「「父親は娘と会えぬ悲しみから精神科に通院していた」というのは、決めつけすぎている、自説の結論に持っていくために悪用しているといったのである。

したがって「報道によれば通院していたのは離婚後で妻はそれを知らなかった」ということ程度は言えるかもしれないが、「娘と会えぬ悲しみから精神科に通院していた」とまでは言えないということだ。DV加害者といってもいろいろで、複合的に精神的にしんどくなることもある。時には自分が悪いのに被害者意識を持って苦しむこともある。怒りにとらわれて病的な精神状態になることもありえる。 そういうことを総合的にとらえるべきで、父親を子どもに会えないから病気になった被害者のようにだけみるのはおかしい、DV加害者かもしれないという面を考慮すべきである。

●面会できていれば殺人事件にならなかったといえるのか

次に「(殺人事件の)原因は親子断絶による父親の精神状態の悪化にある。面会交流が継続されていれば事件は起きなかったはずで、親子断絶の問題を告発した事件と言える。」 という部分は、 学者とおもえない―――いや、実は学者なんてこんな程度の人物が多いが―――ほどの飛躍した論理展開だ。

伊丹事件から導かれるのは、面会交流のむつかしさ、特に暴力性/DV歴のある父(母)との面会をどう安全に行えばいいのかという課題が投げかけられているということだ。簡単に面会交流すればいいという話ではない。 それなのに、大森氏は強引に、「面会させなかったために父は精神的に病気になって事件を起こした。面会させていれば事件は起きなかった」→「だから親子断絶防止法を成立させろ」というようにおおむね主張している。

そもそも、審判で4月からは月に一度面会交流を行うと決まってそれが実行され始めたのであるから、もし子供に会いたいと思うなら会えるようになったわけである。とすれば大森氏の主張に沿って考えてみても、この父親は子供を殺すことも自殺することも必要なかったのではないか。子供に会えないから精神科に通った、だから会えていれば事件は起きなかったはずという、私が一番大森氏の主張でおかしいと思った点についての意見を求めたがそれに対する明確な回答はなかった。

私は、以上のように考えたため、「『面会交流が継続されていれば事件は起きなかったはず』などという論にはなんの説得力もない。賛成の拍手が起きるのは、反フェミの立場で親子断絶防止法を作ろうという集会を開催している場所だけだろう。(これ推測。 笑) 大森さん、事件の悪用もいい加減にしてほしい。」と書いた。 皮肉っぽく書いたので大森氏は怒ったが、私が言いたかったのはそれくらい大森氏の主要は暴論だということであった。

私の持論(私だけではない)だが、「AだからB」という場合には実はよく飛躍がある。隠れた前提がある。形式的な「論理的というもの」には疑ってかかることが大事だ。だがこの問題に気付いている学者は少ない。私は大森氏の主張の単純さに、学者の「形式的な論の運びで何か言えている、自分は合理的だ、正しいと思ってしまう愚かさ」を感じたので、批判を書いた。
(AだからBという論委は飛躍があるという合理性の危険については拙著『スピリチュアル・シングル宣言』参照。ここでは説明省略)

●大森氏の論のすすめ方の飛躍とDV軽視の匂い

大森氏はFBで私に対して反論のコメントを書いてきた。そこでも以下のように述べられていた(反論コメント全体は私のブログで紹介している)。

「そして11月の離婚の直後の段階に関して「離婚後3回の面会ではトラブルはなく、侑莉ちゃんも楽しんでいたという。母親は家裁で娘の意思を確認された際も「面会を喜んでいる」と答えたといい」(同上URL)。このように、11月、12月、1月の3回の面会交流の継続中には何の問題もなかったのに、2月~事件当日の3ヶ月の引き離しの後、突如として事件が起きています。引き離しによる精神状態の悪化が希死念慮に至った、これが直接の原因でしょう。2月以降も面会交流が継続していれば、精神状態の悪化が希死念慮に至ることはなく、事件は発生しなかったと思われます。」(大森氏のコメント引用終)

それに対しては以下のように答えた(一部加筆)。

「子どもが喜んでいる側面があるといっても、面会全体に問題がなかったとは言えません。例えば一例ですが、妻に対して脅すような言葉をかけている場合もあるでしょう。それなのに、「引き離しによる精神状態の悪化が希死念慮に至った、これが直接の原因でしょう。」、「2月以降も面会交流が継続していれば、精神状態の悪化が希死念慮に至ることはなく、事件は発生しなかったと思われます。」、「したがって面会交流の継続こそ同様の事件を防止しうると考えています。」 というような性急な結論を導かれている点は、朝日新聞の文章と同じ構図です。
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この論の進め方と結論があまりに一面的なので、私は問いたいです。
この問題がセンシティブとわかっておられるのでしょうか。現実は複雑でケースバイケースで適切に対応すべきという面があることを認められますか。私が、ケースによっては面会交流をかたくなに拒否するのはおかしい場合もあると思っている、原則的には共同親権にすべきだとおもっている、しかし親子断絶防止法は危険で今は通すべきでないといっていることを総体的に理解されていますか。
伊丹事件を大森氏のように理解するのは一面的だという主張が理解できませんか。伊丹事件の背景にある、過去の夫のDVの程度をよく認識しないと何とも言えない点があるということを理解できないのでしょうか。大森氏の主張には夫のDVの軽視が感じられます。DVをしてきて、こんな殺人をしてしまうほどの危険な人物だからこそ、面会には注意が必要だともいえるわけです。

(週刊女性の情報  「借金はする、酒は飲む、暴言を吐く、部屋を荒らす、浮気をする。もう限界で、あのストレスの日々に戻ることは無理でした。弁護士を立て離婚調停を始めました」「最後の最後まで自己中で……」「養育費も払えないように仕事も辞めていたみたいで、私を困らせてやろうという気持ちがあったんだと思います。」)」

「面会交流について#2―――実態知らない学者の暴論 著:イダヒロユキ」へ続く!

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