「面会交流について#1 ―――実態知らない学者の暴論 
著:イダヒロユキ」からの続き


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大森氏の「子供に会えないから動揺した」という説明について

大森氏は、私への反論コメントにおいて、ネット情報をあげて、
「報道では「子煩悩」だったとされる父親が3ヶ月の間、引き離しにあって精神的に動揺しない、と考える方が無理があると思います。」と、まるで私(イダ)の主張――子供と会えないことによって病気になったとは言い切れないという主張―――がおかしいように批判してきた。

それに対しては以下のように答えた(一部加筆)。

「「引き離しにあって精神的に動揺しない」などと私は主張していませんよ。DV加害者の多くだって、妻(恋人)や家族(子供)が離れるとなるととても動揺しています。動揺しているからといって、必ず精神的な病気になるわけではなく、精神科に通っていたということと「面会できなかったから精神科に通った」――しかもそれは殺人に至らないために面会交流させるべきだったという主張と一体――という主張を同一視はできません。わかりますか? 

精神科に通っていたということの原因を大森氏が自説正当化につなげるために特定していることがおかしいといっているのです。
そして離婚になった、妻や子供に会えないということから精神科に通ったとしても、だから離婚をすべきでなかったとか、妻に会えるようにすべきだ、子供に会えるようにすべきだとは直ちにはなりませんよね。子供に会えなくて動揺しているから動揺しないように「面会交流させるべきだ」ともなりません。

大森氏にはぜひこれを機に理解していただきたい。一般的に言ってパートナー関係が破綻するとき、フラれるほうはつらいです。子供に会えなくなるのは、子どもを愛していた親ならつらいです。しかしそこから面会交流させないといけないとは直ちには言えないといっているのです。ましてや、つらかったからと言ってDVを継続したりストーカー行為をしてはなりません。面会できなくてつらいから子供を殺していいとはなりません。

最後に殺人事件が起きたら、それを避けるために、その前のことをするべきだ(今回の場合、面会交流させるべきだ)などとして、DVなどの犯罪を容認するかのような論はおかしいと言えます。「お前がセックスさせなかったら、俺は外でレイプ殺人するぞ」と言った人に、レイプ殺人させないために、いやいやセックスに応じないといけないという主要がおかしいのと類似です。

離婚後、子どもに会わせろということがDV行為の継続になる場合があるのです(全部だとは言っていません)。 過去のDVの傷がいえておらず、元加害者にDV(面前DV含む)したことへの反省の姿勢が見えない中で、安心して元加害者に子どもを会わせられないと被害者が思う場合があります。 そういうときに、非常に被害者に怒りの心情をもって対抗的になっている夫(加害者)側が「面会交流させないのは勝手だ」、「連れ去りだ」、「養育費を払ってているんだから子供にあわせろ」などということは、被害者には恐怖でしょう。

だから前向きな解決には、過去のパートナー関係におけるDV的な面への謝罪と償いの姿勢をもって非暴力的な関係になっていくこと、被害者との信頼回復が必要なのです。「元夫が努力しているな、変わろうとしているな、反省して変わったな」と思えるように、平和的に伝えていかないといけないのです。夫側が怒りで「子供に会わせないのは勝手だ」と対立的に対応すれば、またまたDVになる可能性が高いです。

大森氏の文章にはこうした点でのDVの理解や被害者の立場への理解が感じられなかったから私は反発したのです。「面会交流/共同親権に反対しているのは、世界の趨勢を知らない間違った愚かな意見だ」という批判に受け取れました。「親子断絶防止法に反対してる側」の言っているリスクにカギカッコをつけて「リスク」と表記して、それは本当のリスクではないですよ、逆に伊丹事件は親子断絶防止法を作るべきと言っているんですよと説教した文章だったのです。

しかし私はやはり実態からみて、DV加害者の一部には危険な人がいて、面会交流させることには危険性があると思います。それを「本当はリスクではないよ」というような主張をされることには賛成しかねます。」

●大森氏の「離婚で苦しんで病気になったということはありえない」という意見について

大森氏は私への反論コメントで、
「伊田先生は「離婚を言われたから精神科に通ったのかもしれない。」と書かれていますが、それはありえないことです。なぜなら、離婚を言い出したのは父親のほうだからです。」と書いてきた。

それに対しては以下のように答えた(一部加筆)。

「この主張もおかしいと思いました。離婚を言い出したのが父親のほうだとしても、だから父親(夫)が離婚については精神的に苦しくないとは言えないからです。DV加害者はしばしば「別れてやる」「出ていけ」などと言います。「いつでも別れてやる」と言っていても実際に妻が出ていこうとしたり別居すると動揺して土下座して謝ったり、何でもするから戻ってきてくれと懇願することもあります。経済問題を使って別居するなら金を出さないなどといって経済的に苦しめてコントロールしようとしたり、子どもの親権を俺がとるぞと言って脅そうとしたりすることもあります。

妻が離婚したいと思っていて「離婚を言い出した夫の言葉」を逆手にとって離婚を進めるという場合も考えられます。夫側が「離婚する」といったものの、実際に離婚になって苦しむということは十分あり得ます。だから父親が精神的に苦しくなるのが子供の問題だけが原因とは言いきれません。
つまり「離婚を言い出したのは父親」ということが事実としても、その実態やそれにまつわる夫婦双方の心理は多様と言えます。以上より、「それはあり得ない」などというのは実態を知った意見とは思えません。

大森氏が紹介してくださった「週刊女性」記事にも以下のような記述があります。

「本当に空気が読める子で、元夫に会って帰ってきたとき“パパ、謝ってたよ。許してあげーや”って私に言うんです。私はもう会いたくなかったので“近くだからまたすぐ会えるからなぁ。おもちゃもこっちに全部あるで”なんてごまかして……」

まず妻は「もう会いたくない」と言っています。夫から離婚を言い出したということにも留意すべき点があることがうかがえます。
子供も「空気が読める子」になっているということで、これは「父との面会に何の問題もなかった」という大森氏の主張にも再検討の必要性があるのではないかと思わせます。「パパ、謝ってたよ。許してあげーや」と子供に言わすように持っていったのは、子供を使ったコントロールです。こんなことを子どもに言わせる(思わせる)ような面会交流を安易に認めるわけにはいかない、もっと夫側は注意しろというべき状況です。子供が気を使って両親を仲良くさせたいと思っていい子になったりするのは面前DVゆえの対応とも読めます。そうしたいろいろな可能性があるので、「面会時は問題なかった」と決めつけるのはおかしいと思います。」

●大森氏の「韓国では面会交流しているが事件は起きていない」という意見について

大森氏は私への反論コメントで
「韓国では、離婚前から国によるカウンセリングが行われ、別居後も面会交流を継続させますが、伊丹市で起きたような事件は発生しておりません」 とも書いてきた。
これも極端な意見だと思ったので、以下のように答えた。

「私は、離婚前から本当に離婚するのかと時間を一定かけて国によるカウンセリングが行われるようなことは一定有効ではないかと思っています。しかし、DVは韓国でもあるので、 「別居後も面会交流を継続させます」→「事件は発生しておりません」→だから面会させるべきだというようなことを主張するのは現実を踏まえない空論と思います。

韓国でもDVがある以上、面会交流を拒否されるケースもあるでしょうし、まったく「面会交流にまつわる暴力事件がなかった」など言い切れないと思います。世界中で色々事件が起こっているからです。そこを平気で「事件は発生しておりません」と言い切れるその感覚が信じられません。」

●DVの傾向がある場合、「面会交流には危険性がある、慎重さがいる」という話

精神的に病気になった理由も明確ではないし、精神的に病気になっていなくても、面会交流で子供に悪い影響を与える可能性も実態もある。 面会していても父親は病気になるかもしれない。面会していても、事件は起こったかもしれない。大森氏の「面会していれば事件は起きなかったはず」という断定はおかしい。
実際、DV離婚後、面会交流でもめるのは、精神の病気の有無とは関係なく、危険性のある夫に会わせて大丈夫なのかということだ。殺人や傷害事件ももちろん心配だが、そこまででなくても、 子供に怒る、どなる、たたくようなことがあって子どもを怖がらせるかもしれないという心配があり、それは当然だろう。
また 「子供の前で妻の悪口を言う」「好きなものを買ってあげたり食べさせたり甘やかし、優しくいい父の役割を演じられるので、子供が混乱する」「お父さんは寂しい、つらい、などと言って子どもを使って同居/復縁に持ち込もうとする」というようなことがあることも、再び子供を使ったDVであるが、面会交流にはその危険性がある。

そうしたことを真摯に受け取めて「どういう面会交流/共同親権にしていけばいいのか」を考えるのではなく、 親子断絶防止法を成立させればこの種の事件が起きないなんて、まったく論理的説得力がないし、無責任でバカな意見だ。

私がこう書いたことに対し、大森氏は「侮蔑的だ」と言って怒っているが、私は彼の意見を現実を知らない馬鹿げた意見だと言っているので訂正や削除には応じていない。 大森氏の個人的資質全体を侮蔑しているのではなく、彼の今回の意見がおかしいと述べ、学者の中には現実を知らないで議論を展開する愚かな人も多い、と批判しているだけだ。その批判を訂正する必要はないと考えている。 私はこういう話の時には中島みゆきの『世情』の次の一説を思い出す。

「世の中はとても臆病な猫だから/他愛のない嘘をいつもついている。 包帯のような嘘を見破ることで/学者は世間を見たような気になる」(『世情』)

私も学者の端くれだったが、多くの愚かな学者を見てきたし、自分も「包帯のような嘘を見破ることで、世間を見たような気に」なっていた面があったと思う。 私が「バカと思う人」「バカな学者」という意味は、そういうことを含む言葉だし、昔から学者バカ」「専門バカ」というような言葉もある。 たとえば宮台真司氏は優秀で私も学んだ点もあったが、援助交際論やその他で多くの愚かな意見を言ってきた面もある人物だと思っている。今回、大森氏の意見を掲載した朝日新聞記者も愚かだなと思う。 おもそも、大森氏は、批判が来ることを予想/覚悟せずにあの意見を投稿したのか。それならやはり世間知らずだというそしりを逃れられまい。あんな意見を書けば怒る人が大勢いるかが分かっていないという意味で。

ということなので、「バカな学者(の一例)」といわれたぐらいでその言葉だけにこだわって、自分の主張の現実的な重さを考えないなど、やはり愚かしいと思ってしまう。 特に、今回の案件は、安易に面会交流だけを促進してしまうと危険性が増すという重大な問題である。命や人権にかかわる問題に口を出すなら真剣に考えてから発言すべきと思って批判した。

親子断絶防止法の危険性を認識して、ちゃんと安全性を担保しないといけないのに、それが分かっていなくて、とうとうと一面的意見を載せたため、この学者さんはダメだと思ったし、こんな意見を載せた朝日新聞にも問題があると思った。 この学者さんや、朝日新聞にこれを載せると判断した責任者には、DVの実態を、ちゃんと被害者とあって、たくさんDVに関する本も読んで勉強しろと言いたい。加害者プログラムについても学べといいたい。実態を知らないで論だけで得意になる学者や弁護士が多くて困る、というのが私の感覚だ。

「面会交流について#3 ―――実態知らない学者の暴論 著:イダヒロユキ」へ続く!

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