ただの主婦である。
ネウボラ活動と称している、現在の趣味はNPO北海道ネウボラの運営である。
今のところまでは全て私の持ち出しで活動している。
今現在の団体としての収益はまったくない非営利活動であって、事業と呼ぶには恐れ多い。
NPO北海道ネウボラは札幌市の任意団体であって、法人格はない。
NPOとはノンプロフィットオーガナイゼーション。
非営利活動なのでNPOと称している。
収益事業を目指しているところではあるが、収益事業、継続可能な事業とはなり得ていない。
残念ながら、今のところはまだ「代表五嶋さんの趣味の活動です」と称するしかない現状である。
私の持ち出しであるが、我が家は一般平均年収サラリーマン家庭。
私は就職氷河期世代、夫は団塊ジュニアのアラフォークライシス世代。
出産後貯蓄のなくなったところに夫の手取りが上がらない、貯蓄できない状況で子どもが2人という一般的な4人家族。
収入的にも道内の平均年収にほど近いと思う。
余分なお金があって活動しているわけではなく、
正直にいうと、貯蓄ができていないので、うちの子どもたちは大学には行けないと思う。
『進路を選べない問題』はもはや貧困層に限らないのであるが、未だ認識されていない。
自己責任とされるところであって、まだまだ声を出しにくいところだと感じている。
ぶっちゃけると、現在、生活ギリギリ限界の隙間を縫っての活動である。
そんな余裕もない生活なのに・・・
-『なぜ活動を始めたのか?』-
誰もが質問してくるこの疑問。
全くもってその通りだと思う。
むしろ、専門知識も何もないただの主婦がこんな難しい社会課題に挑戦しているのか。
私が逆に世に問いたいくらいである。
高専卒の元SEでしかも復職もリベンジ再就職もできなかった落ちこぼれお母さん。
たくさん世の中にいるはずの、福祉系の大卒の人たちはどこでいったい何をしているのだろうか。
『困ってるお母さんと子ども』という、未だ当事者である。早く助けてほしい。
今日はタイトル通り、そんなただの主婦であった私のネウボラ活動の始まりについて少し想い出してみたいと思う。

北海道大学キャンパス
#1【ただの主婦】
で簡単に述べたとおり、
出産後の10年は非正規の職を転々とし、130万円くらいの収入でパートをしていた。
一番大変だった時期はいつかと思い返すことは難しい。
だって、ずーーーーっと大変だったから。
そんな『大変!』な毎日の中にも、活動への兆しとなるシグナルがいくつかあった。
不思議な奇跡の連続で今ココにあるのがネウボラ活動である。
とある不思議のひとつめは、神様に強く願ったあの時・・・・。
北大の医学部関連のセンターの事務補助員という仕事の面接を受けた時だ。
子育てしながらの就職活動はパートや非正規と言えども大変だった。
リーマンショック後、がっつりと求人の数が減り、選べる仕事はほとんどなかった。
そんな中、また転居に伴う転職の機会が訪れ・・・
アカデミックという、初めての分野への挑戦だった。
私の学歴は高専の専攻科卒、情報工学学士。
非常勤の事務職員とはいっても、もっと優秀な大卒の人がたくさんくるような面接会場。
『この後選考が通れば事務局長から電話します。』ということだったように記憶している。
~倍率が高すぎるし、学歴が・・・とっても無理。~

写真はびっくりドンキー今年の春のいちごフェア
面接後、息を付きに立ち寄った、びっくりドンキーで、
大きなマグカップのコーヒーを飲みながら面接の手応えを思い返しため息をついた。
これまでの非正規職はどれもさんざんだった。
専門職なのに時給と見合わない作業だったり、
楽しくない単調な作業だったり。
ただのパート、アルバイトで低時給でただこき使われる私の人生。
こんな人生何が楽しいんだろう。
せめて今日このチャンスをつかんで、北大という北海道学術機関最高の場所で仕事してみたい。
医学部関連とはいえ研究機関のデータベースの管理業務。
私にできるはず。絶対にやりたい。
~電話がきますように~
~もしも、この電話がきて、北大で働けるのなら、私のこのつまらない人生を絶対に変えたい~
神様にこんなに熱心にお祈りしたのは人生で初めてかもしれなかった。
ふと意識をコーヒーに戻したところで、携帯電話がなった。

医学部前の八重桜(5月末が見頃)
事務局長からの電話だった。
「採用が決まりました」
話の筋的には補欠合格だったのかもしれない文脈を感じながら。
それでも、採用してもらえるということだった。
私はこの時まで、自分のこうありたいというものはあまり持っていなかったように思う。
自分には能力がない。
だから仕方ないと何でもあきらめてきていた。
この時、私は、自分の人生をコントロールしたいと初めて願った。
そして、願いは叶った。
さて、試験の時にお会いしたセンター長は素敵な方であった。

札幌市営地下鉄のオレンジリボン啓発ポスター
とても気さくな年配の女性のセンター長だった。
面接のとき忘れられない質問が一つあった。
「今気になっているニュースは何か」
予想していなかった質問であった。
「子ども虐待のニュースに関心がある。」
「子どもの虐待をなくしたい。」
思わずそんな言葉が私の口をついて出た。
この頃、子どもの虐待死のニュースが頻繁に流れていた。
私には虐待する親の気持ちがとてもよく分かった。
頼る先のない育児。弱音を吐くところのない育児。
ひとりホッと息つく暇もなく、頭がおかしくなりそうになる時はいくつもあった。
自分自身、いつそうなるかわからないことを怯えてもいた。
上の子が幼稚園のこれから年長で、下の子はまだ保育園だったあの時。
オレンジリボンの活動に興味を持っていた。
そんなにも立派な正義感が自分にあったとは驚きであった。
そんな、自分でも戸惑うような回答をした私に、
センター長は目を輝かせて何かポジティブな言葉を与えてくださった。
それがとてもうれしかった。
自分の考えを認めてもらえるということ、こんな夢のような話をして褒められたことはこれまでなかった。
この時の認められたという、肯定の記憶は今でも自分の活動の底に強くあると思う。
このエピソードから、ココロの奥に「オレンジリボン」を深く閉じ込めた北大。
そんな私と北大エピソード。
あれから、もう6~7年経っているであろうか。
ネウボラの活動を通して、オレンジリボン運動を支援・推進する団体に登録することができた。
ココロに芽生えた想いは、願う事・口に出すことで叶うのかもしれない。

北海道大学は、巨木に囲まれた自然豊かなキャンパス。
北海道に来たらぜひ足を運んでみてほしい。
そんなこんなな、ネウボラ活動へつながるシグナルは、まだまだいくつもある。
北大との勝手な私エピソードはもう一つあって、それはこれより、もう少し前の話。
ちょっとネガティブなこちらは次回に☆彡
~人生が160°変わった!主婦の社会活動という選択~
#1【ただの主婦】
#2【ネウボラ】
#3【WANとの出会い①】
#4【WANとの出会い②】
NPO北海道ネウボラ代表 五嶋絵里奈(ごしまえりな)
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