この映画は、小説家・尾崎翠が30代後半に書きつづった3つの小説『歩行』『地下室アントンの一夜』『こほろぎ嬢』(いずれも1932年/昭和7年の作品)を原作として描いた、ユーモアとペーソスただよう、3つのちょっと風変わりな<片恋>(片思い)の物語である。尾崎翠の人生と小説世界とを交差させて描いた『第七官界彷徨 尾崎翠を探して』(1998年)の8年後に作られた2006年の作品で、浜野佐知監督が制作した一般映画としては、『百合祭』(2001年)に続く3本目にあたる。
映画は、尾崎翠の小説世界さながらの、オフビートな作品に仕上がっていて面白い。映画を見ると小説の文字が懐かしくなり、小説を読んでいると映画の映像や音楽が心に立ち上がってくる。そんなふうに映画と小説とを、くりかえし往復する楽しみをくれる作品だ。
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祖母(大方斐紗子)と暮らしている小野町子(石井あす香)のもとへ、東京から心理学者・幸田当八(野依康生)がやってきた。当八は分裂心理の研究のためにと、戯曲の恋のセリフを町子に朗読させる。町子は彼に心惹かれ、当八が去ったあとも彼の面影を手放せずにいた。
そんな町子が、当八の面影を胸に、祖母に頼まれたお萩を持って動物学者の松木氏(外波山文明)とその妻(吉行和子)の家をおとずれた。ところがふたりに頼まれて、そのまま妻の弟であり詩人の土田九作(宝井誠明)のもとを訪ねることになった。引きこもって詩作に励んでいた九作は、町子がどうやら失恋していることを知り、彼女に淡い恋心を寄せる。
こほろぎ嬢(鳥居しのぶ)――成長した町子――は、図書館の奥で見つけたイギリスの詩人ウィリアム・シャープ(イアン・ムーア)と、その恋人のフィオナ・マクロード嬢(デルチャ・M・ガブリエラ)に思いを寄せていた。彼女が、ふたりの愛の物語を胸に地下の食堂へ降りると、そこには産婆学を学ぶ女性(片桐夕子)がいた――。


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ところで、1998年の映画『第七官界彷徨 尾崎翠を探して』では、尾崎翠が書いた詩に、吉岡しげ美による曲がついている。小説『歩行』の中で冒頭に「よみ人知らず」として載っている、つぎの詩だ。
おもかげをわすれかねつつ
こころかなしきときは
ひとりあゆみて
おもひを野に捨てよ
おもかげをわすれかねつつ
こころくるしきときは
風とともにあゆみて
おもかげを風にあたへよ
吉岡さんが作曲されたメロディーには、寂しさと同居するような力を感じて忘れがたく、映画を見てからは、ぼんやりとした瞬間にそのメロディーばかりが心に浮かぶ。実は『こほろぎ嬢』にも同じメロディーが使われており、そのつながりは、嬉しい驚きとともに、尾崎翠の描いた世界へのオマージュのようにも感じられる。また、この映画にはちょっと驚くようなラストも用意されている。最後に画面に表れるメッセージに、自分もまた尾崎翠の世界の一員であるのだと、画面の向こう側から手を差し出されたような気持ちにさせられ、思わず顔がほころんでしまった。
広大な砂丘や日本海の海などの、鳥取の美しさを切り取った風景と、有形文化財になっている明治から昭和初期の建物をふんだんに取り入れた映像も魅力的だ。この作品を見るたびに、鳥取へ行ってみたいという気持ちも膨らんでいく。『第七官界彷徨 尾崎翠を探して』と『こほろぎ嬢』は、DVD2枚セットで購入できるのでぜひ、オススメしたい。映画の公式ページはこちら。(中村奈津子)

-原作-
尾崎翠『歩行』『地下室アントンの一夜』『こほろぎ嬢』
-キャスト-
石井あす香 鳥居しのぶ 吉行和子
大方斐紗子 片桐夕子 平岡典子
外波山文明 宝井誠明 野依康生
イアン・ムーア デルチャ・M・ガブリエラ
リカヤ・スプナー ジョナサン・ヘッド
-製作-
株式会社旦々舎
企画:鈴木佐知子 脚本:山崎邦紀
撮影:小山田勝治 照明:津田道典
美術:塩田仁 デザイン:奥津徹夫
音楽:吉岡しげ美 編集:金子尚樹
助監督:酒井長生 制作:横江宏樹
ヘアメイク:馬場明子
ポスターデザイン:横山味地子
ポスター写真:池田正晰 題字:住川英明
-後援-
鳥取県 倉吉市 岩美町 若桜町 米子市 鳥取市
-助成-
鳥取県支援事業
現在、浜野佐知監督は新作映画『雪子さんの足音』の制作に取りかかっています!(WANでの紹介記事はこちら)。この作品へのご支援も、引き続きよろしくお願いいたします。
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