女は二度決断する [DVD]

Happinet

カティヤ(ダイアン・クルーガー)は、トルコ系移民の夫ヌーリ(ヌーマン・アチャル)と6歳の息子ロッコと共に、ドイツ・ハンブルクに住んでいた。ヌーリには前科があるものの、いまはトルコ人街でコンサルタント会社を経営し、3人は平穏に暮らしていた。ところがある日、カティヤの留守中にヌーリの事務所の前で爆発事故が起こり、彼とロッコがその犠牲になってしまう。

警察は当初、外国人同士の抗争による事件を疑ってかかった。しかしその後、在住外国人をねらった、人種差別主義のドイツ人によるテロだったことが明らかになる。容疑者として拘束されたのは、ネオナチの若い夫婦だった。容疑者の逮捕によって裁判がはじまるが、ヌーリが移民であることや、麻薬の売買をしていた前科などが審理の場にもちだされ、事態はカティヤが望むようにすすまない。家族の理不尽な死によって悲しみの底に落とされ、捜査や裁判でくりかえされる差別的な言動にも苦悶するカティヤは、やがてくだされた判決をまえに、ある決断をした――。

この物語は、ドイツで2000年~2007年の間にじっさいに起きた連続テロ殺人事件をもとに描かれている。事件の犯人は、「NSU(国家社会主義地下組織 National Socialist Underground/ドイツ語でNational-sozialistischer Undergrund)」という極右グループだった。外国人を排斥する目的で殺人や爆弾テロ、強盗などの凶悪な犯罪がくりかえされ、ネオナチによる連続テロとしては第二次世界大戦後最悪の事件と言われている。

グループが逮捕されたのは2011年。彼らが11年間ものあいだ捕まらなかったのは、「警察が「トルコ人の犯罪組織内の抗争か、麻薬売買をめぐるトラブル、あるいはトルコ人とクルド人の抗争」と思い込んで捜査を行った」からだという(注1:下記)。捜査員たちの失態を招いたのは、自分と異なるカテゴリーに属する人たちへの偏見と差別である。

本作で脚本と監督、プロデュースを担当したファティ・アキン監督はハンブルク生まれ。トルコ移民の両親をもつ。彼の、終わりの見えない人種差別やさまざまな偏見(移民、被害者遺族、女性といった、力を削がれた人たちへの偏見)への批判的なまなざしが、いたるところに感じられて強く共感をおぼえる作品だ。主演のカティヤを演じたダイアン・クルーガーもドイツ生まれ。母国語であるドイツ語での演技を今回初めて披露した。第70回カンヌ国際映画祭主演女優賞を獲得した、彼女の渾身の演技からも目が離せない。

テロのニュースは、日々、世界のあちこちであとを絶たない。日本にいると日常の中にテロの不安はほとんどないが、その恐怖も痛みも、想像することは難くない。自分の愛する人がとうてい納得のできない理不尽な死を迎えたときに、残された自分はどう生きることを/生きないことを選択するだろうか。カティヤ自身の、喪失をうめる2度の決断はきっと、その問いを見る人に突きつけることになるだろう。さらに、日本にも存在する偏見や差別、あるいは極端な思想。それらが力をもって社会的な排除や暴力とたやすく結びつこうとするのを、決して見逃すことはできないと改めて思わされる。

本作の音楽は、アメリカのロックバンド、クイーンズ・オブ・ザ・ストーン・エイジ(QOTSA)のリードヴォーカル、ジョシュ・オムが担当した。QOTSAの曲を聞きながら脚本を書いたアキン監督が楽曲の使用許可願いを送ったところ、オムが全編の選曲を引き受けてくれたのだという。事件-裁判-犯人の追跡、とサスペンス要素の多い作品のため硬質で熱量の高い曲が多いが、エンドロールに流れるのはリッキ・リーの「I know places」。絶望から生まれたカティヤの祈りに寄り添い、彼女の選択に静かに共鳴するその歌に、わたしは胸が締め付けられそうになった。公式ウエブサイトはこちら。(中村奈津子)

注1)映画パンフレットP.18-19、熊谷徹さんによるエッセイ「ドイツ社会の深い闇・NSUによる連続テロ事件」より引用