今年も恒例の読書アンケートの季節が来ました。みすず書房のPR誌『みすず』の今月号は「読書アンケート特集」です。そこに寄稿した上野の原稿を、編集部のお許しを得て転載します。アンケート回答者は計140名、多分野にわたって、読み応えがあります。
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Q 2018年中にお読みになった書物のうち、とくに興味を感じられたものを、5点以内で挙げていただきますよう、おねがいいたしました。(編集部)
上野千鶴子(社会学)
⑴吉田裕『日本軍兵士 アジア・太平洋戦争の現実』中公新書、2017年
昨年の読書アンケートに中村江里『戦争とトラウマ---不可視化された日本兵の戦争神経症』(吉川弘文館、2017年)を挙げたが、その師匠にあたる歴史学者による労作。310万人の戦死者のうち、9割が1944年以降の死亡、餓死と病死の割合が異常に高く、海没死、自死など「戦死」と呼べない無惨な死に方を、これでもかとデータを元に示す。戦争末期にいたって兵士の体格・体力は低下し、装備は不足し、糧食は途絶え、原材料の劣化によって軍靴はすぐに破れるようになった.....と。呉秀三に倣って「兵士になりたるの不幸の他に、この邦で兵士になりたるの不幸を重ぬる」と言いたくなる。
⑵ゼンケ・ナイツェル/ハラルト・ヴェルツァー『兵士というもの ドイツ兵盗聴記録に見る戦争の心理』みすず書房、2018年
第2次世界大戦中にイギリス軍の捕虜となった数千人に及ぶドイツ軍兵士の盗聴記録をもとに、歴史学者と社会心理学者とが兵士の心理と行動を分析したもの。イギリス軍は盗聴記録を蝋菅蓄音機で録音し、一部を文字起こしして文書記録にした。記録は1996年に公開され、著者がその資料に遭遇したのは2001年のロンドンで。史料は5万ページに上った。人種・国籍・理念・イデオロギーを問わず、平時には「ふつうの男」たちが、非常時にはかんたんに「殺人機械」に変身するという。最初は殺害にショックを受けていた兵士も、「数日程度」で暴力に慣れる。翻訳者の小野寺拓也は、同じく米軍捕虜となったドイツ軍兵士の盗聴記録を元にしたレーマーの『戦友たち』(未邦訳)と比較して、後者には個人の対応に多様性があるという。前者は主として空軍と海軍の将校、後者は陸軍の下級兵士という違いが、その差を生むのだろうか?デーブ・グロスマンの『戦争における「人殺し」の心理学』(安原和見訳、ちくま学芸文庫、2004年)によれば、第二次世界大戦で敵兵に向けて水平に発砲する兵士は半分以下だったという。戦争神経症になる兵士もいる。誰が軍隊文化に適応し、誰が適応しないのか、その差は何なのかが、知りたい。
⑶上野千鶴子・蘭信三・平井和子編『戦争と性暴力の比較史へ向けて』岩波書店、2018年
自分が関わった書物を挙げるのは気がひけるが、社会学者、歴史家、オーラル・ヒストリアンの執筆陣12人を束ねた本書は、その粒ぞろいの研究のレベルの髙さでも、論文相互の連携の妙でも、この分野の必読書として読まれてほしいし、読まれる値打ちがあると思う。平井和子による「慰安所に行った兵士、行かなかった兵士」の分析、茶園敏美によるパンパンの生存戦略の比較、猪股祐介による満洲引揚げ女性の性接待の背後にあるホモソーシャルな共同性の指摘、樋口恵子による引揚げ港後背地での不法中絶の実施と戦後優生保護法への影響など、挑戦的で緻密な論文が並ぶ。戦時下性暴力は、統制できない兵士の偶発的な暴行などではなく、組織的な戦争兵器の一種だと見なされるようになったことは、昨年度のノーベル平和賞でも明らかになった。戦時下性暴力の研究はアジア発であるだけでなく、アジア圏の研究が国際水準を抜いている。すでに韓国語訳のオファーがあるが、英訳されてほしい。
⑷柳原恵『<化外>のフェミニズム---岩手・麗ら舎読書会の”おなご”たち』ドメス出版、2018年
若い女性史研究者によるオーラル・ヒストリーにもとづく成果。「王化」の外である「化外」の地、東北で、しかも牛馬におとる扱いを受けた「おなご」として蔑視されながら、表現することで自己解放をめざした草の根のフェミニストを、その孫世代にあたる30代の著者が論じた学位論文が、今年度の女性史学賞を受賞した。フェミニズムは中央にだけあったわけではない。しかも中央と地方の影響関係を周到に論じて、出色。中村江里と並んで、祖父母の世代の経験に迫ろうとする若い世代の研究者が登場した。
⑸斎藤美奈子『日本の同時代小説』岩波新書、2018年
最後にこれを。新書といいながら、新書を超える密度に圧倒される。純文学のみならず、大衆文学、SF、推理小説、ラノベ、携帯小説まで、ジャンルを超えた同時代文学史を書けるのは、このひとをおいてない。読みも読んだり、書きも書いたり。文中に登場する作品の巻末文献リストに挙げられた作家名は349人。作品となるとその数倍はあるだろう。新書にするにはもったいない質と量だが、これを新書でさっくり書いてしまう才気も、このひとならでは。
(『みすず』No.678、201年2/3月号「読書アンケート特集」所収)
関連リンク
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2019.02.06 Wed
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