わたしは、親から押しつけられた服を着なくなってから、ミニ・スカートを身につけたことがありません。ハイヒールは、生まれてから一度もはいたことがありません。だから、どれほど窮屈で動きにくいかは想像だけしかできません。履きなれた人なら違うのかな、とは思うことはありますが、見るからに、使ったことのない筋肉がいりそうだし不安定そうだし、それ以前に、わたしが着る服に似合いそうにもないので、遠ざけてきました。もっと正確にいえば、履こうと思ったことがありません。
そんなわたしですが、今回WAN10周年記念シンポジウムに相応しい絵を探していて、ポスターに使用させていただいた絵には、震えるほど共鳴したのです。
わたしは、このポスターが表している両義性(ハイヒール履きながらも、蹴りを入れたい、ミニスカ履いているけど、それを下から覗こうとする者に怒っている)や、あるいは、自己矛盾――どうしてわたしは、ハイヒール履かなきゃいけないんだよ、ミニスカって誰が喜んでいるんだよ――が、今の女性が置かれた立場をよく表していると思ったからです。
わたしにも、事後的に、あるいは遂行的にも気づいているジェンダー規範が刷り込まれています。たとえば、自分の話し言葉が文字おこしされると、いかに自分が女言葉で話しているかに、恥ずかしくなります。どれほど意識しても、わたしの話し言葉は、遂行的にジェンダー規範を強化するような話し方から自由になりません。その他にも、女性として育ってきてしまったがゆえに、わたしは、数え切れない縛りから自由でありません。そして、そんな不自由な自分の身のこなしや言葉づかいは、自分にとっての自然でもあるので、「少しは」愛おしくも思っています。
わたしは多くの女性がそうしたことに気づきながらも、この社会で生きていくために、自分自身に抗いながら、苦しみながら、怒りながら、身につけさせられた規範と闘いながらも、女性として生きているのだと思っています。わたしはこの絵に、そうした葛藤と強さを感じています。
この絵にいろいろな方が、違った仕方で触発されるはずだと思い、主催者の一人としてわたしは、10周年記念シンポジウムに相応しいと、この絵を選びました。様々な意見を伺いながら思い出した、学生時代に、勇気をもらい、また、ジェンダー規範や異性愛中心主義から自由になりきれない自分でもなにかできるかもと前向きにさせてくれた、『ジェンダー・トラブル』のなかのバトラーの言葉をここに引用しておきます。
「セクシュアリティが文化の構築物だということに根本的に異議が唱えられないのであれば、残った課題は、ひとがつねにそのなかにおかれている構築を、どのようにわたしたちが認め、またどのようにその構築を「おこなう」かという問題である。法の単なる模倣や再生産、そしてそれゆえの法の強化(フェミニズムの語彙から放逐されるべき「オスへの同一化」という時代錯誤的な概念)にならないような反復の形式はあるのだろうか」。
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