――「女性史のつどい」想い出すままに                            
 今、私の手元に「女性史のつどい」の「資料集・報告集」が、第3回から第12回までそろって残っている。1回と2回は参加していなかったため、残念ながら持っていない。第1回の開催は新聞の記事で知った。その小さな記事は、私の目にパッと留ったが、名古屋まで出かけていくことができず残念だった。その記事の切り抜きは大事にとっておいたのだったが、今は書類のどこかに紛れて見当たらない。第2回は北海道・旭川だった。その日程は、娘が大学に入ったお祝いに二人で海外旅行に行くことになっていた日と重なってしまい行けなかった。参加した人から聞くと、ちょうど台風がきて飛行機も飛ばず大変だったそうである。

第3回全国女性史研究交流のつどい  
 そして第3回は1983年神奈川・江の島で、できたばかりの「神奈川県立婦人総合センター」で開催された。実行委員は東京・神奈川を中心に関東から集まり私もそのひとりで、実行委員長は米田佐代子さんだった。夏の暑い日射しの中を、江の島への長い橋を大勢の女性たちが続々と渡ってくる光景が忘れられない。私は「地域での学習と女性史」という分科会で司会を担当したが、アメリカから来たノールティ・シェーロンという方が「日本にはこんなにたくさんの女性史研究者がいるの?」とびっくりしていた。私は「専門研究者は少しで、大部分は他の仕事をしていたり、地域で活動していたり、主婦だったりする人たちです」と答えた。あれから30数年、この状況はどれだけ変わっただろうか。この大会に寄せてくださった遠山茂樹さんのメッセージには、「非専門家の『生活者的研究者』が、今日の生活者としてもつ、みずみずしい眼ととらわれない視野をもって研究に参加することの有効さ・・・歴史学は・・・万人に開かれた学問」と書かれている。参加者は6日489名、7日524名と記録にある。このつどいの「報告集」の編集に加わったことも、いろいろな意味で勉強になった。

第4回から第6回までの女性史のつどい  
 第4回1986年愛媛県松山でのつどいは、ある意味で画期的だったといえる。「ここに生き住み働き学びたたかい、ここを変える女性史をめざして」をテーマに行われ、地域に根ざした女性史が掲げられ、全体会では戦争責任をめぐって白熱した議論も展開された。
 第4回と第5回の間に、「地域女性史交流研究集会」が開催されている。1989年、東京・足立で開かれ、12回のつどいにはカウントされていないが、「地域女性史」という言葉が定着していく集会だったのではないだろうか。私は「地域女性史から見えてくるものは何か」というシンポジウムに、発言者として参加させてもらった。参加者450名。
 第5回は1992年沖縄・那覇で、「沖縄から未来を開く女性史を!」がテーマだった。圧巻は「沖縄の慰安所マップ」の発表で、シンポでは、そのころ女性政策の一環として行われていた地域女性史の編纂をめぐって議論が沸騰した。参加者5日450名、6日433名。
 第6回は1994年山形だったが、山形にはつどいの中心となる女性史研究会がなく、沖縄のつどいに参加した一人の熱意が県や市を動かして、つどいが開かれた。市の女性教育長が実行委員長に就任、従来のつどいとは趣の違った会となった。女性史の分科会は一つで、そこに大勢が集まり、行政と地域女性史研究との関係に議論が終始した感があった。参加者は延べで800名。

第7回全国女性史研究交流のつどい ㏌ かながわ  
 第7回は1998年、神奈川が主催して第1回と同じ江の島の女性センターで行われた。私は東京の住民だが、川崎市の女性史を編纂したかかわりがあって実行委員として参加した。分科会「地域女性史を考える」には130人もの参加者があった。当時は国際女性年による女性政策が課題となっており、その一つとして自治体が計画する地域女性史の編纂が盛んにおこなわれており、関心が高かった。シンポジウムには上野千鶴子さん、安丸良夫さんを迎えて行われたが、私は加納実紀代さんとコーディネーターとして参加した。加納さんが亡くなった今は懐かしい思い出である。参加者は延べ1200名。

第8回から第10回までの女性史のつどい  
 第8回は2001年、『岐阜県女性史』を刊行したのをきっかけに発足した「ぎふ女性史研究会」が主催して行われた。パネルディスカッションのタイトルが「自治体女性史を考える」となっており、「自治体女性史とは何か」について議論が交わされた。伊藤康子さん主催の「地域女性史研究会の今を語ろう」では、地域女性史研究会は90年代以降の設立は少なく、すでに「会員の高齢化、減少」などが始まっていることが示されている。
 第9回は2003年新潟で、基調講演、7分科会、シンポジウムに加えて展示や情報交流、「話したい聞きタイム」などもあり充実したつどいであった。シンポ「沈黙の歴史を開くー地域女性史の残された課題」に私もシンポジストとして参加した。参加者381名。
 第10回は2005年奈良だった。基調提言が「戦争と差別のない未来へー奈良からの提言」となっているように、差別の問題が大きく取り上げられたつどいで、分科会の一つも「複合差別」だった。スタディツアーで水平社博物館を見学したことが、鮮明に記憶に残っている。 参加者346名。

第11回全国女性史研究交流のつどい in 東京  
 第11回のつどいは2010年9月に東京で開催された。2年前から始まった実行委員会には、山形のつどいのあと、「東京にはいくつもの女性史研究会があるのに横のつながりがない」という声が出て95年に結成された「女性史研究東京連絡会」のメンバーが多かった。
 会場を借りるために行った国立オリンピック記念青少年総合センターでは、受付で私たちをジロジロみて「ここは青少年センターですが、あなたたちの中に30歳以下の人はどのくらいいますか」と意地悪い質問をされた。そこで私たちは改めて特別申請書を出してようやく借りることができたのだった。「つどい」までの実行委員会の日々は、忙しいが楽しく過ぎたように思われる。当日は9月初旬にしては猛暑で、小田急線参宮橋からの道筋に案内に立ってくれた人が熱中症にならないか心配したほどだった。記念講演の澤地久枝さんは、時間より遅れて悠然とあらわれ、私たちをハラハラさせた。分科会は11と多岐にわたり、その中には念願だった前近代「江戸に生きる」を設けることができた。昼休みには佐藤真子さんの独唱「女性史をうたう」があり、協力団体の「市川房枝記念会」によるパネル展示「女性の政治参画」も行われた。参加者399名(ほかに保育スタッフなども)。  
 「経過報告」を見ると、2008年8月に始まり2011年1月末の『報告集』発送まで約二年半の月日であったが、特別な事故などもなく皆さんの協力のもと無事に実行委員長として責務を全うできたことを感謝している。

第12回のつどいとその後  
 第12回のつどいは2015年10月、岩手で行われた。2011年3月11日の東日本大震災による被災を乗り越えての開催だった。会場は遠野・大槌・宮古と貸し切りバスで移動しながら、被災と復興の様子や岩手の女性たちの生きざまを知ることができた。参加者のべ287名。
 岩手のつどいから5年が経過したが、現在どこからも次のつどいの声は上がっていない。 よく知られているように、このつどいは全国組織があって年次総会のような形で開かれる会ではない。自主的に名乗りを上げて実行委員会を組織し、会場を確保して資金を集めて行われる大会である。1977年から2015年まで38年間、よくぞ続いてきたと思うが、これからはどうだろうか。女性史のつどいはその役割を終えたのだろうか。いずれにしても12回のつどいのうち3回も実行委員として参加できたことは、私にとって大きな「財産」ともいえるかもしれない。  

 最後に蛇足だが、前述した「女性史研究東京連絡会」と「地域女性史研究会」について触れておきたい。  
 女性史研究東京連絡会は、1995年に準備会を行い、同年12月に豊島で第1回例会を行ってから2012年練馬での第12回の例会まで行われた。参加団体は東京とその近県で、多い時には30団体くらいで、例会参加者は100人を超えることもあった。その後2014年に全国組織として地域女性史研究会が結成されたことで、東京連絡会は役割を終えたとして2017年に解散した。
 地域女性史研究会は2014年3月、全国組織として発足した。設立集会の記念講演は永原和子さんの「地域に根ざし 地域を超える」で、以後、会のスローガンは「ここに生き ここを超える」となって、今日まで各地で例会を開き、会報・会誌を発刊するなど活動を続けている。

★折井 美耶子(おりい みやこ) 女性史研究者  主著『資料 性と愛をめぐる論争』(ドメス出版 1991)、 「地域女性史入門』(ドメス出版 2001)、『近現代の女性史を考える』(ドメス出版 2015)

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