「つどい」報告集のミニコミ図書館収蔵
ひょんなことからミニコミ図書館の活動に参加、このたび1977年から2015年までの38年間に12回開かれた「全国女性史研究交流のつどい」の報告集をデジタル化して収蔵することができました。この「つどい」は統一した組織も決まりもなく、「つどい」終わってから次の開催地を決めるのに苦労しながら東京、神奈川、松山、沖縄、山形、岐阜、新潟、奈良、岩手と各地で開かれ12回続いたものです。テーマもそのたびに実行委員会が自由に決め、地域の歴史を反映した多彩な提案に満ちていました。
この独自なスタイルは、収蔵に当たっての大きな難問でした。12回すべての報告集を収集、それぞれの実行委員会関係者を探し出して収蔵の許諾をいただき、執筆者の了解を得てデジタルアップするというのは「雲をつかむような」作業だったからです。でも、当時の関係者が協力して元実行委員会のメンバーに連絡を取り、いくつかのハードルをクリヤして収蔵にこぎつけることができました。協力してくださった「つどい」の関係者とミニコミ図書館に感謝申し上げる次第です。
しかもこれを記念して「つどい」の報告集を読むブックトークも、コロナ禍のもとですが「ミニコミに学ぶ」シリーズとしては、初めてオンライン開催することになりました。すでに申し込みが始まっています。ぜひお申込みいただきたいと思います。
なぜカッコつきの「フェミニズム」?
ブックトークのタイトルは<地域に生きた女性たちの「フェミニズム」>です。なぜ「フェミニズム」にカッコがつくの?と思われる方もあるかもしれません。じつは、12回の報告集にはフェミズムとかリブということばがほとんど出てこないのです。「つどい」が始まった1970年代から80年代にかけて、女性史は「解放史」か「底辺史」かをめぐる論争があり、一方マスコミではリブは「男=敵論」といった言説が横行するなかで、女性史はフェミニズムやリブに不信感を抱いていたのではないか、という意見もありました。「フェミニズムはブルジョア思想」などという意見も出る時代でした。第6回の山形で上野千鶴子さんは「女性史と女性学の不幸な関係」と表現しています。
今回わたしたちは「つどい」報告集を読み直すことによって、ここで語られた女性史をフェミニズムの視点から再発見したいと思っています。それはもしかするとフェミニズムについての再定義になるかもしれません。「つどい」はいわゆる近現代の地域女性史だけではなく、前近代女性史やクララツェトキンなどの外国女性史など広い研究分野からの報告もたくさんありますが、「地域」という視座から女性史をとらえようという姿勢が大きな特徴でした。だからこそ各地で地域を単位とする女性史研究会やサークル、女性団体などが実行委員会の中心になったのです。
「つどい」が拓いてきた「地域女性史」
「つどい」は全国各地の女性史研究会やサークル・個人が「こんどはうちで」と手を挙げるところから始まりました。第6回の山形のように地域には女性研究のグループはなかったけれど、第5回の沖縄のつどいに参加して感動し、地域の女性団体に働きかけ、行政からも協力を得て、成功させたところもあります。実行委員の多くは大学などの研究機関に属さない、「在野」と呼ばれた人びとでした。何もかも手弁当で取り組んだのです。参加者も多様で、戦後『あたらしい憲法のはなし』を学んだ実行委員が、明治生まれで戦争を体験した母、雇用均等法世代の娘とともに親子三代で参加した例もあります。
戦前の「地域」は「地方」とよばれ、国家支配の末端を担うという位置づけでした。選挙権もなく、無権利な女性にとって「地方」は、「家」を単位とする支配機構の中でさらに「妻・嫁」として差別される場所だったのです。多くの女性が自立を求め、「家出」というかたちで「家」と「地域」から離脱=「家出」しました。戦後日本国憲法に「地方自治の本旨」が明記され、女性の権利保障とともに「地方」は「自治体」になったのです。しかし、その「地域」は女たちにとって解放された空間ではありませんでした。国際婦人年の時、岩手県の農村に住む一条ふみさんが「(国際婦人年といっても)遠くで鳴っている鐘のようなもの」と発言したことがありますが、それは戦後地域で暮らす多くの女たちの実感でした。
しかしその一条さんが生活記録文集『むぎ』を発行し続け、都会(中央)ではない農村(地域)の女性の声を記録したことには大きな意味がありました。「つどい」が生まれた背景には、こうした無数の地域の女性たちのありようを問う動きがあったのです。第1回を主宰した伊藤康子さんは女性があらゆる面で暮らしにくく生きにくい現実を直視し、「(婦人が)自分の主人になり、地域の主人公になってゆく」ことが問われていると発言しています。「女性の自立と生活者として生きることの両立」(第2回)という問題提起もありました。女性が地域に根を下ろし、地域を変えて行く主体になろうという方向は、第4回の松山で「ここに住み 働き 学び たたかい ここを変える女性史をめざして」と定式化され、その後の地域女性史を支える合言葉になりました。
「女性史は平和を求める」という提起
1986年の松山では「徹夜の大論争」が語り草になっています。「戦争と平和」の分科会で、戦時下の女たちがなぜ戦争に反対できなかったのか、「女も戦争を担った」という重いテーマが問われたあと、夜の懇親会場は期せずして戦争体験を持つ世代と戦後世代との忌憚のない議論の場となりました。そのとき戦時中女学生だった方が「自分たちも戦争協力者だったと言われれば一言もない。しかしあの時10代の少女がどうやって戦争の真実を見抜き、反対することができただろうか。どうすればよかったのだろう」と号泣されたことを記憶しています。その方は戦後教師になり愛媛県でもっとも過酷であったと言われる「勤務評定」問題に対し「勤評は教師を沈黙させ戦争への道につながると」反対の意思表示をし続けた方です。
「女性の戦争責任」は、日本の近現代女性史の中で加納実紀代さんたち「女たちの現在を問う会」の『銃後史ノート』が示すように大きな課題ですが、「あの時は仕方がなかった」ではなく、戦争を許してしまった責任を痛覚として抱きながら「いまを生きる」女性史の創造とは何かを問う一夜でした。「女性は平和的だから平和を求める」といった性役割型ではなく、女性が差別され自ら考える力を持てなくなった時、戦争は「国民的同意」の下に始まることを「いま」の問題として見据えなくてはならないという提起だったといえます。
「複合差別」の視点から「フェミニズム」といわない「フェミニズム」の発見へ
松山の平和分科会での広島の被爆者問題の報告では朝鮮人被爆者の問題がいわば「二重差別」として提起されましたが、続く1992年の沖縄でも沖縄が本土から差別され、軍隊は沖縄県民を守らなかったこと、「慰安所マップ」に示されるように「学校」や「公民館」「病院」まで慰安所に接収され、子どもたちの目前で兵士が列をなしたという「本土」ではありえない光景が提示され、女性差別に加えて民族差別、貧困による差別、部落差別などさまざまな差別が重なり合って現れる「複合差別」という提起が2001年の新潟から登場します。それは2005年の奈良、2010年の東京でも取り上げられました。
「地域」は、このように女性にとって矛盾に満ちた場であるとともに、そこに住み、働き、生活を営み、そこでたたかう拠点でもあるのです。2015年に岩手県で開催された第12回の「つどい」は、生活の場である地域が東日本大震災で破壊されたとき、女たちはどう生き抜き、どう生活を立て直していったかとういう視点から女性史と地域についてのリアルなとらえ方を提示しました。
ここで、オーラルヒストリーを手がけてきた大門正克さんの講演は、岩手の地で「家」と葛藤しつつ、自己を模索し続けた小原麗子さんを紹介して、彼女が「おなご」(https://wan.or.jp/dwan/dantai/detail/47)ということばで表現しようとしたものは「フェミニズムという言葉を使わないにしても、地域のなかに女性の問題、 さらに 男性の問題を含め考えていこうとする」姿勢のあらわれではなかったか、とまとめています。この指摘は、小原麗子さんの活動と書いたものを中心に『化外のフェミニズム』という本にまとめた柳原恵さんによって定式化されています。いわば「フェミニズム」の再定義と言ってもいいかもしれません。
そして、これこそが、今回のブックトークのタイトルの意味でもあると思います。地域女性史の多くは小原さんと同じように「フェミニズム」という言葉をつかわないけれど「フェミニズム」を問い、実践してきたのではないか。その足どりをたどることによって、「女性が輝く社会」などと言われながら今も昔と同じように生きにくく暮らしにくい生活を負わされている女性たちが、そこで時代に流されるのではなく立ち止まり、「わたしはわたし」としてものを言おうという精神を、12冊の「つどい」報告集から読み取っていただければ、幸いです。
(よねださよこ 女性史研究家 「らいてうの家」館長)
■関連エッセイはこちらから
連続エッセイ「全国女性史研究交流のつどい」報告集全12回収録に寄せて① 初の全国的女性史集会誕生 ― 伊藤康子(愛知女性史研究会)
https://wan.or.jp/article/show/9065
連続エッセイ「全国女性史研究交流のつどい」報告集全12回収録に寄せて② 初の全国的女性史集会誕生 ー折井美耶子(地域女性史研究会)
https://wan.or.jp/article/show/9104#
■<シリーズ「全国女性史研究交流のつどい」報告集を読む>はこちらから
<シリーズ「全国女性史研究交流のつどい」報告集を読む①>第1回報告集・名古屋――女性史の明日をめざして ◆江刺昭子
https://wan.or.jp/article/show/9288
<シリーズ「全国女性史研究交流のつどい」報告集を読む②>第11回報告集・東京――「中央としての東京ではなく、地域としての東京」につどう ◆植田朱美
https://wan.or.jp/article/show/9291
<シリーズ「全国女性史研究交流のつどい」報告集を読む③>第4回報告集・愛媛――今を問う! 地域に住む女たちの「ここを変える」精神の新しさ ◆長谷川 啓
https://wan.or.jp/article/show/9318