2011.05.04 Wed
アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください. リレー・エッセイで矢野さんが書かれているように、日本社会は「第一級の政治問題」(アーレント)でもある地球と世界と命にかかわる事柄を、公的な議論から巧妙に抹消してきた社会」である。
本書は、2005年安倍政権当時に浮上した、憲法第九条に縛られ集団的自衛権を行使できない日本は、「禁治産者」にも等しい国家である、との議論に対する反駁に始まり、日本における集団的自衛権を巡る議論の変遷を丁寧に論じている。さて、では今なぜ、本書をイチオシしたいのか、である。
理由の一つは、安倍元首相の論法に対するメディアへの批判にある。国際法上各国に認められている集団的自衛権を日本が行使できないのは、安倍によれば、「財産に権利があるが、自分の自由にならない、というかつての”禁治産者”の規定に似ている」。しかし、こうした「俗論」に対して、憲法調査会における国際法の専門家たちは、法律学の常識を丁寧に説明しながら、この論理のおかしさを一蹴している。しかし、メディアはこの「俗論」を、法律学の常識に当たることなく流し続けたのである(p. 10- 16)。
第二の理由は、9.11テロ以降、「備えあれば憂いなし」(小泉元首相)というこれまたもっともらしいスローガンの下に、「武力攻撃事態法」を通してしまったことと、そのスローガンの下、日本のむき出しの危険について、矢野さんのいうように、「公的な議論から巧妙に抹消」されてきたことを鋭くついているからである。その危険とは、日本の「原発」である。ここは、豊下さんの言葉を紹介しておきたい。「最悪のシナリオを防げるのか」との小見出しの下に、豊下さんは次のように問題提起をしている。
仮に、報復攻撃を無意味とし、自らが壊滅することを覚悟して、北朝鮮が保持するノドンのすべてをもって攻撃してくる場合を想定するならば、日本海沿いの原子力発電所が最大のターゲットとして狙われることになるであろう。日本の原発は、震度八の地震にも耐えうる設計と言われているが、二〇〇六年度の資源エネルギー庁の「原子力広報ページ」によれば、「原子力発電所に対するミサイルなどの兵器による攻撃についての設計基準は設けられておりません」とのことである。さらに同年末の経済産業省の「有事における原子力施設防衛対策懇談会報告書」によれば、「弾道ミサイルに有効に対処し得るシステムは未整備」と明記されている。つまり、完全な無防備状態なのであり、ノドンが直撃した場合の惨禍は想像を絶するものだろう。ところが実に奇妙なことに、すでに配備が完了したと言われる沖縄の嘉手納基地と埼玉県の入間基地を含め、PAC-3の配備計画によれば、霞ヶ浦、習志野、武山など米軍や自衛隊の基地が対象であって、原発周辺への配備は全く計画されていないのである(p. 128)。
この「奇妙」さが、この国に充満してきた「安全神話」の核心の、一つをしっかりと突いている。(moomin)