こころ
相談10 末期の父を叱ってしまった怒りと悔いから解き放たれたい
2011.03.07 Mon
相談8「病の友の力になりたい、でも向き合うのが怖いのです」を読んで身につまされました。私の場合は友人ではなく父親です。父はガンで亡くなりましたが、自分の病気に対して一切を家族任せ。ガンと言われていてもそうとは受け止めず、医師の説明も「聞いておいて」と家族に委ねる始末です。そのために長い入院生活も回復の希望をもって、ボケることもなく過ごせたという一面もあるのかもしれません。
しかし、いよいよ死期が近づいた時、何も知りたくないのまま逝くのであろうと思っていた父の口から出たのが、「もう死ぬのか?」。子どもたちが順に病院で寝泊まりして父についていたのですが、ちょうど私の番の時でした。予想だにもしない父のことばに私はうろたえ、こともあろうか父を叱りとばしてしまったのです。自分自身の反応に驚き収集がつかなくなってしまった私は、「なんでそんなに怒る」という父に「私は、翌日は朝から仕事があるんだから」、とあれこれ注文の多い父に怒りを募らせたように反駁していました。このことは10年以上たった今も私の心にトゲのように刺さっており、時にやるせなく、時に怒りとして蘇ってきます。
自分で知ろうとしなかった人が、なぜ、よりにもよって私に尋ねたのか。それが感情役割を担わされてきたことへの怒りであったことがよく分かりました。これで心の半分の荷は下ろせました。ただ、やはり、父に対してもう少しましな言い方があったであろうと思います。それを教えて下さい。それが分かれば、父への文句をきちっと言って、「でもこう言ってあげればよかったね」と父への詫びも果たせ、もう半分の荷も下ろせるような気がします。(57才 女性)
回答
相談10 回答
あなたのおっしゃることがよくわかっているかどうか、誤解していたら、ごめんなさいね。「もう死ぬのか?」と臨終の床であなたに聞かれた父上に、立腹されたのは、病気のことは何も聞こうとせず、他人まかせで、その上これまで注文の多かった彼に、勝手だ、自分の死期など問うな、知りたければ自分で聞きなさい、と思われた?
換言すれば、それまで病状を聞き、でもそれは父上には言わず、時には一人で持ちこたえてきた(それこそ大変でしたね)というあなたの側の事情を知らず、最後の結果を聞くのは勝手だと?
ただ推察すれば、病気以前の彼とあなたとの関係自体にいろいろおありになったようですね。ただそれは今は置いていいですか?
本当にこれは推測にすぎませんが、父上はご自分の容態について結構ご存知だったように思います。告知せず、嘘を通した後、どうも当事者はわかっていたみたい、という話、よく聞きますよね。いくら現実から目を逸らしても、容態のよしあしは、患者自身が知覚することを避けられません。
だから「もう死ぬのか」という問いは、問いというより確認であったかもしれません。彼は彼なりに覚悟をしていらしたのかも。そうだとすれば、余計に「叱り飛ばしたこと」が悔やまれる?
あなたにお読みいただいた時の回答に、哲学者の池田晶子さんの、誰も自分のこととして死を体験できないのだから死は存在しない、と私が書いたのをご記憶でしょうか。ならば死とは何か。池田さんの考えを今は検索できないのですが、彼女なら(私も)、それは生の終わりに過ぎない、と言いそうです。死として別様(大げさ)に考えるのは人間だけ。あなたの態度に関わりなく、父上は臨終時に、それなりに満足して人生を「終わり」にしたように私には思われます。
もしもどうしても気がすまなければ、こういうのはどうでしょう。心のなかに黒板を思い浮かべ、そのなかに父へのイヤだったことをできるだけ多く書き連ねます。それらをしげしげと眺め、その後さっと消します。それから口にだして、お父さん、ごめんなさい、とおっしゃってみて。
回答者プロフィール
河野貴代美
アメリカの大学院で心理臨床を学び、日米の精神病院やファミリーサービスセンターでカウンセラーとして勤務。1970年後半にアメリカからフェミニストセラピーという言葉とその実践を持ち込んだ日本で最初のフェミニストカウンセラー。1980年2月 東京に「フェミニストセラピー”なかま”」として初めての民間開業に踏み切り、その後、日本各地でフェミニストカウンセリングルームの開設を援助し、また女性センターの相談員の教育・研修等、フェミニストカウンセリングのパイオニアとして常に第一線で活躍。アフガンのカブール大学教育心理学部でトラウマの授業、メディアのために国際会議の取材等、国際的な活躍をしてきた。著書に『自立の女性学』『フェミニストカウンセリング①②』訳書に『女性と狂気』『バイセクシュアルという生き方』等多数。