こころ
相談31「男性の多い研究室で“女の子”扱いされることが苦痛です」
2013.02.28 Thu
現在、男性の人数が多い研究室に所属しています。
指導教官も男性なのですが、
研究室の飲み会ではいつも「女の子は先生の隣に」とか、
「女の子がお酒をついでくれたほうが嬉しい」などといわれるため、
そのようにしています。
また、同じ研究室に同学年の男性の友人(Tくん)がいるのですが、
二人で話しているだけで「イチャついている」、「KさんはTくんに甘えているね」、
「二人の世界で感じが悪い」などと男性の先輩が陰で話しているそうです。
私も彼もほかの院生とも話していますし、
同性同士で話し続けている人は何もいわれません。
これらのことから、一人の大学院の後輩としてみられているのではなく、
ただの「女の子」としてしか見られていないということ、
そして彼らの指す「女の子」という言葉には
「身の回りの世話をしてくれるのが当たり前」という印象を受けています
(飲み会のときなど、男性が動かなくもなにもいわれないのに、
女性が動かないと「気が利かない」といわれるなど)。
そして、異性の友人と話すだけで常にそのように干渉されるのが嫌でなりません。
それとなく、男性の先輩に気分が悪いということを伝えてみたのですが、
「日常の範囲で差別って騒ぐのは言い過ぎなのではないか」と言われました。
私が考えすぎなのでしょうか。
しかし、昨年ずっと耐えてきましたがもう限界です。
大学にセクシャルハラスメント相談などがあるですが、相談員が
各学部の教授たちですし、小さい研究室なので話が大ごとになって研究が
しにくい環境になるのが怖くて相談できません。
今後、先輩方とどのように接していけばよろしいでしょうか。
アドバイスをお願いします。
K(熊谷市、22歳、女性、大学院生)
回答
相談31回答
これだけセクハラ、アカハラ、パワハラの弊害が言われながら、
警告を全く目にとめない職場や男性がまだまだいるのですよね。
あるいは目にとめても、こんなことは軽い冗談としてしか思っていないのでしょう。
彼らは反論として絶えず「基準」はどこにあるのか、
ということを気にしまた求めます。
ここでちょっとセクハラの歴史に戻りましょう。
ずっと長い間、女性たちは、たとえば道路で卑猥な言葉をかけられ、
また電車で痴漢に合い、今回のお問い合わせのように職場で、
不必要なプライバシーにふれられたり、さんざん不快な目に合って来ました。
でも痴漢なら、スケスケを着ている女性が悪いと言われるとか、あるいは
そんなことぐらい冗談ととればいいじゃない、心が狭いと言われ、
絶えず女性自身を責め、責められててきました。
60年代後半女性解放運動が起きた時、運動はこのような
女性の不快感をセクシャル・ハラスメントだと定義しました。
定義されて、つまり言葉を与えられて、
これは女性の問題ではない、ということが明らかにされたのですね。
ここの核心は、「長いあいだ女性の感じてきた不快感」が主題であるということです。
換言すれば客観的な(公平であるべき)問題などではなくて、
唯一女性の不快という主観が問題なのだということなのですね。
この軸からぶれないでくださいね。
そこで、どうすればいいか、となれば、私はあなたの職場の現状を知りません。
既述の軸をシッカリもって、どうすればいいかをお考えください。
時期や場合をみて思い切って言うか、同僚の女性と話し合ってみるか、あるいは我慢してみるか。
我慢してみるとは随分消極的な方法ですが、
職場の事情やどうしても職を失いたくない場合もあるでしょう。
猪突猛進型の訴えはお進めできません。
私や仲間がやってきた自己主張のトレーニング(感情的にならず、シッカリ伝える)
というのがあるのですが、ここではそれを展開できません。
いろいろ本がありますから、検索してみてください。
回答者プロフィール
河野貴代美
アメリカの大学院で心理臨床を学び、日米の精神病院やファミリーサービスセンターでカウンセラーとして勤務。1970年後半にアメリカからフェミニストセラピーという言葉とその実践を持ち込んだ日本で最初のフェミニストカウンセラー。1980年2月 東京に「フェミニストセラピー”なかま”」として初めての民間開業に踏み切り、その後、日本各地でフェミニストカウンセリングルームの開設を援助し、また女性センターの相談員の教育・研修等、フェミニストカウンセリングのパイオニアとして常に第一線で活躍。アフガンのカブール大学教育心理学部でトラウマの授業、メディアのために国際会議の取材等、国際的な活躍をしてきた。著書に『自立の女性学』『フェミニストカウンセリング①②』訳書に『女性と狂気』『バイセクシュアルという生き方』等多数。