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  • フェミニストへの「くそリプ」パターン研究 ―コロナ禍における岡村隆史発言への抗議署名活動に賛同した 上野千鶴子によるツイートに対する「くそリプ」事例を手掛かりとして

    2021/05/02

    • リサーチ

    著者名:小林明日香

    1969年生まれ。成城大学経済学部卒業。写真家、英語通訳案内士。情報生産者になるためにWAN上野ゼミに参加、ボランティアとして活動中。

    フェミニストへの「くそリプ」パターン研究 ―コロナ禍における岡村隆史発言への抗議署名活動に賛同した 上野千鶴子によるツイートに対する「くそリプ」事例を手掛かりとして

    論文概要:

    本稿では2020年コロナ禍における岡村隆史発言への抗議署名活動を手掛かりに、フェミニストへの「くそリプ」パターンを明らかにする。本稿で「くそリプ」のパターンを研究する理由は、「くそリプ」の嫌がらせからフェミニストが身を守るのに役立つと考えるからである。上野千鶴子によるツイートへの「くそリプ」をうえの式質的分析法で分析した結果、フェミニストへのくそリプは、1. 悪態、2. 古証文暴き(昔の発言と今の発言の内容が違うと追及)、3. リンチするな、4. 風俗肯定、5. ~には~しないのかよ、6. 女だってやってるくせに、7. 的外れ、8. 意味不明、の8類型であった。フェミニストに「くそリプ」を発信しているアカウントはアンチフェミニストばかりでなく、人物像が推測できない、難癖と文句が多い、政治話題好き、などであることを発見できた。また反応が早いのは「リンチだ」「性風俗産業はサービス業」といった「身体を想起させるくそリプ」で、比較的に反応までに時間がかかるのは「多少の理屈が必要なくそリプ」という傾向が見られた。うえの式質的分析法のマトリックス分析により、「愛国」アカウントの「くそリプ」は提起している問題をすり替える「~には~しないのかよ」コードの割合が高く、「漫画・アニメ」「エロ・セクハラ的なイラスト」アカウントは、過去の上野の発言「母親の不倫OK」「不倫OK」に関係づけて「くそリプ」する傾向が高いことが確認された。「くそリプ」は社会生活に悪影響を及ぼしており、フェミニストはくそリプの「コード8類型」と「アカウントの傾向」を知っておくことで「くそリプ」に傷つく回数が減ると考える。本稿の成果を念頭におき、フェミニストたちは今後効果的な活動が期待できる。



    The Study of Patterns of “Bullshit” Replies on Twitter
    :A clue of “bullshit” replies on the Internet found against Chizuko Ueno who agreed with the signatures which protested against Takashi Okamura’s remarks during the COVID-19 period.

    This paper analyses the condescending replies (bullshit replies) on Twitter to Ueno Chizuko, who is one of the most famous feminists and sociologists in Japan. The aim of analysis of this paper is that knowing patterns of bullshit replies and contexts might protect feminists’ dignity from oppression and harassment on social media, then feminists would rise to more effective actions. Eight patterns of online bullshit replies to feminists on Twitter are inductively analyzed, and some tendencies which case intends to reply to the exact condescending comment’s code on Twitter, are found by using the Ueno method.  Eight patterns of online bullshit replies are as follows:
    1 Abusive attacks
    2 Criticizing inconsistencies
    3 Net lynching by feminists
    4 Justification of sex work
    5 Reorienting another enemy
    6 "You Too” blame
    7 Pointless reply
    8 Meaningless reply

    コメンテーター:林 香里(はやし かおり)

    この論文は、ツイッター上の、いわゆる「くそリプ」を類型化している。分析しているケースは、WAN理事長、上野千鶴子によるツイートへの「くそリプ」である。いや、正確には、2020年4月末にVoice Up Japanによる「女性軽視発言をした岡村隆史氏に対しNHK「チコちゃんに叱られる」の降板及び謝罪を求める署名活動」に上野氏が賛同のツイートをしたことに対するリプなので、上野氏のリプへの「くそリプ」ということになる。
    筆者のパターン化を私なりに少々言葉を補うとすると、1)とにかく「悪態」をつく、2)「古証文暴き」、つまり過去発言との一貫性を追及する、3)「リンチするな」という「弱い者いじめ」にすりかえる、4)「風俗肯定」など、テーマ、論点をずらす、5)「~には~しないのかよ」と問題を相対化する、6)「女だってやってるくせに」という男性側の責任逃れ、7)「的外れ」、8)「意味不明」の8類型だった。
    これは、ツイッターだけでなく、女性が発言した際に遭遇する批判にも応用できる。そういえば、記憶に新しい、2021年2月に起きた、東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の森喜朗元会長の「女性差別発言事件」でも、森発言を批判する側への批判は、この類型によって整理できそうだなあと思った。
    いずれにしても、「くそリプ」。量的には、「悪態をつく」、「的外れ」、そして「意味不明」の順に多く、とくに悪態のパターンは群を抜いて多い。また、目につくのは、「悪態」は時間とともに増える。「煽り、煽られ」という状態で増えるのだろう。他方で、「多少の理屈が必要」なそのほかのパターンは数も少なく、増えていない。
    「くそリプ」の渦中に巻き込まれた当人は心理的にも追いつめられ、あるいは社会活動もできなくなることさえあるし、木村花さんのように、自らの命を絶った痛ましい例もある。
    筆者は、パターンに振り分けると「「くそリプ」は急にバカバカしいものに見え」、「「くそリプ」を受けた当事者やそれを見た第三者の気持ちを軽くすることはできるかもしれない」という。「くそリプ」の嵐にいる人に傘を差しだし、いっしょに切り抜けるために何ができるのか。一見、類型化や数量調査というドライな手法だが、なんとか、少しでも、仲間が晒されている「くそリプ」の風圧を軽いものにできるのではという筆者のやさしさがところどころに垣間見えるエッセイだった。
    フェミニズムに対する風当たりは、少しずつ変化しているとはいえ、発言する女性に対する風圧はまだまだ強い。本論をWANで共有して、今後の作戦にも使えそうだ。

関連する論文

  • 『女のからだ』(1974)とフェミニスト翻訳

    2023/10/19

    • リサーチ

    著者名:古川弘子

    コメンテーター:荻野 美穂(おぎの みほ)

    論文概要:

    本稿の目的は、1974年発行の『女のからだ―性と愛の真実』(ボストン「女の健康の本」集団著、秋山・桑原・山田訳編)を翻訳学のフェミニスト翻訳の視点から分析・考察することである。フェミニスト翻訳とは、翻訳を通して女性に対する偏見や差別を可視化し、読者の注意を喚起することで社会に異議を唱えようとするもので、1990年代後半から主にカナダで盛んに議論されるようになった。 『女のからだ』は、1970年に小冊子として発行されたWomen and Their Bodiesと1973年に商業出版されたOur Bodies, Ourselvesの日本語版である。原著は米国の女性グループ「ボストン『女の健康の本』集団」が女性のために編集した、女性のからだについての情報や知見、体験談を集めた本だ。中絶が違法であった時代に、中絶やセクシュアリティについて率直に語った本書は、アングラで出版されたベストセラーであった。今や原著は「女性の健康のバイブル」とも呼ばれ、通算約450万部のロングセラーとなっている。 本書を日本に紹介した『女のからだ』は、その翻訳自体がフェミニスト的行動であったことは疑いがない。しかしながら、本稿ではより踏み込んで、翻訳学におけるフェミニスト翻訳の視点から考えていく。具体的には、フォン・フロトー(von Flotow 1991)の分類による3つの翻訳方略-1. supplementing(補足すること)、2. prefacing and footnoting(序文や脚注で補足説明をすること)、3.hijacking(乗っ取ること)-に基づいて考察していく。 Abstract This research explores the Japanese book Onna no Karada—Sei to Ai no Shinjitsu (trans. Akiyama, Kuwabara & Yamada 1974; literally, Women’s Bodies: The Truth of Sexuality and Love) from a feminist translation perspective. Feminist translation began to be discussed in the late 1990s, mainly in Canada, and aims to make females visible in translated texts as a way to object to women’s subordinate position in society. Onna no Karada—Sei to Ai no Shinjitsu is the Japanese version of Women and Their Bodies (The Boston Women’s Health Book Collective 1970) and Our Bodies, Ourselves (The Boston Women’s Health Book Collective 1973). In the 1970s in the United States, abortion was illegal and the books that dealt with sensible topics such as abortion or sexuality became underground bestsellers. Thus, translating the texts itself was no doubt a feministic action. However, this study takes a further step to investigate the Japanese text in detail to see how the text was translated by the three feminist translators. For the text analysis, this paper applies the three feminist translation strategies proposed by von Flotow (1991): 1. Supplementing; 2. prefacing and footnoting; and 3. hijacking.

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  • 仕事と子育ての両立を選択した女性たちのサバイバル Survival of women who chose to balance work and child-rearing

    2022/06/30

    • リサーチ

    著者名:太田恭子

    コメンテーター:亀田 温子(かめだ あつこ)

    論文概要:

    近年、出産後の女性の就業継続率が上昇し、M字の底も徐々に上がってきた。しかし、未だに女性が主たる担当者として子育てを担っている状況が続いている。高学歴女性に焦点を当てた先行研究の中には、高学歴女性が「子育てを手放さないことが、性別役割分業構造を強化している」という批判もある。高学歴女性は、学歴の地位表示機能による「よい子育て」への規範的圧力や、仕事での自己実現というプレッシャーによって、出産後も仕事と子育ての両立を試みるが、その結果男なみ発想で家事も育児もこなそうとするか、職場の子育て支援制度を利用しマミートラックで両立を図るかのどちらかになっており、そのいずれもが、むしろ性別分業構造を強化しているというのである。 そこで、本稿では、「高学歴女性が『子育てを手放さない』ことが、性別役割分業構造を強化してしまうのか」という問題関心のもと、以下の二つの問いを立てた。①女性たちが「子育てを手放さない」のは、規範的圧力やプレッシャーによるのか、自らの選択なのか。②女性たちが子育てを手放さないと性別役割分業は維持されるのか。その上で、江原由美子のジェンダー秩序論、ギデンズの自己アイデンティティ論に依拠し、仕事と子育てを両立している6人の高学歴女性にインタビュー調査を行った。その結果、女性たちは自らの選択として子育てを手放さずに就業を継続し、自らの「したい子育て」をするために、夫や祖父母、職場を交えた子育てのサポート体制を作りあげ、そうした彼女たちの行為が職場を変え、夫の意識を変えていったと語っており、女性が子育てを手放さなくても、ジェンダー秩序の変容の可能性があることを見出すことができた。 Survival of women who chose to balance work and child-rearing Abstract In recent years, the rate of women continuing to work after childbirth has increased, and the bottom of the M-shaped scale has gradually risen. However, women still remain in charge of child rearing as their primary responsibilities. Some of the previous studies focusing on highly educated women have criticized that the fact that highly educated women "do not give up child rearing reinforces the gender role division of labor structure. Due to the normative pressure for "good parenting" caused by the status indicator function of their academic background and the pressure for self-realization at work, highly educated women try to balance work and child rearing even after childbirth, but as a result, they either try to do both housework and childcare with a manly mindset or use the childcare support system at work to balance the two in a Mommy-Truck way. In either case, the gender division of labor is strengthened. Therefore, this paper asks the following two questions from the perspective of "whether the fact that highly educated women "do not give up child rearing" reinforces the gender role division of labor structure. (1) Are women's "refusal to give up child rearing" due to normative pressure or their own choice? (2) If women do not give up child rearing, will the division of labor be maintained? Based on Yumiko Ehara's theory of gender order and Giddens' theory of self-identity, we interviewed six highly educated women who are balancing work and child rearing. As a result, the women said that they created a support system for child rearing with their husbands, grandparents, and workplaces in order to continue working without giving up child rearing as their own choice and to do "the kind of child rearing" they wanted to do. We were able to find that there is a possibility of transformation of the gender order even if women do not give up child rearing. Translated with www.DeepL.com/Translator (free version)

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  • 東大インカレサークルで何が起こっているのか ―「東大女子お断り」が守る格差構造- What Matters with the Intercollegiate Circles at the University of Tokyo?: The Reproduction of Gender Structure by the "No Women from the Tokyo University Allowed" Rule

    2022/02/09

    • リサーチ

    著者名:藤田優

    コメンテーター:江原由美子(えはら ゆみこ)

    論文概要:

    東京大学において、「東大女子お断り」のサークルが問題となっている。これは東大女子の加入を禁じ、東大の男子と他大学の女子のみで構成される東大のインターカレッジサークル(以下インカレサークル)のことで、主にテニスやバドミントン、バスケットボールなどのスポーツサークルで多く見られる。  本稿では、 “なぜ東大女子は排除されなければいけないのか” という疑問を出発点とし、「東大女子お断り」を掲げるインカレサークルへのフィールドワークを通じて、インカレサークルの内部で何が起こっているのか明らかにした。調査方法としては、東大インカレサークルまたは学内サークルに所属する男女へのインタビューに加え、その中の1つのインカレテニスサークルに対する参与観察も行った。その中で、東大インカレサークルには男子優位のジェンダー秩序が存在し、「東大女子お断り」という閉鎖構造がそれを維持する二重の差別構造となっていると分かった。  東大インカレサークルにおける二重のジェンダー差別構造は、ジェンダー意識の低さに伴う罪悪感の無さ、偏差値ヒエラルキーに基づく男子の傲慢さと他大女子の低姿勢、インカレサークルに対する東大女子の嫌悪感など様々な要素が絡み合って成立していると推察される。東京大学という、国内で大きな影響力を持つ大学のサークル活動において男子優位の非対称なジェンダー秩序が再生産されていることは非常に大きな問題であると言えよう。  また追記として、本稿が執筆された2016年以降、「東大女子お断り」を掲げるサークルに対する大学側の処置により、「東大女子お断り」を堂々と掲げるサークルはなくなった。しかし裏で差別が続いている可能性もあり、更なる分析が求められるだろう。 This paper problematizes the intercollegiate circles at the University of Tokyo (abbreviation, Todai), supposedly a Japan's top university, which prohibits women of the same school from joining them. They consist of exclusively Tokyo University boys and girls from other universities (mainly women's universities), mostly among sports circles such as tennis, badminton and basketball.  Starting from the question, "Why should women from the University of Tokyo be excluded?", this paper examines what is happening inside intercollegiate circles through fieldwork at intercollegiate circles with "No Todai women allowed "rules. In addition to interviewing with male and female members of the University of Tokyo intercollegiate circles and other on-campus circles, I conducted participant observation at one of the intercollegiate tennis circles. What I found is that those intercollegiate circles have a male-dominated gender order, and that the closed structure of "no Todai women allowed" circles has a double discriminatory structure that maintains this order. This asymmetrical gender order with male dominance has been reproduced in the circle activities of the University of Tokyo, a university with great influence in Japan, which is a very serious problem. As a postscript, since this article was written in 2016, there are no more circles that openly apply "no Todai women allowed" rules due to the university's measures against gender discrimination. However, it is likely that discrimination continues behind the scenes, and further analysis will be required.

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  • パート労働が私にもたらしたもの・失ったもの - 自分史的アプローチ -

    2020/11/25

    • リサーチ

    著者名:藤田眞理

    コメンテーター:伊藤比呂美(いとう ひろみ)

    論文概要:

    本論は「自分史的アプローチ」の形をとって、再就職以降心を捉えて離さなかったパート労働に対する疑問と違和感に応える当事者研究である。これまで幾度となく語られてきたパート労働がもつ不利な労働条件や不当な差別以外の別の意味や役割について考察し、主にアイデンティティの面からパート労働を当事者の言葉で紡ぎ、自身の経験を再定義する試みである。それはパート労働を「労働」として意識的にポジティブに解釈することであり、パートを含む非正規をエンパワーすることになるという信念からのものでもある。  パート労働の場では学び取ったフェミニズムとジェンダー論の言葉と知から自分の位置を考察し、仕事場の権力配置をも洞察する。パート労働を個人的に解釈することだけでなく、賃金以外の「労働」がもたらすものまでを考察している。  結果、パート「労働」はアイデンティティにつながる気づきを与え、自分自身を変え、夫婦関係を変え、専業主婦であることよりはるかに居心地のいい、サバイバルのスキルであったことを導き、思いがけずフェミニズムが人生を肯定させる思想でもあったという新たな認識をもたらした。 This essay aims at a personal history to approach the problems and difficulties of an experience as a part-time worker which have caught me since reentering the job market. Though scholars have argued much about disadvantages and discrimination against part-time workers, I explored to find alternative significance and roles of being a part-time worker, in my own words in terms of Identity. Thus I tried to redefine my experience positively as a worker: it is an effort to interpret part-time work as a "work" so as to empower women working on the irregular basis including myself. What I leaned from gender studies and feminism helped me to understand power relations in the work place where part-time workers are placed at the bottom. However part-time work has brought me not only wages but also another reward unmeasurable with money. In conclusion part-time work has changed myself and my relationship with the husband, and given me a skill for survival better than being a housewife, with a positive identity. Feminism was an unexpected gift for me to approve my life.

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