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  • アトピー性皮膚炎は母親の責任か? 2018/05/19

    2018/05/19

    • リサーチ

    著者名:奥津 藍子

    1993年生まれ。2018年、和光大学現代人間学部を卒業。幼いころからアトピー性皮膚炎が あり、その経験をもとに、卒業論文でアトピー性皮膚炎とジェンダーについて書く。本稿 は、卒業論文を加筆修正したもの。現在は和光大学に研究生として在籍、和光GF読書会に 参加。

    コメンテーター:雨宮 処凛(あまみや かりん)

    アトピー性皮膚炎は母親の責任か? 2018/05/19

    アトピー性皮膚炎は母親の責任か?

    目次
    はじめに
    問い―アトピー性皮膚炎をもつ子どもと「母親」
    先行研究の検討
    本論文の目的および方法
    本論文の構成
    第一章 「病い」としてのアトピー性皮膚炎
    一節 アトピー性皮膚炎とは何か――近代医療の視座から
    二節 アトピー性皮膚炎の社会問題化と近代医療批判の変遷
    三節 「患者の知」によるアトピー性皮膚炎概念の攪乱
    第二章 メディアと母親像の生成
    一節 母性という幻想
    二節 「母原病」という問題のジェンダー化
    三節 母親規定要因としての育児メディア
    第三章 「アトピー本」を読みとく
    一節 なぜ「母親」と「アトピー本」か
    二節 文化的母原病としてのアトピー性皮膚炎
    三節 「科学的」母原病としてのアトピー性皮膚炎
    四節 「母原病」という行き止まり
    おわりに
    「アトピー本」から見えてきたもの
    先行研究に潜む「病いのジェンダー化」と「病いの本質化」のロジック
    「アレルゲン探し」をいかに乗り換えるか
    参考資料

    はじめに
    問い―アトピー性皮膚炎をもつ子どもと「母親」

    「アトピー性皮膚炎」という言葉を聞いたことがありますか?――この質問に対して、恐らく多くの人が「聞いたことがある」と答えるだろう。それほど、アトピー性皮膚炎という疾患はいまやありふれたものとなっている。しかし、それがどういった疾患で、それをめぐる人々の苦悩がどのようなものなのかを知っている人は、一体どのくらいいるだろう。

    愛国パンクバンドのボーカルなどを経て、2000年に『生き地獄天国』にて作家デビュー、活動家としても知られる雨宮処凛は、幼いころからアトピー性皮膚炎と「闘って」きた。2002年に出版された『アトピーの女王』には、アトピー性皮膚炎と共に生きてきた彼女の半生が赤裸々に綴られている。彼女の記憶を辿っていて気づくのは、アトピー性皮膚炎との闘いにおいて、「母親」がある種のキーマンとして登場していることだ。彼女が書いた他のエッセイからも読み取れるように、雨宮の「アトピー」との歩みは、同時に、雨宮の母との歩みでもあった。彼女の母は、娘の「アトピー」を娘以上に自分のことのように考え、腐心し、泣いた。雨宮はそんな母に次第に「うんざり」するようになり、時には暴力を振るった。

    母親はいつもアトピーの情報を集めていた。そして何か良さそうなことがあればすぐに実行した。何かせずにはいられないみたいだった。(・・・)アトピーに産んだことに罪悪感を感じていたのだ。私が痛がったり痒がったりして泣くと、母親は「ごめんね」といってよく泣いていた。
    (雨宮 [2002] 2009: 34)

    何をやっても絶対に治らないって母親だってよくわかってるはずなのに。母親の鈍感さと、まだ何かに希望を持とうとしている態度にイライラした。私のアトピーを治そうと金を注ぎ込んでくれることさえもムカついた。
    (雨宮 [2002] 2009: 70)

    私は必死で悲鳴を上げていた。だけど、いつも気がつけば助けを求める声は暴力に変わっていた。「全部お前が悪いんだ!」。私は母親に暴力ばかり振るうようになった。泣きながら母親をメチャクチャに殴り、首を絞めた。「あんたを殺して私も死ぬ」。母親は暴力を振るわれるたびにそういって泣いた。もう誰にも手がつけられない最悪の状態だった。
    (雨宮 2003: 46-47)

    雨宮の弟も、またアトピー性皮膚炎患者であった。後に示すステロイドバッシングとアトピー性皮膚炎治療の混乱を受けて追い込まれるのは、ここでもやはり母親であった。

    時折母はいつ終わるとも知れない孤独な闘いに疲れ果て、「もうステロイド使おう……」と弟にいった。母の中には得体の知れない療法をはじめたことで弟のアトピーを悪化させてしまったことへの自責の念と、小さい頃からステロイドを使わせていたことに対する罪悪感が混じりあい、ワケがわからなくなっていた。ただ治してあげたいという一心が空回りを繰り返し、そして悪化するたびに絶望した。
    (雨宮 [2002] 2009: 135)

    雨宮のエッセイにおいて、患者自身は症状によって精神的に追い詰められていたが、症状のない母親も子どもと同様に、疲れ果てていた。なお、こういったことは、雨宮らに限った話ではなく、アトピー性皮膚炎をもつ子と母をめぐっては「よくある話」である。アトピー性皮膚炎という病いを考える際には、当然「当事者」である患者自身が注目されがちだが、母親たちはその陰で、子どものケアを一身に引き受けている。彼女たちはそれぞれ壮絶な経験をしており、単なる「患者の母親」というカテゴリーには収まりきらないほどの強い当事者性を持っている。そこからは子どものケアを強迫的に遂行している様子が伺えるが、母親たちをこれほどまでに突き動かし、追い詰めるものとは何だろうか。アトピー性皮膚炎の子をもつ母親たちが抱える困難やストレスの背景にあるものを、今一度見つめ直す必要があるだろう。

    本研究は、一般に「アトピー本」と呼ばれる啓蒙書の言説分析を通じて、アトピー性皮膚炎がいかに母親の責任としてジェンダー化されるかを明らかにする試みである。

    先行研究の検討

    アトピー性皮膚炎の子どもをもつ母親の育児困難やストレスについては、1990年代から徐々に研究されるようになる。

    羽白誠(1998, 2004)や都築知香枝ら(2006)は、アトピー性皮膚炎の子をもつ母親と「健常」な子をもつ母親とを比較し、その特徴を示している。羽白によると、病気の子どもを持つ母親の精神的負担は、健常な子どもを持つ母親より大きい。アトピー性皮膚炎の子をもつ母親の特徴としては、罪悪感、疲労感、欲求不満、怒りなどを伴う精神的負担をあげ(羽白 2004: 49)、冷静な判断力や自立心が低下し、依存心が強い傾向があるとしている(羽白 1998: 55)。また都築は、健常な子をもつ母親に比べ生活困難度も高く、子どもにより問題を感じており、疾患の重症度が高くなるほど育児ストレスも高くなると述べている(都築ほか 2006)。益子ら(1998)の調査では、母親のアトピー性皮膚炎に対する日常な苛立ちは、母親が過去に行った治療で無力感を覚えた体験に基づくものであることが示唆されている(益子ほか 1998)。

    浅野みどりら(1999)は、質問紙調査と半構造面接を用いてアトピー性皮膚炎児をもつ母親の育児困難感について明らかにした。母親が抱える困難感の代表的な訴えは「痒がること」、「スキンケア」、「睡眠」、「食事」、「環境整備」に分けられた(表1)。また、そのような具体的な訴えのほか、一生懸命努力しても報われず理想と現実とのギャップに怒りを抱く「不全感」や、症状コントロールに有効な対処法がなく疲れ切っている「行き詰まり感」なども目立った(浅野・三浦・石黒1999)。

    母親のメンタルケアに言及するものも多い。藤原ら(2009)は、重症アトピー性皮膚炎患児と、軽度の抑鬱状態がみられた母親の症例を報告している。母親は、医師に「子どものことをかわいいと思えない」「皮膚を搔破している姿を見ると殴りたくなる」と繰り返しながらも、湿疹が悪化するとそれを自分の責任と考え、「死にたい」と訴えていた。藤原らは、こうした育児負担の軽減のため、母親の病気に対する理解を深め、心理的にもサポートすることが重要だとしている(藤原ほか 2009)。

    岡本史歩ら(2003)は、アトピー性皮膚炎児の母親の不安とその軽減要因について、①症状軽減、②時間的経過、③アレルギー勉強会への参加という3つの要因をあげている(岡本ほか 2003)。宮城由美子ら(2004)も、母親への介入として、ゆっくりと相談援助活動を行うための、場の提供が必要であると述べている。また、“家族の会”や“患者の会”等のソーシャルサポートシステムの利用が患児の家族、特に母親にとって心強い経験となるとしている(宮城 2004)。

    また、土屋憲子らの事例検討では、父親が治療や育児に広く関わることによって、母子に安定感を与える可能性が示唆され、母子関係に介在する父親の意味を指摘している。(土屋ほか 1998)。荒賀直子ら(2002)も「夫と一緒に育児をしていると感じる」ことや「同居家族数が多い」ことが母親の不安を軽減させるという研究結果から、心理面への支援においては、「重要な他者」との良好な関係がポイントだとしている。浅野ら(1999)も、「家族ぐるみでのケアを生活の一部にするためのセルフケア行動」を母親と主に考えていくことが重要だと述べていた(浅野・三浦・石黒 1999)。

    このように、先行研究ではアトピー性皮膚炎児の母親の特徴や、育児ストレスおよび育児不安の要因と実態等が検討され、いくつかの解決方法が提示されていた。しかしながら、アトピー性皮膚炎をもつ子どもを育てるうえで、母親に多くの負担が集中する社会的要因については、検討されていなかった。これらの先行研究は、母親ばかりを対象としており、父親の存在や、「家族ぐるみのケア」について掘り下げたものは無かった。中には、母親の特徴を析出することで、あたかも問題が母親の気質によるものかのように主張するものもみられた。母親の育児負担軽減の方法として、「母親の病気に対する理解を深める」ことが提示されていたが、これはむしろ、母親の負担を増大させる可能性を含むものではないだろうか。またこれらの諸研究では、アトピー性皮膚炎の子どもをもつ母親の育児負担は「健常」な子どもをもつ母親よりも深刻であるということを前提に、その母親たちの苦悩について研究されていた。しかし、こういった主張は、アトピー性皮膚炎の子どもを「よくないもの」だと強調することにつながると考える。

    本論文の目的および方法

    本稿では、アトピー性皮膚炎の子をもつ母親と、母親を軸に書かれた「アトピー本」に着目し、アトピー性皮膚炎という病いがいかにジェンダー化されたものであるかを明らかにする。

    アトピー性皮膚炎の問題を整理していくと、アトピー性皮膚炎という病いが常に母親とともに語られていることに気付く。図1は、アトピー性皮膚炎に関連する新聞記事の、母親・父親それぞれの登場件数を示したものである。朝日新聞では「アトピー&母親」446件、「アトピー&父親」115件、「アトピー&両親」106件、読売新聞では「アトピー&母親」330件、「アトピー&父親」76件、「アトピー&両親」40件、毎日新聞では「アトピー&母親」220件、「アトピー&父親」55件、「アトピー&両親」64件であった。三大紙すべてにおいて、父親よりも母親の登場件数のほうが圧倒的であることがわかる。このことは、アトピー性皮膚炎をめぐる問題が、いかに母親とともに捉えられているかを示している。

    こういった新聞記事の多さや、先に示したエッセイ、先行研究における父親の不在などは、アトピー性皮膚炎を語る際に、母親が重要な存在として位置付けられていることを示唆している。本稿では、アトピー性皮膚炎をめぐる語りにおいて、強い当事者性をもち、もう一人の主人公とも言えるこの「母親」の存在に着目し、今まで焦点化されてこなかったジェンダーの視点から、母親たちの苦悩の背景にあるものを探る。

    また本稿では、アトピー性皮膚炎が内包しているジェンダーの問題を、「アトピー本」より読み解く。なお、ここでは「○○でアトピーを治す」「アトピーを良くするための○○」といったタイトルに見られる、アトピー性皮膚炎を治療するためのマニュアルが書かれたもの全般を「アトピー本」と定義する。詳細については三章で述べるが、アトピー性皮膚炎の子どものケアについて書かれた「アトピー本」のうち、タイトルに「母親」ワードを含む「アトピー本」の冊数と「父親」ワードを含むものの冊数、「親」ワードを含む「アトピー本」の冊数を比較したところ、「母親」ワードを含むものが圧倒的に多かった(図2)。このことは、アトピー性皮膚炎のケアが母親ばかりに期待されていることを示すとともに、「アトピー本」のひとつの特徴を表している。

    育児雑誌研究が明らかにしているように、「育児メディア」は情報伝達および母親像を作り出す機能を持つ。「アトピー本」は、タイトルに母親を示すワードが多いだけでなく、内容も、「どうしたら子どものアトピーが良くなるか」について書かれたものであり、育児を担う母親むけに書かれた「育児メディア」のひとつとして捉えることができる。その点で、「アトピー本」は取り上げる意義のある書物である。

    また、今回着目するアトピー性皮膚炎は「捉えにくさ」を特徴とする疾患である。我々は、近代医療が提示する「病気」の概念を絶対視しがちだが、「病気」の概念化には歴史があり、アトピー性皮膚炎においては今日でも国によって定義が異なる。実際、近代医療の提示する「標準治療」以外の治療法で治した経験をもつ患者も多くいる。疾患の曖昧さゆえに治療が困難で、患者たちは「自分に合った」治療法を見つけるために奔走するが、「治すこと」に執着することは、疾患そのものを患者の自己責任に帰す危険性を孕んでいる。このようなことを踏まえ、本稿では疾患そのものを問題視することを避ける。

    本論文の構成

    第一章では、アトピー性皮膚炎がいかに曖昧で捉えづらいものであるかを明らかにし、アトピー性皮膚炎を「疾患」ではなく「病い」として捉えることの必要性について述べる。アトピー性皮膚炎について、まず「一般的」な定義として近代医療の視座から述べられていることをまとめる。その上で、アトピー性皮膚炎が近代医療批判とともに社会問題化する過程を辿る。そして「患者の知」が「疾患」の概念を攪乱する役割をもつことや、「原因の探求」に固執することの問題性について述べたうえで、本稿の立場を改めて示す。

    第二章では、母親へのプレッシャーを支える構造の一端として「アトピー本」に着目する必要性を示す。まず、育児が母親の役割だとする規範を支える「母性」がどのようなものとみなされてきたかを明らかにする。そして、「育児メディア」などを介した「母性」の氾濫によって登場した言説の中の醜悪なもののひとつとして、「母原病」を取り上げる。最後に育児書・育児雑誌研究を参照して、メディアの影響力および情報伝達機能についてまとめ、そこで先にみた「母性」や、母親像がどのように構築、あるいは再生産されてきたのかを辿る。

    第三章では、「アトピー本」の具体的な内容について、検討してゆく。まず、「母親」と「アトピー本」に着目する意義を示した上で、「アトピー本」に描かれる母親像が、いかに「母原病」言説として読み取れるかについてまとめる。アトピー性皮膚炎における「母原病」言説は、アトピー性皮膚炎が「疾患」であるがゆえに、すべての責任を「母性」という幻想の喪失に帰すような、「非科学的」な言説だけに留まらない。それは時にある種「科学的」な視点から強化され、支えられてしまうのである。ここでは、アトピー性皮膚炎の治療を当然のように「母親がやるべきもの」とし、それが母性の強調や母親役割によって説明されるものを「文化的母原病」、アトピー性皮膚炎の原因や悪化の原因を「科学的」視点から説明したものを「“科学的”母原病」と分類し、考察してゆく。

    最後に、まとめとして、アトピー性皮膚炎をめぐる「母原病」言説において、いかに「病いのジェンダー化」がなされているのかについて述べる。またこの「病いのジェンダー化」が、ほかのジェンダー問題と少し違う毛色をもつものであることについても示しておきたい。その上で、あらためて先行研究の問題性を指摘し、人々がいまだ脱し得ない「原因の探求」や「病者の自己責任」論を乗り越えるための、ひとつの可能性を提示して、結びとする。

    第一章 「病い」としてのアトピー性皮膚炎

    一節 アトピー性皮膚炎の概観――近代医療の視座から

    「アトピー性皮膚炎はいつからある病気なのか?」この問いに答えるのは容易ではないが、最初のアトピー性皮膚炎に関する記述はローマ時代の歴史家、スエトニウスによるものだといわれている(牛山 2015: 14-15)。スエトニウスは、紀元前63年生まれのローマ皇帝アウグストゥスの病気について、「体が痒いためと、垢擦り器でいつも烈しくこすっていたため、皮膚のあちこちが、瘡蓋のように厚く固くなっていた」等、アトピー性皮膚炎の症状と酷似する記述をしている(Suetonius 1908=1986: 14)。その後、近代にいたるまでアトピー性皮膚炎に関する記述はあまり見られないが、19世紀末になると、精神症状を含む神経系の異常をアトピー性皮膚炎の原因と考える、「神経皮膚炎」の概念が広められる。その後、1923年にcocaらによって「身の回りのいろいろなアレルゲンにしばしば反応性を示し、遺伝により発症する湿疹、蕁麻疹、枯草熱」をまとめた「atopy」という言葉が作り出された。なお、「atopy」という言葉は、ギリシャ語のa topia(奇妙な、変則的な)に由来する。1933年になると、「原因不明の体質性と思われる慢性に経過する湿疹」に対して、アメリカの皮膚科医マリオン・ザルツバーガーらが、Atopic Dermatitis(アトピー性皮膚炎)の診断名を確立する。なお、北欧においては1970年代後半まで、アトピー性皮膚炎という名称以外に少なくとも12の名称が使われていた。日本でアトピー性皮膚炎という病名が使われるようになったのは第二次世界大戦以後であり、それまでは乳児顔面湿潤性湿疹、小児屈側性苔癬化湿疹などの病名が使用されていた(牛山 2015: 15)。

    では、今日の医学界において、アトピー性皮膚炎はどのように捉えられているのか。日本皮膚学会の定義によると、アトピー性皮膚炎とは、「特有のかゆみを伴う点と、特徴的な皮疹と分布が見られる点、慢性的・反復的に経過する点などを特徴とする皮膚疾患」であり、「患者の多くはアトピー素因を持つ」とされている(日本皮膚科学会 2016: 122)。また、アトピー性皮膚炎には2つのタイプがあるとの考えもあり、1つはIgEと呼ばれる抗体を産生しやすいタイプで、70~80%がこのタイプであると言われる。他の20~30%はIgE抗体をあまり産生しないタイプと考えられているが、これら両者にどのような基本的な違いがあるのかは明らかにされていない(山本 2006: 2)。

    湿疹の症状はいろいろな皮疹から構成されており、その湿疹を起こしている炎症にはさまざまな細胞(T細胞、抗原提示細胞、ケラチノサイト、マスト細胞など)が関与しており、皮膚の性状(皮膚の機能異常)もひとつの要因として考えられている(山本 2006: 3)。

    全国平均有症率は4カ月児12.8%、1歳半児9.8%、3歳児13.2%、小学1年生11.8%、小学6年生10.6%、大学生8.2%で、成人の有症率は20歳代10.2%、30歳代9.0%、40歳代4.1%、50~60歳代2.4%(山本 2006: 6)と、年齢が上がるにつれて低下する傾向がある。これは、アトピー性皮膚炎が子ども時代にとくに経験されやすいことを示している。

    診断基準は長らく統一されていなかったが、日本においては1994年に日本皮膚学会より「アトピー性皮膚炎の概念と診断基準」が発表され、統一されるに至った(日本学校保健会 1999)。診断は、1994 年に策定された日本皮膚科学会「アトピー性皮膚炎の定義・診断基準」(2008 年追加改訂)に基づき、①瘙痒、②特徴的皮疹と分布、③慢性・反復性経過の3 基本項目を満たすものを症状の軽重を問わずアトピー性皮膚炎と診断する。(日本皮膚科学会 2016: 122-123)。なお、アトピー性皮膚炎の診断基準は国によって微妙に異なる。イギリスでは、子ども(4歳以上)の診断をする際には、掻痒が12ヵ月続いていることと、①2歳以下で発症している、②屈曲部が関係した既往歴、③乾燥肌の既往歴、④ほかのアトピーの既往歴、⑤写真プロトコルごとに視認できる屈曲部の炎症があることのうち、3つ以上が当てはまることを基準としている。日本とイギリスの診断基準は、どちらもJon HanifinとGeorg Rajkaが1970年代から1980年代にかけて作成した診断基準を参考にし、簡略化、改変したものとなっている。

    近代医療が提示している治療のゴールは、「症状がないか、あっても軽微で、日常生活に支障がなく、薬物療法もあまり必要としない状態に到達し、その状態を維持すること」である。治療法は、①薬物療法、②皮膚の生理学的異常に対する外用療法・スキンケア、③悪化因子の検索と対策の3点を基本としている。使用する抗炎症外用薬として挙げられているのはステロイド外用薬とタクロリムス軟膏(プロトピック軟膏)で、近代医療は、アトピー性皮膚炎の炎症を十分に鎮静するための薬剤として、有効性と安全性が科学的に検証されているものはこの2つのみとしている(日本皮膚科学会 2016: 126-127)。

    ステロイド外用薬は効果の強さで5段階に分類されており、必要以上に強いものを使わないよう、症状の程度や塗布部位によって使いわけ、症状が落ち着いてきたら弱いステロイドに切り替えるようにする(山本 2006: 19)。日本皮膚学会は、軽快したら使用回数を減らしながら寛解を目指し、徐々に使用を中止することを推奨し、急激な使用中止は避けることとしている。また、副作用については以下のように書かれている。

    全身性の副作用については,強いステロイド外用薬の外用で一部の症例で副腎機能抑制が生じたとする報告があるが、弱いステロイド外用薬の使用例では副腎機能抑制,成長障害などは認められていない。適切に使用すれば、全身的な副作用は少なく、安全性は高い。局所的副作用については、皮膚萎縮、毛細血管拡張、ステロイドざ瘡、ステロイド潮紅、多毛、皮膚萎縮線条、細菌・真菌・ウイルス性皮膚感染症の悪化などが時に生じうるが、皮膚萎縮線条を除いて多くは中止あるいは適切な処置により軽快する。(日本皮膚科学会 2016: 129)

    タクロリムス軟膏は、1999年よりプロトピック軟膏という名称で販売されている。ステロイド外用薬等の効果が不十分であったり、副作用により治療が継続できないときなどに使用される薬剤である。副作用として、塗布部位の灼熱感、瘙痒、紅斑等が確認されているが、日本皮膚科学会は、これらは皮疹の改善に伴って軽減、消失することが多いとしている。その他、細菌による皮膚二次感染、ウイルス感染症等、皮膚感染症の出現に留意するとした上で、皮膚癌やリンパ腫の発症リスクについては否定している(日本皮膚科学会 2016: 130-131)。

    悪化因子としては①食物、②汗、③物理的刺激(掻破含む)、④環境因子、⑤細菌・真菌、⑥接触抗原、⑦ストレスが挙げられている。これらの原因・悪化因子が、「どのような機序でアトピー性皮膚炎の炎症に関与するのか、あるいはどの程度関与するのか、現在のところ十分に解明されているとはいえない」としながらも、原因・悪化因子の判断や除去対策は、専門医の指導のもと、無理のない適切な対策をとることが大切であるとしている(山本 2006: 12)。

    二節 アトピー性皮膚炎をめぐる語り――近代医療批判から社会問題化批判へ

    アトピー性皮膚炎が時代とともにどのように語られてきたのか、その言説を追ってゆくと、大きく二つの段階に区分することができる。第一段階は、「文明病」言説や、ステロイドをめぐる言説に特徴づけられる、近代医療批判とともに展開される社会問題化の段階である。日本社会において、アトピー性皮膚炎が問題として語られるようになったのは1980年代以降で、作道信介(1994)によると、「アトピー」という病名、「アトピっこ」という名称は、1987年頃からメディアに頻繁に登場するようになる。アトピー性皮膚炎は当初、現代社会の環境問題、特に衣食住の問題との関連で報道された。見た目にひどい湿疹ができることや、疾患の原因がはっきりしないながらも衣食住環境がその一つとして挙げられたこと、医師によって対応が異なることなどが、子どもの養育と衣食住と担う母親たちの不安を煽った(作道 1994: 57)。佐藤令奈(2013a)は、「アトピー」が新聞紙面に登場したとき、“アトピーは文明病である”という図式がすでに確立されたものであったと指摘する(佐藤 2013a: 22)。また、同時期にステロイドを「恐ろしい副作用を伴う薬剤」として批判する「ステロイドバッシング」が始まる。「ステロイドバッシング」の幕開けは1983年、ステロイドを処方され続けた結果副作用が出たとして、アトピー性皮膚炎をもつ江崎ひろこが医師を相手に起こした訴訟から始まる。1990年代に入ると、ニュースステーションでステロイドの副作用に関する特集が組まれるなど、マスコミでも大きく取り上げられるようになる。また、この時期の雑誌記事には、ステロイドに対する警告がよく見られる。これらの影響を受け、次第に患者の中から「脱ステロイド療法」と呼ばれる、ステロイドの使用を中止する治療法をとる人々が出現し始める(牛山 2015: 25-30)。また、ステロイドへの恐怖心が人びとの間に広まると同時に、「アトピーに効く」と謳った多くの商品に加え、温泉療法、水療法といったさまざまな「民間療法」も爆発的に増加した。人びとはこういった「民間療法」に翻弄されることになるが、その中には、非常に高額であったり、商品内に実はステロイドを使用していたりという、悪質なものもあった。それは特に医学界側から「アトピービジネス」と批判され、近代医療の巻き返しの道具になってゆく。

    社会問題化を伴う近代医療批判の流れに対して、1990年代末以降、医学界では標準治療の確立と社会問題化批判が展開された。これがアトピー性皮膚炎をめぐる言説の第二段階、医学界によるステロイドを用いた「標準治療」の推進である。佐藤令奈(2013a)によると、アトピーの社会問題化における最大の争点であったステロイド治療が標準治療として明記されたことへの反発は生じたものの、これ以降、アトピーの社会問題化は次第に縮小していった。佐藤は、近代医療批判が失効した要因として、①「非標準治療批判」言説のレトリック、②医療の内在的・外在的変化、③日本社会における「アトピー」の意味の変化があったと述べている(佐藤 2013a: 28-29)。①「非標準治療」言説のレトリックとして、医学界は、民間療法の増加やそれに伴う違法行為を、特殊療法を用いた商業だとして批判した。それは近代医療から逸脱した医療者への批判であると同時に、近代医療に懐疑的な患者への批判でもあった。「非標準治療批判」言説の論理は、ステロイドに恐怖心を抱く病者にとって受け入れがたいものであったが、「脱ステロイド療法」や民間療法が必ずしも病者の期待する病状改善をもたらさなかったのも事実であった。また、この「非標準治療」言説のレトリックを受容可能にしたのが、②医療の内在的・外在的変化である。社会問題化が始まった1980年代後半に比べてインフォームドコンセント(以下ICと略称)への意識改善が医療全体において高まり、アトピーの標準治療でもICの重要性が主張されるようになっていた。また、補完・代替医療への社会的評価が高まり、標準治療との併用が積極的に行われるようにもなり、補完・代替医療の利用が標準治療の側から批判的に見られることもなくなってきた。加えて要因としてあげられるのが③アトピー性皮膚炎に対する日本社会における意味づけの変化である。アトピー性皮膚炎は、皮膚疾患の可視性の高さゆえ、スティグマ性による社会的排除の象徴として位置づけられてきた。社会問題化過程を通じて日本社会でのアトピーの認知が十分に深まっていくことで、そのスティグマ性は薄れ、スティグマ性が低下することで社会問題化それ自体の意義が希薄化したのである。また、これは同時に象徴としての求心力の低下も意味する。以上のように、アトピー性皮膚炎をめぐる言説は、近代医療批判とともに展開される社会問題化に始まり、その社会問題化は近代医療によって無効化されてきた。

    しかしながら、アトピー性皮膚炎をめぐる諸問題が解決されたわけではなく、今日でも病者たちの混乱は続いている。ツイートの投稿を共有する情報サービスサイトTwitterでは、アトピーアカウントを持つ人が多く存在し、アトピー性皮膚炎の情報や考え方を発信したり、自身の症状を共有したりしている。その一部を紹介しよう。

    日本皮膚科学会に要求します!アトピーにステロイドを使わない権利を!免疫抑制剤を使うような難病ではない。治りにくいアトピーはステロイド依存。赤ちゃんに使わなければ、激減する。真実から目をそらすな!
    (https://twitter.com/)

    大人になってからアトピーでたけど、ステロイド怖いって刷り込まれてたから拒んでたらどんどん肌が悪化してきた。
    (https://twitter.com/)

    赤くて黒くてひりひりのピリピリの痛くてかゆいし、むずむずする…
    どんどんしわしわになってくし、治る気配ないよ?悪化してるよ?
    ステロイドも脱ステも。なんかどっちをしても治る気がしなくて不安だよ…
    (https://twitter.com/)

    こういった病者の投稿から見えてくるのは、「標準治療」に対する強い不信感や、不安を抱きながらもステロイドを選択せざる負えない現状、今日でも「脱ステロイド療法」や「民間療法」を模索する人びとがいることなどである。「標準治療」の選択・非選択は、病者が個別に直面せざるを得ない問題として、いまだに残されているのである。

    三節 「患者の知」によるアトピー性皮膚炎概念の攪乱

    今まで見てきた治療法の混乱は、アトピー性皮膚炎の疾患特性によるものだと考えられる。文化人類学および医療人類学を専門とする牛山美穂は、「アトピー性皮膚炎とは何かを一言で言い表すのは難しい」という(牛山 2015: 14)。アトピー性皮膚炎の捉え難さは、歴史的にもいつから現れた病いであるのかを特定するのが難しいことや、名称が確立されるまでの過程によく表れている。牛山は、このように病名がなかなか統一されなかったのは、「アトピー性皮膚炎という疾患が、病原菌のような確固とした要因によるものではないということによる」と述べる。アトピー性皮膚炎はさまざまな内因性、外因性の要因に対する反応としてあらわれる症状の集合体であり、極端に言えば、異なる原因で起こった異なる皮膚炎がアトピー性皮膚炎というひとつのカテゴリーに入れられているということである。アトピー性皮膚炎は、「患者の数だけ病気があるといってもいい」ほど、個人個人によって異なるのだ(牛山 2015: 14-16)。

    実際、アトピー性皮膚炎においては、「標準治療」以外の治療法で「治した」経験をもつ人びとが多くいる。NPO法人「アトピーを良くしたい」は、アトピー性皮膚炎を「良くする」活動を行う上で治療法の単一化を避け、「百人百様」つまり、「100人のアトピーの人がいたとしたら100通りのアトピーの良くなりかたがある」という考え方を基礎に置いている。同団体が発行した『アトピーが治った』では、実際に「標準治療」以外の方法で治した例がいくつか紹介されている。

    アトピーが完治した理由を振り返って考えてみると、わたしの場合は3つあると思います。

    まず酵素栄養学、分子栄養学という切り札を得らえたこと。次にステロイドを脱することができたことです。いまもステロイドについて悩んでいらっしゃる方は、徐々にでも減らすとか、自分でそれを断つ方向性を見つけていけるといいですね。(…)基本的には、食生活に気をつけると心の状態も良くなるということを、もっと知ってほしいです。

    そして最後が、「人に左右されない自分軸」を手にいれたことです。わたしはそれを一生懸命獲得してきました。人に左右されない自分軸を得るということは、いい意味で開き直る、図太くなるということです。
    (横井 2016: 55-56)

    結局、私にとって一番効果があったのは、半身浴とブログでした、両方とも毎日、2年近く続けました。

    半身浴はともかく、ブログでなぜ良くなったかを私なりに分析すると、アトピーと闘っている人たちの支えを得られたことや、毎日書くことによって辛い気持ちを発散できたことです。(…)ひたすら良くなる姿をイメージして、「一回決めたからにはやりとおす」「絶対に結果を出す」というモチベーションを頑張ってキープしつづけました。

    そうこうしているうちに、ある朝突然「熟睡できた!」と思った瞬間が訪れたのです。(…)「熟睡」という言葉は知っていたけれど、生々しい体感として、初めてその感覚を得られたのです。その手応えをつかんでから2、3週間で、みるみるうちに良くなりました。
    (横井 2016: 115-116)

    こういった例は数多くあるが、あくまでも「標準治療」を推進する医師たちは、患者がステロイドの使用を避けようとすることを問題視する。こうした医師たちの態度の背景には「患者は医師の指示を守るべきものだ」という不文律がある。これは、医師が患者に対して絶対的な権威をもつパターナリスティック・モデル(父権主義的モデル)に基づくもので、この考え方のもとでは、医師は目上の人であり、患者の役割は「医師の指示に従うこと」になる。19世紀以降、近代医療が覇権的な医療として台頭し、医師が法的に専門家としての地位を確立したことによって、彼らはこのような権威的な立場を獲得することとなるが、牛山によれば、現代ではこうした絶対的な権威をもった医師というモデルは崩れてきており、患者が治療の中心となるモデルが模索されている。日本の場合、1950年から1960年頃を境に、感染症の時代から慢性疾患(または生活習慣)の時代へと移行した。慢性疾患の場合は感染症のように根治できるものではないため、その病いとどう向き合うかが問われることになる。例えば薬ひとつをとっても、薬剤の裁量権は医師にあるが、それを実行するかしないかは患者の意思にかかっており、そこでは「患者の役割」が重要なものとして浮かび上がるのである。また、専門家ではない一般の患者でも医療知識にアクセスできるようになった情報技術の革新や、20世紀以降近代医療以外の医療が興隆し、患者が消費者となり治療の選択権を得たことなどが新たな医師-患者関係を模索することの一因となった(牛山 2015: 1-4)。

関連する論文

  • 博士論文データベースを通して見る女性学/ジェンダー研究の40年

    2019/01/01

    • リサーチ

    著者名:内藤和美

    コメンテーター:原ひろ子(はら ひろこ)

     原 ひろ子(お茶の水女子大学名誉教授)  日本の女性学・ジェンダー研究の学問構築から約40年の節目に、知の集積・資源の提供を目指す博士論文のデータベースをまとめられ、紹介されたことは意義があり、ご尽力された内藤和美さんに敬意を表します。このようなデータベースは、①これらのデータの詳細な分析により、ジェンダーに関連する学術的な傾向や特徴を可視化するなどして、これを基に知の共有化につなげられること、②研究者や学生の皆さんが、自分のテーマに関係する論文や関心のある論文を検索、閲覧できるようにして研究の助けになることの2つの視点から有益であると私は考えます。 一方で、内藤論文を見て、データベースを用いた分析は、まだまだ発展する可能性があるように感じました。  以下に、内藤論文を見ての振り返りや意見を述べたいと思います。 (1)学位の種類と名称  学位の種類と名称について、本調査では「学術」が約2割を占めるという点に着目されていましたが、最後に述べられているように、「博士(学術)」は各大学や研究科に依存するため、「博士(学術)」が多いということをもって何か評価をするのは難しい面があり(注)、結局は、個々の論文を読まないと本当の事は見えないでしょう。今回示されたデータ(表5)を見ると、人文社会科学を中心に多様な形で学位が出ていますので、例えば、当初10年間と最近10年間で出ている学位の種類・名称を比較すると、時代とともに女性学・ジェンダー研究において多様性が増している姿が見えてくるかもしれません。私としてはそう感じていますが、それが可視化できれば、広く共有することができます。 もう一つ、学位には日本語表記だけでなく、英語を用いた表記がある点も注意したいです。例えば、お茶の水女子大学では、日本語で「博士(学術)」と表しつつ、英語ではPh. D. in Gender Studiesを授与している事例もあり、このような点にも留意することが重要と考えます。論文に即し様々な取組が可能であり、英語でGender Studiesが学位名称に組み込まれれば、こうした表現が人々の目に触れ、周知され、賛否両論に関わらず、やがて市民権を得ていく足がかりになるでしょう。 (2)学位授与機関のこと  お茶の水女子大学(以下、お茶大)が学位授与機関として、女性学・ジェンダー研究による学位が群を抜いて多い(内藤論文で用いた検索語に基づく)点は、当該研究機関で働いた一員として喜ばしいことだと思いますし、私だけでなく多くの関係者の尽力によるものです。その要因は複数あると考えます。まず、①当該機関は、1975年の国際女性年第1回世界会議の年に「女性文化資料館」を設置し、女性差別撤廃条約批准後の1986年には「女性文化研究センター」を設立、1993年には博士課程に「女性学講座」を新設し、「比較ジェンダー論」と題する講義を始めるなど、「女性学・ジェンダー研究」に組織として位置づけて推し進めてきたことです。私も、その中で女性学・ジェンダー研究という、当時定着しにくい状態にあった学問領域を認める道筋を作るために効果的な行動や発言を常に考えて仕事をしていたように思います。また、②お茶大が研究機関としては女性教員が他の国立大学に比して多く、女子学生たちのロールモデルになりえたこともあります。そして、③最も大きな要因は、お茶大が、小規模国立大学ながら大学の存立基盤として、博士課程・博士号授与者を多々輩出することに力をいれていたことです。その意味では、当該教職員たちは、申請者のため、大学運営とその発展のため、実によく働き多忙な職場でした。 また、データベースで分析した結果をもとに、その対象を絞り込んで、インタビューなどの調査をしたり、違うデータを分析したりすることで新しく見えるものがあるかもしれません。  「表5、登録論文の学位授与機関の分布」について、件数の多さだけでなく、その広がりについても着目すると良いと思います。「他」の機関の240件に関し、例えば、その機関数を示したり、授与機関名を注に列記したりすることで、意外な発見があるかもしれませんし、件数が少数であっても、このことを可視化する意義や効果もあります。 また、学位の種類と同様に、例えば、当初10年間と最近10年間の学位授与機関を比較することによって、時代とともに女性学・ジェンダー研究の博士を輩出した機関の数や各機関における取組などの変化を可視化できれば、有意義でしょう。 (3)抽出に用いたキーワード・包摂した表現  内藤論文では、女性学・ジェンダー研究における基本的なキーワードをもとに整理・分析されたことと思います。一方で、表2-1及び表2-2に列記されているキーワードで論文を抽出されていますが、現状を考えると、このキーワード以外にもいれるべきキーワードがあるようにも思います。更に、時代とともに、抽出のためのキーワードはさらに増えていくことになるでしょう。例えば、既存の学問の対象にはなり得なかった課題群に光を当て、研究・究明がなされるとき、既存のカテゴリーや名称は役に立たなくなります。それは「そこに問題や・課題群がある」とする研究者たちによって、最適な概念や言語が見いだされ、創出され、カテゴライズされていくからです。また、過去の論文も含め全体を一貫して同じキーワードで抽出することで、傾向をより正確に見ることができるかと思います。 (4)さらなるデータ分析の精緻化に向けて  内藤論文で挑戦されたデータベース化した論文群の分析について発展させるためには、データ分析や標本となるデータの取り扱いの精緻化が重要であり、これに関していくつか気付いた点を述べます。 第1に、分析に用いる標本となるデータの取り扱いで、これは分析に客観性と説得力を持たせる上で重要です。例えば、内藤論文で述べられているように、2015年以降に関しては、未だ正確なデータ公表に至っていないことを考えると、時系列的な分析や傾向分析を行う際には、分析のねらいに応じて分析の標本に加えるべきか十分に精査することが必要です。また、博士論文は1年毎に見ると、どうしてもばらつきがあり、単年度の論文数で傾向を評価するのが良いか、それとも例えば5年間、10年間といった数年分の論文の数を単位標本として評価すべきかは議論があると思います。 第2に、分析の前提となる仮説と検証の精緻化です。このような分析は見えなかったものを可視化するだけでなく、女性学・ジェンダー研究関係者が感じていたことを多くの人に共有できる形で可視化するという視点が大事だと思います。そのためには、分析を行う当事者は検討する際に、例えば、この分野の他の研究者の分析や学会などでの議論を参考にしたり、論文データ等を用いた分析学、書誌分析学の知見を取り込んだりして、広い知見を活用することが有効だと思います。  最後に、本データベースとその活用・分析が発展していくことを期待します。今後のデータベースの共同運用化と可視化、国際比較への道筋、精緻な内容的・史的分析につなげることができれば、今後の女性学・ジェンダー研究の発展の一助になっていくことでしょう。 注:博士の種類・学術博士の由来:「文部省(現 文部科学省)『平成3年度 我が国の文教政策』によれば、「博士の種類は,昭和31年,学位規則により,従来の伝統的な博士を中心に17種類が定められた。その後,昭和44年に保健学博士が追加され,昭和50年には,学術研究の進展に柔軟に対応する必要があることや,博士の学位は,学問分野のいかんにかかわらず,一定の水準を示すという性格を有するものであり,その種類は簡素化することが望ましいことなどを考慮し,学術博士が設けられた。学術博士は,学際領域等既存の種類の博士を授与することが必ずしも適当でない分野を専攻した者に授与するという運用がなされてきている。」、そして「平成3年2月,大学審議会から「学位制度の見直し及び大学院の評価について」答申が行われたが,学位制度の見直しについての主な内容は次のとおりである。<br>    ア:博士の種類について,○○博士のように博士の種類を専攻分野の名称を冠して学位規則上限定列挙することは廃止し,学位規則上は単に博士とすること。 イ:各大学院において博士を授与する際には「博士(〔専攻分野〕)」のように,各大学院の判断により,専攻分野を表記して授与すること。 」 ウ:従来の学術博士と同様,学術分野や新分野を対象として「博士(学術)」と表記することもできること。 エ:修士の学位についても同様とすること。 文部省としては,この答申を踏まえ,平成3年6月,学位規則の改正を行った。」(http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/hpad199101/hpad199101_2_152.html)  また、大学改革支援・学位授与機構が毎年、国公私立大学で授与される学位に付記される名称(日本語、英語)を調査している。平成28年度調査結果によれば、女性学やジェンダー学/研究を付記した学位は存在しない。

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  • 奪われた「言葉」と「記憶」を取り戻すためのフェミニズム ~セクシュアルアビューズサバイバーの当事者研究~ 2018/05/19

    2018/05/19

    • リサーチ

    著者名:荒井 ひかり

    コメンテーター:信田 さよ子(のぶた さよこ)

    被虐待経験や母との関係を語る文章を目にすることは珍しくなくなった。やっと、という思いである。被害という言葉は加害を告発するという意味が含まれているはずなのに、窃盗や交通事故の被害とは異なり、DVや性暴力は被害者がスティグマタイズされてしまう。被害もまたジェンダー化されるために、多くは語られず、なかったかのように被害者は生きなければならない。#MeToo!のムーブメントが静かに広がっているのは、あの華やかなハリウッド女優たちも自分と同じ経験をしていることを知り、国を超えた「仲間」を得ることでカムアウトする勇気をもらう女性が多いからだろう。 しかし性虐待(近親姦)被害は、その背景やプロセス、構造の複雑さから、連続してはいるものの同じ平面上で語ることは困難だ。「記憶」が問われるからである。トラウマ記憶に関しては研究が進んでいるが、定義される以前に意味不明の症状(著者は摂食障害を発症した)や、奇妙な体感が先駆する。何故なのか、何なのかがわからないままフラッシュバックが起きる。性虐待・トラウマと命名できるまでの混迷の深さ、自己定義してから始まる新たな混乱と怒りは、しばしば当事者がそれを語ることを妨害する。しかし言葉がなければ、新たな語り直しがなければ生きていくことはできない。このような切迫感が本論のいたるところに満ちている。「失われた記憶が蘇る度に、連なりが途絶え、私は自分を作り直さなければならなかった」というくだりは、胸が痛む。 これだけ多くの言葉が日々ネットやメディアを通して溢れているのに、性虐待被害者がサバイバルするために必要な言葉を与えてくれたのはフェミニズムだけだった。「この当事者研究の目指すところは、フェミニズムの言葉によって自分を作り直した軌跡を辿ること」なのである。これは研究の原点を私たちに突きつける。客観性やエビデンスの持つ価値を否定するものではないが、ひとりの人間が生きていくためにどうしても必要な言語的活動はすべて研究と呼べるのではないか。本論は、既成の心理学や精神医学が取りこぼしてきた(もしくは僭称してきた)被害者像を当事者がフェミニズムの言語を用いて作り直し、しかもそれは仲間とともに行われることを示した。このような当事者研究と、客観性と論理性を旨とする既成の研究とを架橋するのが研究者の役割ではないだろうかとさえ思う。 もっとも秘されタブー化された性虐待被害者たちが、生き延びるためにほかでもないフェミニズムを必要とした。本論は当事者学としてのフェミニズムという原点を明確に示したものだろう。著者の勇気を称えたい。

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