WWAN(ワールドワイドWAN)による韓国語版記事は → https://wan.or.jp/article/show/11253



「ケアの社会学」韓国語版への序文

 東アジアはどの社会も、急速な少子高齢化を経験している。高齢者の介護問題は、どの国にとっても直面する重要な課題である。
 2000年、日本では介護保険法が施行された。本書は介護保険施行以後の高齢者介護の現場をフィールドワークした経験研究と、その裏付けとなる理論的根拠とを論じた研究書である。高齢者福祉についてはすでに北欧福祉先進諸国をはじめ、西欧諸国が「福祉国家」をめざしていたが、80年代に入ってすでに福祉国家の破綻が言われはじめ、「福祉多元社会」が登場していた。その過程で登場した日本の介護保険制度は、ドイツとイギリスをモデルとした折衷案と呼ばれたが、その実、世界のどこにもないユニークな制度となった。

 本書は介護保険制度が日本の読者にとって自明のものであることから、制度の説明をしていない。韓国の読者にとってはそこが理解しにくいかもしれない。だが韓国では2008年に、日本の介護保険制度をモデルに韓国版介護保険制度が成立した。要介護度別の5段階、利用料の上限、施設入居や訪問介護の選択肢、本人負担率などは、日本の介護保険の方がやや手厚いが、日本の制度をおおむね踏襲していると言ってよい。制度の比較研究などは専門の研究者の論文を参照してほしい。

 介護保険がもたらした何より大きな変化は、介護は家族だけの責任ではない、という国民的合意が成立したことである。わたしはこれを「家族革命」と呼んでいる。家族主義の強固なアジア社会では、育児も介護も100%家族責任に帰せられてきた。そこに「介護の社会化」の「第1歩」にすぎないとはいえ、少なくとも介護負担の一端を公的責任として引き受ける制度が成立したのである。そして保険制度への強制加入は、またたくうちに利用者のあいだに権利意識をもたらした。

 国民皆保険制度とは、リスクと負担の再分配をめぐる社会連帯について、国民的合意が成り立ったことを意味する。格差があまりに大きいために「平均」というものが意味をなさないアメリカのような社会では、その社会連帯への合意が成り立たない。そのため、アメリカでは公的医療保険もなければ、ましてや公的介護保険制度の成立は期待できない。90年代の日本、2000年代の韓国で介護保険制度が成立したことは、わたしたちがまだかろうじて社会連帯を維持できる社会に住んでいることの証である。  

 介護保険法施行から24年、日本では初年度4兆円だった介護保険市場が、20年後には14兆円に拡大した。そのあいだに現場はいちじるしく進化した。官僚が机の上で想定したメニューにはない自生えの事業が市民のあいだで生まれ育ち、それを政府が介護保険のメニューの中に追認して取り入れた。その中には「誰ひとり断らない」子どもから障害者、お年寄りまで受け容れる「民家活用型小規模多機能共生型地域密着サービス」や、家庭的な雰囲気のもとで看取りを実践する「ホームホスピス」など、「目の前のニーズ」に応じた市民事業体の試みがある。介護保険は市民の志を「食える仕事」に変えたのだ。それがわたしが本書で、家族でも市場でも官でもない「協セクター」(「市民セクター」ともいう)に期待した大きな理由であり、彼らの現場を訪ね歩いた成果でもある。

 それだけではない。介護保険は日本社会にとって歴史上初めての経験だったが、この24年のあいだに、介護現場の経験値は確実に上がり、スキルはアップし、人材が育った。介護保険のスタート時には不可能だった独居の在宅看取りも、「できます」ときっぱり言ってもらえるようになった。現場を歩いて実感するのは、福祉先進国に比べて予算とマンパワーの投入量こそ違え、日本の介護の質は、国際的に見ても決して劣らないという事実である。24年にわたる介護保険ウォッチャーとして、介護現場は確実に進化したことを、わたしは証言することができる。その経験の蓄積は、わたしたちの社会の大きな財産となっている。

 にもかかわらず、介護労働者に対する処遇の低さは、あいかわらず、ケアという労働がどのように貶められているかというケアワーク観を反映している。ケアは誰でもできる非熟練労働、しかも「女がこれまで家でやってきたタダ働き」だと、政策設計者達が今でも考えているということだろう。そしてケア労働の賃金の低さは、ひいてはケアを受ける高齢者の処遇がその程度でよい、と政策設計者たちが考えているということを意味する。役に立たなくなった年寄りは社会のお荷物だという、高齢者差別がその背後にはある。その意味で、介護は性差別と年齢差別とが重層する場でもある。

 2000年代以降、政治のネオリベ改革は格差拡大を押し進めた。「介護の社会化」の第1歩であった介護保険も、その後2歩、3歩と歩を進めるかと思いきや、ふたたび「再家族化」「市場化」の危機を迎えている。どんな制度や権利も、歩いて向こうからはやってこない。要求したものとは違うものを与えられることもある。獲得したと思ったものさえ、うかうかしていると足元をさらわれる。日本の介護保険は24年目に危機を迎えている。
 同じような社会背景のもとで、一歩先んじた日本の高齢化を目撃してきた韓国の読者にとっても、日本の経験は他人ごとではないだろう。日本の経験から学ぶべきところを学び、欠点を克服して、韓国社会に固有のケア社会をつくる責任が、読者のあなたにはある。

著者

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『ケアの社会学』韓国語版、訳者あとがき
       もっといい社会を夢見る人たちのための本

                         曺昇美 チョウスンミ

フェミニズムと当事者主権視点の本『ケアの社会学』
 この本『ケアの社会学―当事者主権の福祉社会へ』は、日本の代表的フェミニスト社会学者上野千鶴子が人権・フェミニズム観点から高齢者のケアを考察、分析した社会学書である。ケアをする人とされる人の相互関係に注目し、良いケアがどのように可能であるかについての社会的文脈を検証するが、特に、ケアされる権利の主体である高齢者の当事者側、またケアする側を念頭に置いて、当事者主権の観点とフェミニズムの観点から、ケアを理論的・実践的に検討した。
 この本の各章の初稿は、太田出版社から思想、社会運動をテーマとして発行している季刊誌「at」で、2005年9月から2009年8月まで4年余りにわたって掲載された。 2011年に刊行されたこの本で、著者の上野千鶴子は学術分野で優れ、社会革新に寄与した功労が認められ、朝日新聞文化財団から朝日賞(2011年)を受けた。この本は緻密な理論構成と具体的なケア現場への社会学的分析により、ケアに対するの豊かな視点と展望を提示したことは高く評価されており、刊行から13年を超えた今も日本の社会学、社会福祉学の大学院で教材として使われている。ケアの社会化とより良いケアのために、ケアされる人々の経験から学び、ケアする人々の労働環境を改善したい読者たちも、まだこの本を読んでいる。
 ケアとケア労働の定義をはじめ、福祉多元社会論、再生産労働(不払い労働)論など精巧な理論化作業の真骨頂を見せる理論編のⅠ、Ⅱ部に続き、質的・量的調査方法で調査した一次調査のデータを含め、協セクターと官セクターのケア現場を生々しく分析したⅢ部、今後のケアを展望するⅣ部に至るまで、『ケアの社会学』は、ケアの社会化を主題にした膨大な分量の学術書である。この本の概要は著者の序文によく示されており、この本の核心内容はヤン・ナンジュ教授の明快な解説を参考してほしい。
 以下では、簡単にいくつかの制度的事項と実態、最近の動向と協セクターの現状などに言及しながら、Ⅲ部の実践編の分析対象である日本のケア現場に関する読者の理解を高めたい。また、本書の主な立場について理解を深めるようにいくつかの参考書を紹介したい。

ケアの社会化への第一歩 - 介護保険と老人長期療養保険
 序文で著者は介護保険がなかったら本書を書けなかったと述べているが、高齢者ケアの社会化の第一歩である日韓の社会保険(介護保険、老人長期療養保険)については関連法令(法と施行令、施行規則)を読んでみると、制度的枠組みがすぐ分かる。利用者数、認定率など制度運用の関連実態は実態調査(厚生労働省の介護給付費等実態調査や介護保険事業状況報告、保健福祉部の長期療養実態調査)を参照すればよい。
 韓国の老人長期療養保険が設計当時、日本の介護保険を参考にしていることは広く知られている。大きな枠で実際に似ているが、著者が韓国語版序文で述べたとおり、要介護度の判定・利用上限の設定、本人の自己負担率の設定などである。保険利用が認められた時、施設に入るか自宅で利用するかについて利用者が選択できるという点も同じだ。簡単に日韓両国の現状を見ると、日本は在宅66.1%、施設33.9%、韓国は在宅58.9%施設41.1% である。2017年から高齢社会(人口全体のうち65歳以上の高齢者比率が14%)になった韓国では、ベビーブーム世代が高齢者になるにつれ在宅の利用が増えているが、韓国の自己負担率は在宅の場合、長期療養給与費用の15%、施設の場合、長期療養給与費用の20%である。韓国では李明博政権の前、自己負担率を引き下げる大統領公約が出たことがあるが守られていない。日本の介護保険利用者は、施設であれ在宅であれ10%を負担している。 ところが3年ごとに一度改正される介護保険制度において、日本政府は2014年から介護保険の本人負担率を20%に引き上げようとする動きを何度も見せてきた。
 2024年、日本では本人負担率を20%に引き上げる案が訪問介護の報酬を下げる改悪案とともに再び登場している。本人負担率が高くなると、当然ながら利用者は保険の利用を減らすことになる。訪問介護の報酬が引き下げられると、訪問介護事業所の経営難をはじめ、介護サービスを担当する人材処遇も悪くなると予想される。著者の上野千鶴子は、ご自身が率いる認定NPO WAN(Women's Action Network女性行動ネットワーク)、高齢社会をよくする女性の会と協力して、すでに何度も改悪の動きを阻止してきており、今回の改悪案予告に対しても、社団法人認知症の人と家族の会、日本障害者協議会等と連携した「ケア社会をつくる会(略称CareSociety)」を組織して共同声明を出し、緊急記者会見を開いている。また、介護現場で働いているNPO、ワーカーズコレクティブの関係者と「史上最悪の介護保険制度改定を許さない」抗議集会を複数回開催するなど、改悪を阻止するために忙しく反対活動をしている。
 防衛(軍需)産業には天文学的な財政を使いながらも「人間の安全保障」に関連する福祉には厳しくて、高齢化社会への転換に不可欠なケアの費用に対しては、財政悪化だけを懸念し、例えばケアの労働実態に対するきちんとした調査も行わず、すでに社会的合意から成立した制度すら実質的に形骸化しようとする政府の態度は韓日両国に共通している。このような状況で普遍的なケアを含め、一元化した公共サービスとしてケアを提供する道は遠い。周知のように、ろうそく革命後、韓国では社会サービス法(社会サービス支援及び社会サービス院設立運営に関する法律)が2021年制定され2022年から施行され、国家がケア労働者と直接雇用の契約を結んだり、自治体の社会サービス院設立を義務化したが、2024年から予算が大幅に削減され、開所されている自治体の社会サービス院さえ事実上閉院に近い状態だ。また、韓国の施設(老人長期療養機関)の大部分を占めている民間の療養施設を見ると、老人療養共同生活家庭(入所定員9人)を除き、入所定員10人以上の老人療養施設の場合は、入所者の住居安定と施設の乱立を防ぐために、事業者が土地と建物を所有したり国や自治体との公共賃貸契約を結ばなければ設立できない。しかしこれさえ、2023年、保健福祉部が他人所有の私有地や建物を賃貸しても設置、運用することを許可する規制緩和案を推進している。民間保険会社らの進出が予想されている中、市場化の一途を辿っていくという批判が台頭している。

劣悪なケア労働
このような中、日韓では高齢者のケア労働力が不足していると指摘されているが、資格のある人々が働いてない重い現実は劣悪な労働条件に起因する。ケア労働に従事する中高年女性の安い賃金すなわち著者の指摘しているようにケア労働者自身の再生産費用にも及ばない賃金労働(著者が紹介している用語だと「半ペイドワーク」)は、ケア労働をする中高年女性の自立を妨げる要因であり、ケアの質を担保できなくさせ、ケアの未来を明るく見ることができなくさせる障壁である。労働力を再生産し、市場から疎外されたり放り出されている命を見取るケア労働を担当しているケア労働者たち、主に女性が自分の再生産にも及ばない賃金を受けている現実……。現代社会の家父長制と資本主義の下で女性の従属的な位置について議論した著者の『家父長制と資本制』(1990年)で提起されている重要な問いかけは、本書においても繰り返されている。「なぜ人間の生命を産み育て、その死をみとるという労働(再生産労働)が、その他のすべての労働の下におかれるのか……」
 本書で著者は生協で出会った女性組合員たちに正当な賃金を要求するよう助言してきたと述べながら、生協の経営陣と論争したエピソードを紹介しているが(12章5)、皆が社会的ケアを叫びながらも一方で半分知らないふりをするケア労働の処遇問題が続く限り、高齢者のケアの質は良くならないだろう。韓国の場合、女性世帯主の貧困率は男性世帯主の二倍を超えており、65歳以上の女性の年金受給率、需給額も男性より低いなど、いろいろな社会指標で中高年・老年女性の貧困が実によく表れているため、療養保護士として働いている多くの中高年女性の低賃金は切迫した問題でもある。
 ケア労働で悪循環が起きている理由は最初からケア労働に対する処遇が現在の保険(介護保険、老人長期療養保険)の体系では十分に設計されてないからだ。例えば、制度運用上の人材配置基準は、施設の場合、日本が3:1(利用者3人当たり1人)、韓国が2.3:1(利用者2,3人当たり1人)となっているがこれは本文で書いているとおり、夜間までの労働力を換算した数字である。昼間はこの基準を守るとしても、夜間勤務には1人ワーカーが労働する場合が多い。日本の施設では、3:1ではケアができないため、民間の有料老人ホームにおいても通常2:1の基準で人材を配置しているが、これを非正規労働力で満たしている。こうした中、最近日本では介護ロボットを導入して人材配置基準を4:1に規制緩和しようとする改悪の動きが起きている。本書6章で著者は「育児ロボットを考えつく人はいないのに、介護ロボットを考えつく人がいることは、このコミュニケーション行為としてのケアの性格を無視した、高齢者差別のあらわれであろう」と述べている。最近の改悪の動きに対し、著者は「介護現場は既に(慢性的な人材不足で)悲鳴を上げている」とし「お年寄りの動きを察知してアラームを鳴らす見守りロボットにしても、かけつけるのは人間である。車椅子移乗やリフティングを補助するパワーロボットも、実際に使ってみると、負担増だ」と疲弊した労働現場を伝えたことがある。
 介護保険、老人長期療養保険での人件費の割合を見てみよう。介護保険において事業者は訪問介護70%、小規模多機能居宅介護55%、介護老人福祉施設(特別養護老人ホームなど)・通所介護45%と人件費の割合の規定がある。事業者が利用者に介護サービスを提供したとき、介護保険で事業者に支払う介護報酬の中で人件費比率を設定するが、物価差を反映して地域係数を乗じて人件費を算出する。(本書17章2参考)良心的なところでは制度運用上の実際の人件費はこれより高く(60~70%)かかっているが、もともと介護保険で設定されている介護報酬自体が低い。例えば訪問介護の場合、最初期には生活援助(家事支援)の1時間単価1530円で(生活援助と変更されてから2250円)、身体援助4020円と比べて非常に低く設定されている。一方、韓国の老人長期療養保険においては、長期療養機関(事業所)の長が一定の割合以上を人件費で支出するよう告示しているが、老人療養施設61.4%、老人療養共同生活家庭65.8%、訪問療養事業所86.6%などである。 韓国の長期療養機関に対する実態調査などでは平均的に、告示されている人件費割合を上回っていると報告されているが、この人件費割合には基本給に対する規定ではない。また人件費の告示を守らない長期療養機関があり 、よって巨大な民間市場に対する韓国の行政の不誠実な管理監督も指摘されている。夜間勤務手当や週休手当、傷病手当、祝日勤務加算手当など法定手当を支給しない、または夜間勤務時間のうち6時間を就寝で無給処理するような手法によって長期療養給与を不正受給する施設があったり偽装廃業(廃業後、新設を繰り返し)する民間施設もしばしばニュースに出ている。2017年から3年以上勤務したとき支給される長期勤続奨励金が新設されてはいるが、一ヶ月最大10万ウォンほどに留まっており、現在の最低賃金を超える水準の賃金ガイドラインは出ていない。2022年9月、韓国の国家人権委員会は療養保護士の標準賃金ガイドラインを設け、賃金と関わる規定も整備するよう勧告を出しているが、韓国の保健福祉部では慎重な検討が必要だと事実上、国家人権委員会の勧告を断った。このような背景の下、数年前から韓国のケア労働者を指す「半額労働者」という言葉が出てきて、韓国社会のケア労働の危機を物語っている。さらに、日韓の高齢者ケアでは多くの人が非正規職で働いており 、勤続に伴う熟練度の向上に対する正当な対価を期待するのは難しい。
 2024年2月2日、日本ではホームヘルパーで働いている女性3人の国家賠償請求に対して東京高裁の判決が下された。この訴訟は「ホームヘルパー国家賠償訴訟 」と知られているが、2019年ホームヘルパーとして働いている60~70代の女性3人が、劣悪な労働条件と低賃金の原因は低水準の介護報酬など介護保険制度の問題が根底にあり、労働基準法が守られない状態を国が放置したため訴えた。高裁の判決では「 訪問介護員 の現状(権利侵害)」について「賃金水準の低さとこれを一因とする慢性的な人手不足が長年にわたり問題とされながら、いまだ問題の解消に至っていない」状況を認めたが、一審でも控訴審でも敗訴した。  ヘルパーにも適用される介護職員処遇改善加算 が導入されているが、全産業の労働者の平均給与より介護サービス従事者の低い状況は変わっていない。
 著者はインタビューで「介護保険制度が始まる前、家の中で女がただ働きで介護をしてきたことを‘私的家父長制’と呼ぶ。制度ができ、介護が対価を伴う労働になっても低賃金であることを‘公的 家父長制’という。それが(介護保険)制度の根幹にある。」と強く批判したことがある。 日本も韓国もケアの社会化の一歩である制度施行からもっと進まなければならない。良いケアのためには、ケア労働者の安い賃金と低い社会的地位の改善に加え、本書で著者が指摘したとおり、ケアする側とされる側両方が成長しなければならないし、もっと多い社会的合意が必要である。

生協、ワーカーズ・コレクティブの最新動向
 上記のように完全に整備できなかった制度的環境の中でも、日本の生協福祉は市民たちに必要な介護サービスのため努力してきたが、例えば介護保険制度外サービスで訪問介護を利用する場合(利用限度を超えた利用の場合、病院内の付き添い、外出同行など)利用者は介護報酬の100%はなく、50~70%の利用料(いわゆる「コミュニティ価格」)を支払う。私はこのような日本の生協福祉に驚いたが、これは韓国で私が祖母の訪問療養(訪問介護)を調べていたとき、どこでも見つけられないサービス内容と料金体系だったからだ。韓国の老人長期療養保険にも日本と同様に療養等級別に在宅給与の利用時間制限(限度金額)があり、これを超えると老人長期療養保険で定められた報酬の100%を負担する。
 著者はこのようなコミュニティ価格に対し、「不完全に商品化された労働力」と批判的に分析しているが(17章4、5)、このような低料金でも生協福祉の介護の質が一定水準に維持できるのは、日本の特定女性層(家計の税額控除のために自分の輸入としては一定額以下の収入だけでよい中産層主婦)が参加している特性からだ。 2011年に出版されたこの本で、著者は今後の長い介護の歴史からすると、日本の生協福祉は高い理念と倫理性に同意した中産層主婦が存在していた一時的な現象であろうと予測している。著書が出てから13年が過ぎた今日、生協福祉やワーカーズコレクティブはどのように変わったのだろうか。
 2022年日本で、福祉・介護事業を実施している生協は173組合であり、訪問介護、通所介護、小規模多機能型居宅介護、グループホーム、サービス付高齢者向け住宅などの事業高は約1,000億円である。  本書のⅢ部で生協のジェンダー編成を分析しながら、著者はワーカーズコレクティブ(労働者協同組合)について「生命体本体を変える力を持った新しい生命組織」(13章9)と分析したが、特にワーカーズコレクティブの活躍は注目に値する。ワーカーズコレクティブの全国組織の一つである「ワーカーズコレクティブ・ネットワークジャパン(WNJ)」の調査 によると、WNJに加盟しているワーカーズコレクティブは328団体であり、約7千人余り(90%が女性)が参加している。加盟していないところまで含めると日本全国で約500個がある。WNJ加盟団体全体の年間売上高は135億円であるが、WNJ加盟団体では介護を主な事業としているワーカーズコレクティブが169団体で最も多い。
 日本のワーカーズコレクティブは、この本で出てあるとおり、生協組合員が地域社会に必要なものやサービスを自分の金(出資金)・労働によって作って提供する非営利・協同の市民事業体として結成することになっているのだが、2020年12月労働者協同組合法が日本国会から成立、制度化された。同法の施行前、ワーカーズコレクティブは、自治体と契約を結んだり、銀行に融資を申請するなど業務上法人格が必要な場合、企業組合や特定非営利活動法人の形で運営されてきた。全体のワーカーズコレクティブの半分ぐらいは任意団体で運営してきたが、法人格がなければワーカーズコレクティブの代表一人が団体に対して無限責任を負わなければならなかったので、労働者協同組合法はワーカーズコレクティブの長年の念願であり、2020年からワーカーズコレクティブは安定的活動のための法的基盤を確保することになった。初期はワーカーズコレクティブ活動では生活できないという評価もあったが、着実に収入が増えてきた。著者が2011年に出版されたこの本で「成長したワーカーズコレクティブは、生協パート職員の賃金水準をすでに超え、さらに労働のクォリティにおいてもパートに比べてはるかに高いパフォーマンスを示すことが証明されている」(13章9)と知らせてくれたが、月160時間以上(一ヶ月20日、1日8時間)仕事をしている場合、2020年に年収200万円以上を分配金として支給されたWNJメンバーは全体加盟メンバーの13%に増加した。
 長くなるので、その全部の活動を紹介できないが、例えば高齢者訪問介護事業に加えてひとり親世帯の生活支援事業と子ども食堂(地域社会の子どもたちに無料か50~100円の安い料金で食事提供)を並行しているところ、デイサービスを運営しながらひきこもりの若者にデイサービスでのお菓子の準備・シート交換・布団干し・ごみの分別・高齢者との会話・PC入力作業などの就労支援プログラムを提供するところ、障害者や高齢者の外出の時に個別移動サービスを提供するところ、人口過少地域で高齢者の買い物のための移動サービスを提供するところ、企業から委託を受けて有料老人ホームとデイサービスを運営するところなど独特な活動がたくさんある。このような独自の活動をみれば、「ちょっとしたお金と知恵で集まった。(中略)力がなくてもみんないっしょにできることがある」と言うワーカーズコレクティブのメンバーの言葉を噛みしめるようになる。
 この本14章で著者が市民事業者の先進的事例として分析した「小規模多機能型居宅介護」は、著者が本文で述べたとおり、2005年介護保険改正後の2006年から制度化された。2015年から定員は25人から29人になったが、2022年、日本全国に5,575箇所がある。 本書の韓国語版序文で著者が取り上げた市民事業体のもう一つの先進的事例「「ホームホスピス」は本書には出ていない。ホームホスピスは宮崎県にある「ホームホスピス」である「かあさんの家」のことだが、 「ホームホスピス」とは、地域の空き家を利用して高齢者の住宅施設を作り、高齢者が死亡するまで責任を負う小規模施設である。外部から来たホームヘルパーが24時間ケアをしており、訪問看護などを利用して医療的な処置を受ける。小規模であるが入所した高齢者(定員5人)一人一人に外部からのケアマネージャーが付いており、監視の目が届く。2004年、「かあさんの家」から始まり、日本に広がった市民事業体の事例が「ホームスピス」であり、2024年現在、日本全国に「ホームホスピス」は65カ所がある。
 一方、2014年医療・介護一括法(「地域における医療及び介護の総合的な確保を推進するための関係法律の整備に関する法律」)が日本国会で成立してから、看護師や理学療法士などを高齢者の自宅に送る訪問看護ステーション(自治体で指定された営利・非営利事業者[社会福祉法人・協同組合・医療生協・NPO]が開設)で訪問介護を行う場合がある。本書の協セクターである生協やワーカーズコレクティブでは最近、訪問看護ステーションと連携して訪問介護、訪問看護サービスを提供する事例が増えている。訪問看護では介護保険と医療保険(75歳以上または65歳以上で障害のある高齢者を対象とした「後期高齢者医療制度」)が利用できる。

外国人のケア労働
日本で外国人のケア労働市場は2008年からEPA協定などで議論が始まって開かれたが、実際の世話労働者として働く外国人は少ない。 2019年からは特定機能ビザに介護職種を導入したが、介護職種外国人労働者(インドネシア、ベトナム、フィリピン)は2020年上半期まで50人程度にとどまった。コロナ危機がある程度過ぎてから増え、特定機能ビザで働いている人は2023年635人と集計されている。 介護職種の外国人労働者は訪問介護ではほとんどいないが、過半数以上が特別養護老人ホームで勤めている。働いている施設内の非正規職の日本人労働者と同じ処遇を受けている。 
 韓国の高齢者ケアで外国人労働市場を見ると、軽度から重度までの高齢者が入院している療養病院で働いている朝鮮族がいる。  朝鮮族は訪問就業ビザ(H-2)、在外同胞ビザ(F-4)で療養病院の「共同看病人(一人が多床室で4~6人の患者をケアする)」として勤務している。療養病院は、老人長期療養保険が適用されず、健康保険(韓国の医療保険)が適用される。朝鮮族は韓国人の療養保護士とともに療養病院の「看病」労働を担当しているが、だが、4大保険(雇用・年金・労災・医療)に加入できず 、病院との直接雇用契約ではなく派遣会社を通じて雇用されている。朝鮮族は韓国語で自由自在のコミュニケーションが可能なので、韓国の外国人ケア労働市場は、日本語試験などある程度参入障壁がある日本の外国人ケア世話労働市場とは事情が異なる。
 ちなみに、韓国の療養病院と関しては、「事務長療養病院」(医師か非営利法人のみ開設できる療養病院を、非医療人か偽装非営利法人などが設立し、医療保険に不正請求する病院)問題から、惨事(2014年長城療養病院火災事件、2018年密陽療養病院火災事件などで身体拘束のため火事のとき高齢者が多く死亡した事件)の発生まで不正と悲劇が起きている。公共の施設は入所待機者が多すぎて適時に入るのは非常に難しく、さらに健康保険が適用される療養病院と老人長期療養保険が適用される療養院との機能は確立されていないまま、制度的整備の課題が残っている。医療的治療の目的のため療養病院に入院した多くの高齢者は実際にはそんなに医療の必要度が高くない。療養病院と療養院の役割が混在しているので、制度的な改善が必要である。

もっと読めばいい本
 以上、断片的な考察から韓国と日本のケアに関する現実をすべて把握できないだろうが、この本を読むための背景知識をまとめてみた。最後に、この本の理解を深めるためにいくつかの本を紹介しておく。生協福祉、福祉ワーカーズコレクティブに関する基礎知識としては、日本の生協からの本を読むといいだろう。生協福祉とワーカスコレクティブに関しては、韓国の生協の出版社などから日本の生協の活動に関する本を多く翻訳出版されているが、『生活の協同』(2007年)、『協同っていいかも?』(2011年)、『小さな起業で楽しく生きる』(2014年)、『協同の再発見』(2017年)、『生活クラブ千葉グループの挑戦』(2021年)などが翻訳されている。
 ケアされる側の経験に関して、本書で著者が採択している立場「当事者主権」は、著者が本書の7章で日本の障害者運動の歴史を紹介しながら、詳しく説明した。第7章は、日本の障害者の移動権闘争と脱施設自立運動を導いた中西正司と著者が2003年にいっしょに書いた本『当事者主権』の内容に基づいているが、『当事者主権』において中西正司と著者の上野千鶴子は、障害者、女性、子ども、登校拒否児童・生徒、高齢者、患者など社会的弱者が自分の権利を自覚し、権利を求める運動を繰り広げる過程から出てきた積極的な概念として「当事者主権」を語っている。例えば障害者自立生活(脱施設)運動で24時間障害者ケアがが可能になっているが、これは日本の障害者福祉が措置の福祉から社会権として位置づけていくプロセスであった。『当事者主権』では、ニーズが満たされるべき当事者が自分の社会的位置から能動的な主体化の過程(闘争)を通じて権利を確保し、このプロセスを通じて社会全体で福祉の概念がどのように拡張されか、社会の転換と革新にどのように貢献するかがよく出ているが、残念ながら韓国語版は出版されていない。当事者主権についてもっと知りたい読者は、この本で「当事者主権」の実践事例として取り上げられており、韓国の社会福祉学界で広く知られている精神障害者のコミュニティ「べてるの家」をテーマにしている『べてるの家の「非」援助論』、『悩む力べてるの家の人びと』、『レッツ!当事者研究』が韓国語で翻訳出版されているのでぜひ読んでほしい。さらに、ケアされる側から書かれている小山内美智子の著書『あなたは私の手になれますか』、金満里の著作の中、自伝的エッセイ『生きることのはじまり』は韓国語翻訳版が出版されている。読んでみれば、ケアされる側の権利、(不適切な)ケアを受けることを強制されない権利に対する理解の幅を広げられるだろう。

訳者あとがきを終えて
 翻訳を終えても、著者が『家父長制と資本制』から本書まで何度も繰り返した「再生産労働がそのほかのすべての労働の下位に置かれるのか……この問いが解かれるまでは、フェミニズムの課題は永遠に残るだろう」という文章が胸にずっと残っている。おそらくこの問いを外して本書はもちろん、著者を論じることができないだろう。この重大な問いから、私たちは抑圧された他者性を持つ存在に出発しているが、自分と周りの弱者を省察し、自ら解放されること、不当な搾取に対して心から怒ることができて、有意義な想像力によってよりいい世界を直接作ってほしいと願う著者の知的探求の向こうにある熱い心に出会う。
 本書で紹介されている先導的な事例が高い理想を持つ女性たちの意識と倫理、犠牲と献身に基づいている実状から、もしかすると失望した読者がいるかもしれない。あるいは公共部門が当然にしなければならない仕事を市民社会に押し付けているのではないかという反問を投げかけるかもしれない。しかし、私たちが迎える明日は今日に基づいて作られる。社会保険で一歩踏み出したにすぎないケアの社会化の現状、ケア労働の賃金水準に対する社会的合意すらまだ容易に形成できない中、「自分の税金が福祉の財源に投入されてはならないし、価値のない人は安楽死すればいい」というように弱者をさらなる窮地に追う込むだけの無意味な偏見と差別だけ煽っているヘイトの言語が表出される環境、まさにケアの社会化という課題の解決への期待すら難しい構造の中で、「弱者が弱者のままで生きられる」ように尊厳な生のためにケア現場で高齢者・障害者の当事者の言葉に耳を傾けながら奮闘している女性たちがいるということ、著者を含めてその女性たちは私たちの姉妹であるということを思い出してほしい。韓国より10年先立って始まった日本の介護の現場では、劣悪な労働現実にもかかわらず24年間の歴史が蓄積される間、専門知識が増え、スキルが大幅に向上し、もう褥瘡はほとんど見られないという。私は亡くなった祖母が療養院と療養病院にいるとき、縦横15㎝まで褥瘡が発生なるなど、手につかない状態に至ったこともあって、日本の介護の現場に対して関心が大きかった。
 著者が先駆者として開拓してきたフェミニズムの観点に基づいて、ケア理論と実践それぞれにバランスをとらせ、ケアに対し、単に倫理的、規範的にアプローチしないで、社会学的に現場検証している本書をぜひ韓国語に翻訳出版したかったが、国内で人気の高い著者の大衆書に比べて非常に多い分量の学術書であることから、出版社を見つけることは容易ではなかった。そうした中、オヲレボム出版社から手をさしのべてくれた。韓国語版を出すまで至難な旅の始まりから終わりまで努力してくださったオヲレボム出版社のイ・ジョンシン編集者、パク・ジェヨン社長に深い感謝を申し上げる。二人がいなかったら本書は韓国で出版できなかった。本書の要点と難解な部分をわかりやすく説明しながら本書の意義について書いてくださったヤン・ナンジュ教授に深く感謝する。コロナ禍を経験してから、私たちは、みんなが安全でなければ、誰も安全に生活できないということ、またこのような世界で真っ先に犠牲されるのは社会的弱者、健康弱者であるということを身に染みるほどわかったが、よくそのような事実を忘れて生きている。長い間、女性に対する暴力と抑圧を正当化してきた家族(主義)イデオロギーが解体されつつある中でも、社会保障の縮小のために家族が動員されているが、家族は万能ではなく、いつでもブラックホールになりうるというのは、韓国社会が介護殺人事件などで経験しているとおりである。「家族療養保護士」 などケアの再家族化への試みに対する懸念は十分に傾聴する必要がある。
 本書の翻訳がそろそろ終わる頃、私は6年前に待機申請しておいた祖母の公共療養施設への入所が可能という連絡を受けた。健康保険公団が公開している優秀機関情報をみつけ、あちらこちら移しも、身体拘束が横行する療養院、療養病院で覚えた怒り、しかしそれと同時に、夜間一人の仕事をしていていつもあまりにも疲れて見える療養保護者たちや休憩空間もなく24時間多床室の療養病院で過ごしながら働いている朝鮮族たちに会ったときに感じていたすまなさ。十分な訪問療養や訪問看護を探せなくてどうしょうもなかった時……私は何ができるのか切なかった。
 親や私自身の老後には変わってほしいこれからの未来を願って、著者上野千鶴子の知的かつ実践的な旅に翻訳者として同行できたことが嬉しく甲斐がある。知らない部分について質問するたびに誠実に答え、教えてくださった海の向こうの著者にも尊敬と連帯の挨拶をもうしあげたい。もう75歳の後期高齢者になっている著者は優秀な学問の成果のほかにも当事者として行動力を発揮しながら、活躍されている。著者のように、よりよい社会のために批判的知性と楽観的意志を持って一日一日一所懸命生きていく一人のフェミニストでありたい。鋭い問題意識と徹底した理論と現場検証から書かれている本書がケアにおける公共の役割、市民社会と地域の役割を悩んでいる活動家や研究者に、ケアを勉強している社会学、社会福祉学の学生たちに、もっといい社会を夢見る読者の皆さんに役立つことを願う。 
     

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中国語簡体訳:https://wan.or.jp/article/show/11313
中国語繁体訳:https://wan.or.jp/article/show/11314
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韓国のネット本屋さんのサイトから韓国語版がご購入いただけます。

『ケアの社会学』 韓国語版のネット書店サイト <돌봄의 사회학> 인터넷서점판매사이트 
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スマホ向けサイト 
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WANサイトアーカイブ動画
『ケアの社会学』-当事者主権の福祉社会へ-
https://www.youtube.com/watch?v=8kxrVUJt_gU
講師 上野千鶴子さん
    (東京大学名誉教授、立命館大学特別招聘教授、認定NPO法人ウィメンズアクションネットワーク 理事長)
日時 2013年9月15日(日) 13時30分~16時30分
会場 京都市男女共同参画センター ウィングス京都

主催 高齢社会をよくする女性の会・京都 
共催 公益財団法人京都市男女共同参画推進協会