サイズもバラバラならタイトルのロゴも途中で変わっている。1977年、私たちが創刊した雑誌『銃後史ノート』は、素人の思いだけで突っ走ったのが見え見えだ。そもそも「銃後史」とはなんなのか?
銃後とは前線に対置する言葉で、戦争の後方支援基地を意味する。戦中、日本の女性は「銃後の女」として戦争に協力した。「母たちは戦争の被害者であった。しかし同時に侵略戦争の“銃後”の女でもあった」。なぜそうだったのか。この雑誌を通じて明らかにしたいと刊行の言葉にある。
以来20年、満州事変、非常時、日中戦争開戦、紀元二千六百年、12月8日…という風に1冊1冊戦争の経過を検証し、18冊刊行して1996年終刊。そこで見えてきたのは、戦争は最初から戦争の顔をしてはやってこないということ。それどころか軍需景気にわいたり土地なき農民が満州移民で大地主になったりと、オイシイ話も前段階にはある。『銃後史ノート』にはそれを含めて戦争体験が集積されているが、ミニコミの悲しさ、今では記憶する人もいないだろう。
と思っていたら、昨年11月、思いもよらず脚光をあびることになった。認定NPO法人ウィメンズアクションネットワーク(WAN)は女性の活動をつなぐデジタルサイト(http://wan.or.jp)だが、その中にミニコミを電子化・収蔵するミニコミ図書館がある。しかし読まれなければ意味がないというわけで、『銃後史ノート』を材料に、「こうして戦争は始まる 孫世代が出会う『銃後の女たち』」シンポを実施することになったのだ。
しかも上野千鶴子理事長の発案で、あろうことか「孫世代」の読者代表として、川上未映子(作家)、小林エリカ(漫画家・作家)、福田和香子(元SEALDs)の3人に『銃後史ノート』の文章を読んでの感想を語り合ってもらおうというのだ。私は大いにビビったが、会場が都心の上智大学、250人教室と聞いてさらに震え上がった。今時どうやって250人も集めるのか?
しかしミニコミ図書館スタッフの働きは目覚しかった。対象論文をWANにアップするだけでなく、それに関する論考や3人の読者代表の作品についての文章を切れ目なくアップする一方、電子化不可論文の大量コピーというローテクも駆使。その結果当日は、会場は満席状態で若い顔も結構見られた。アンケートには、時間が短かすぎた、またこういうテーマでやってほしいとの声が多数あった。
今年は改憲がいよいよ俎上に載せられそうだ。若い世代には安倍晋三首相支持が多いというが、彼らが9条改憲を自分の問題とするには、かつての戦争をリアリティをもって感じ取れるかどうかが大きい。白髪世代は金太郎アメの護憲集会よりも、孫世代への継承に知恵を出し合いたい。(新潟日報の許可を得て、「風の案内人」2018年1月6日より転載)
2018.01.29 Mon
カテゴリー:エッセイ・ミニコミと私
タグ:憲法・平和