WAN女性学ジャーナル

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  • 私にとっての「女性学」という場 ――水田宗子の女性学と草創期の議論を再考して――

    2019/09/09

    • リサーチ

    著者名:石島亜由美

    1980年生まれ。 女性学修士・比較文化博士(城西国際大学大学院人文科学研究科博士前期・後期課程)。 城西国際大学において8年間研究員を務めたあと、現在は、「はり師・きゅう師・あん摩マッサージ指圧師」資格取得のため、教育訓練給付金制度を利用して都内の医療専門学校に通学している。また、大学院時代に出会った仲間たちと「サバイバルとしての女性学研究会」(サバ女)を主宰。 研究はこれまで近代日本の「妾」研究を行ってきた。論文:「『夫』『妻』『妾』近代的主体とジェンダー文化の構築」(『女性・戦争・人権』14号、2016年)、「近代日本における『妾』に関する新聞記事のジェンダー分析」(『女性学』25号、2018年)

    私にとっての「女性学」という場 ――水田宗子の女性学と草創期の議論を再考して――

    論文概要:

    本論は、1970年代から1980年代初頭にかけて日本で発表された女性学第一世代の女性学に関する論稿を考察し、各研究者が初期の段階において何を問題化したのかについて論点整理を行い、草創期の女性学像を明らかにするものである。
    加えて、日本では稀有だった分離型女性学を創設した水田宗子の思想を考察し、その水田が設置した城西国際大学大学院を研究の場としてきた私の立場から、私自身にとって女性学の場の意味は何であったのかを振り返るものである。
    考察の結果、女性学とは、性差の権力関係を問題とし、その事態の解消を目指して、既存の学問体系に対峙する女性学的知性を構築する営みであったことが分かり、各研究者の女性学にコミットする「当事者性」を捉えることができた。また、私自身の立場から女性学とは、性差の権力構造の中で言語化できなかった個別の経験を言語化することによって、その問題構造を問い、一人ひとりがそこから解放されていくプロセスであったことを振り返った。すなわち女性学は、実存と切り離せない、各個人のフェミニズム意識の実践の場であることを結論づけた。


    My position in the women's studies that Mizuta Noriko created: Reconsidering the women's studies in its founding period in Japan

    This paper examines the discourses of the founders of women's studies from the 1970s through the early 1980s in Japan, so as to clarify the point of argument of each scholar and how respective idea of women's studies was formed, with a special focus on Mizuta Noriko's works.

    Mizuta was only one in Japan who founded an independent course of women's studies, namely, the department of women's studies and its graduate school at Josai International University. Based on my personal experience as
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    one of her students, I try to accommodate what it meant to me to belong to this particular academic community, to be called a separatist strategy.

    By my recollection of my personal experience, I argue the following: women's studies is the product from the struggle of construction of women's knowledge; it is determined to confront the system of established academic disciplines, with the goal of eliminating gender discrimination, by questioning gender from the perspective of power relations. In this respect, personal commitment is important for individual scholars. Women's studies meant a process of self- liberation for me through which I could express my personal experiences that could not be done in the gendered structure. In conclusion, women's studies at Josai was a site of practice of my feminist consciousness, which is inseparable from individual existence.

    コメンテーター:上野千鶴子(うえの ちづこ)

    日本における女性学・ジェンダー研究のパイオニア中のパイオニア、大学における日本初の女性学専攻を創立した水田宗子さん。その教えを受けた石島亜由美さんが、城西大学女性学専攻の制度的解体の危機を目の前にして、創設期をふりかえった、いわば私的研究史というべきもの。そのなかでも、女性学の発展にあたって、既存のディシプリンへの統合をめざした「統合型」と、分離をめざした「分離型」という上野の分類を用いて、日本では希有だった「分離型」女性学を経験した当事者としての、内部からの証言は貴重である。対象とする時代は1970年代後半の女性学草創期。そのため80年代以降の展開に触れられていないのがうらみだが、草創期に女性学をめぐっていかなる論点や対立があったかが、鮮明に立ち上がる。担い手の性別、運動と研究の関係など、女性学の初心に還る思いをさせられる。また、コンシャスネス・レイジングと切っても切り離せないフェミニスト・ペダゴジー(教育論)の原点に立ち返ることも思い起こさせる。水田女性学は著者の人生を変えた。実存と切り結ばないような女性学などなんの価値もない、と著者は誇りを持って宣言する。
     それにしても、危機と解体の時期に回顧が登場するのは皮肉だが、女性学・ジェンダー研究の世代交代期にあたって、創業期を回顧し、批判的に位置づける研究史は、これから先も書かれるであろう。いずれわたし自身も歴史の一部になっていく女性学研究史の、重要な一角を占める論考。そして、女性学が「私から」発する学問としての性格を失わないかぎり、その研究史は、本論のように「私的」なものとなるだろう。
     WAN女性学ジャーナルが採用するに、もっともふさわしい論文である。

関連する論文

  • 『女のからだ』(1974)とフェミニスト翻訳

    2023/10/19

    • リサーチ

    著者名:古川弘子

    コメンテーター:荻野 美穂(おぎの みほ)

    論文概要:

    本稿の目的は、1974年発行の『女のからだ―性と愛の真実』(ボストン「女の健康の本」集団著、秋山・桑原・山田訳編)を翻訳学のフェミニスト翻訳の視点から分析・考察することである。フェミニスト翻訳とは、翻訳を通して女性に対する偏見や差別を可視化し、読者の注意を喚起することで社会に異議を唱えようとするもので、1990年代後半から主にカナダで盛んに議論されるようになった。 『女のからだ』は、1970年に小冊子として発行されたWomen and Their Bodiesと1973年に商業出版されたOur Bodies, Ourselvesの日本語版である。原著は米国の女性グループ「ボストン『女の健康の本』集団」が女性のために編集した、女性のからだについての情報や知見、体験談を集めた本だ。中絶が違法であった時代に、中絶やセクシュアリティについて率直に語った本書は、アングラで出版されたベストセラーであった。今や原著は「女性の健康のバイブル」とも呼ばれ、通算約450万部のロングセラーとなっている。 本書を日本に紹介した『女のからだ』は、その翻訳自体がフェミニスト的行動であったことは疑いがない。しかしながら、本稿ではより踏み込んで、翻訳学におけるフェミニスト翻訳の視点から考えていく。具体的には、フォン・フロトー(von Flotow 1991)の分類による3つの翻訳方略-1. supplementing(補足すること)、2. prefacing and footnoting(序文や脚注で補足説明をすること)、3.hijacking(乗っ取ること)-に基づいて考察していく。 Abstract This research explores the Japanese book Onna no Karada—Sei to Ai no Shinjitsu (trans. Akiyama, Kuwabara & Yamada 1974; literally, Women’s Bodies: The Truth of Sexuality and Love) from a feminist translation perspective. Feminist translation began to be discussed in the late 1990s, mainly in Canada, and aims to make females visible in translated texts as a way to object to women’s subordinate position in society. Onna no Karada—Sei to Ai no Shinjitsu is the Japanese version of Women and Their Bodies (The Boston Women’s Health Book Collective 1970) and Our Bodies, Ourselves (The Boston Women’s Health Book Collective 1973). In the 1970s in the United States, abortion was illegal and the books that dealt with sensible topics such as abortion or sexuality became underground bestsellers. Thus, translating the texts itself was no doubt a feministic action. However, this study takes a further step to investigate the Japanese text in detail to see how the text was translated by the three feminist translators. For the text analysis, this paper applies the three feminist translation strategies proposed by von Flotow (1991): 1. Supplementing; 2. prefacing and footnoting; and 3. hijacking.

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  • 仕事と子育ての両立を選択した女性たちのサバイバル Survival of women who chose to balance work and child-rearing

    2022/06/30

    • リサーチ

    著者名:太田恭子

    コメンテーター:亀田 温子(かめだ あつこ)

    論文概要:

    近年、出産後の女性の就業継続率が上昇し、M字の底も徐々に上がってきた。しかし、未だに女性が主たる担当者として子育てを担っている状況が続いている。高学歴女性に焦点を当てた先行研究の中には、高学歴女性が「子育てを手放さないことが、性別役割分業構造を強化している」という批判もある。高学歴女性は、学歴の地位表示機能による「よい子育て」への規範的圧力や、仕事での自己実現というプレッシャーによって、出産後も仕事と子育ての両立を試みるが、その結果男なみ発想で家事も育児もこなそうとするか、職場の子育て支援制度を利用しマミートラックで両立を図るかのどちらかになっており、そのいずれもが、むしろ性別分業構造を強化しているというのである。 そこで、本稿では、「高学歴女性が『子育てを手放さない』ことが、性別役割分業構造を強化してしまうのか」という問題関心のもと、以下の二つの問いを立てた。①女性たちが「子育てを手放さない」のは、規範的圧力やプレッシャーによるのか、自らの選択なのか。②女性たちが子育てを手放さないと性別役割分業は維持されるのか。その上で、江原由美子のジェンダー秩序論、ギデンズの自己アイデンティティ論に依拠し、仕事と子育てを両立している6人の高学歴女性にインタビュー調査を行った。その結果、女性たちは自らの選択として子育てを手放さずに就業を継続し、自らの「したい子育て」をするために、夫や祖父母、職場を交えた子育てのサポート体制を作りあげ、そうした彼女たちの行為が職場を変え、夫の意識を変えていったと語っており、女性が子育てを手放さなくても、ジェンダー秩序の変容の可能性があることを見出すことができた。 Survival of women who chose to balance work and child-rearing Abstract In recent years, the rate of women continuing to work after childbirth has increased, and the bottom of the M-shaped scale has gradually risen. However, women still remain in charge of child rearing as their primary responsibilities. Some of the previous studies focusing on highly educated women have criticized that the fact that highly educated women "do not give up child rearing reinforces the gender role division of labor structure. Due to the normative pressure for "good parenting" caused by the status indicator function of their academic background and the pressure for self-realization at work, highly educated women try to balance work and child rearing even after childbirth, but as a result, they either try to do both housework and childcare with a manly mindset or use the childcare support system at work to balance the two in a Mommy-Truck way. In either case, the gender division of labor is strengthened. Therefore, this paper asks the following two questions from the perspective of "whether the fact that highly educated women "do not give up child rearing" reinforces the gender role division of labor structure. (1) Are women's "refusal to give up child rearing" due to normative pressure or their own choice? (2) If women do not give up child rearing, will the division of labor be maintained? Based on Yumiko Ehara's theory of gender order and Giddens' theory of self-identity, we interviewed six highly educated women who are balancing work and child rearing. As a result, the women said that they created a support system for child rearing with their husbands, grandparents, and workplaces in order to continue working without giving up child rearing as their own choice and to do "the kind of child rearing" they wanted to do. We were able to find that there is a possibility of transformation of the gender order even if women do not give up child rearing. Translated with www.DeepL.com/Translator (free version)

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  • 東大インカレサークルで何が起こっているのか ―「東大女子お断り」が守る格差構造- What Matters with the Intercollegiate Circles at the University of Tokyo?: The Reproduction of Gender Structure by the "No Women from the Tokyo University Allowed" Rule

    2022/02/09

    • リサーチ

    著者名:藤田優

    コメンテーター:江原由美子(えはら ゆみこ)

    論文概要:

    東京大学において、「東大女子お断り」のサークルが問題となっている。これは東大女子の加入を禁じ、東大の男子と他大学の女子のみで構成される東大のインターカレッジサークル(以下インカレサークル)のことで、主にテニスやバドミントン、バスケットボールなどのスポーツサークルで多く見られる。  本稿では、 “なぜ東大女子は排除されなければいけないのか” という疑問を出発点とし、「東大女子お断り」を掲げるインカレサークルへのフィールドワークを通じて、インカレサークルの内部で何が起こっているのか明らかにした。調査方法としては、東大インカレサークルまたは学内サークルに所属する男女へのインタビューに加え、その中の1つのインカレテニスサークルに対する参与観察も行った。その中で、東大インカレサークルには男子優位のジェンダー秩序が存在し、「東大女子お断り」という閉鎖構造がそれを維持する二重の差別構造となっていると分かった。  東大インカレサークルにおける二重のジェンダー差別構造は、ジェンダー意識の低さに伴う罪悪感の無さ、偏差値ヒエラルキーに基づく男子の傲慢さと他大女子の低姿勢、インカレサークルに対する東大女子の嫌悪感など様々な要素が絡み合って成立していると推察される。東京大学という、国内で大きな影響力を持つ大学のサークル活動において男子優位の非対称なジェンダー秩序が再生産されていることは非常に大きな問題であると言えよう。  また追記として、本稿が執筆された2016年以降、「東大女子お断り」を掲げるサークルに対する大学側の処置により、「東大女子お断り」を堂々と掲げるサークルはなくなった。しかし裏で差別が続いている可能性もあり、更なる分析が求められるだろう。 This paper problematizes the intercollegiate circles at the University of Tokyo (abbreviation, Todai), supposedly a Japan's top university, which prohibits women of the same school from joining them. They consist of exclusively Tokyo University boys and girls from other universities (mainly women's universities), mostly among sports circles such as tennis, badminton and basketball.  Starting from the question, "Why should women from the University of Tokyo be excluded?", this paper examines what is happening inside intercollegiate circles through fieldwork at intercollegiate circles with "No Todai women allowed "rules. In addition to interviewing with male and female members of the University of Tokyo intercollegiate circles and other on-campus circles, I conducted participant observation at one of the intercollegiate tennis circles. What I found is that those intercollegiate circles have a male-dominated gender order, and that the closed structure of "no Todai women allowed" circles has a double discriminatory structure that maintains this order. This asymmetrical gender order with male dominance has been reproduced in the circle activities of the University of Tokyo, a university with great influence in Japan, which is a very serious problem. As a postscript, since this article was written in 2016, there are no more circles that openly apply "no Todai women allowed" rules due to the university's measures against gender discrimination. However, it is likely that discrimination continues behind the scenes, and further analysis will be required.

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  • フェミニストへの「くそリプ」パターン研究 ―コロナ禍における岡村隆史発言への抗議署名活動に賛同した 上野千鶴子によるツイートに対する「くそリプ」事例を手掛かりとして

    2021/05/02

    • リサーチ

    著者名:小林明日香

    コメンテーター:林 香里(はやし かおり)

    論文概要:

    本稿では2020年コロナ禍における岡村隆史発言への抗議署名活動を手掛かりに、フェミニストへの「くそリプ」パターンを明らかにする。本稿で「くそリプ」のパターンを研究する理由は、「くそリプ」の嫌がらせからフェミニストが身を守るのに役立つと考えるからである。上野千鶴子によるツイートへの「くそリプ」をうえの式質的分析法で分析した結果、フェミニストへのくそリプは、1. 悪態、2. 古証文暴き(昔の発言と今の発言の内容が違うと追及)、3. リンチするな、4. 風俗肯定、5. ~には~しないのかよ、6. 女だってやってるくせに、7. 的外れ、8. 意味不明、の8類型であった。フェミニストに「くそリプ」を発信しているアカウントはアンチフェミニストばかりでなく、人物像が推測できない、難癖と文句が多い、政治話題好き、などであることを発見できた。また反応が早いのは「リンチだ」「性風俗産業はサービス業」といった「身体を想起させるくそリプ」で、比較的に反応までに時間がかかるのは「多少の理屈が必要なくそリプ」という傾向が見られた。うえの式質的分析法のマトリックス分析により、「愛国」アカウントの「くそリプ」は提起している問題をすり替える「~には~しないのかよ」コードの割合が高く、「漫画・アニメ」「エロ・セクハラ的なイラスト」アカウントは、過去の上野の発言「母親の不倫OK」「不倫OK」に関係づけて「くそリプ」する傾向が高いことが確認された。「くそリプ」は社会生活に悪影響を及ぼしており、フェミニストはくそリプの「コード8類型」と「アカウントの傾向」を知っておくことで「くそリプ」に傷つく回数が減ると考える。本稿の成果を念頭におき、フェミニストたちは今後効果的な活動が期待できる。 The Study of Patterns of “Bullshit” Replies on Twitter :A clue of “bullshit” replies on the Internet found against Chizuko Ueno who agreed with the signatures which protested against Takashi Okamura’s remarks during the COVID-19 period. This paper analyses the condescending replies (bullshit replies) on Twitter to Ueno Chizuko, who is one of the most famous feminists and sociologists in Japan. The aim of analysis of this paper is that knowing patterns of bullshit replies and contexts might protect feminists’ dignity from oppression and harassment on social media, then feminists would rise to more effective actions. Eight patterns of online bullshit replies to feminists on Twitter are inductively analyzed, and some tendencies which case intends to reply to the exact condescending comment’s code on Twitter, are found by using the Ueno method.  Eight patterns of online bullshit replies are as follows: 1 Abusive attacks 2 Criticizing inconsistencies 3 Net lynching by feminists 4 Justification of sex work 5 Reorienting another enemy 6 "You Too” blame 7 Pointless reply 8 Meaningless reply

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